備中高梁紀行 第二部 石の風車と、鮎と、店主の話
一、有漢行きのバスは、時刻表よりも正直だ
高梁国際ホテルにチェックインし、荷物を放り込むと、私はすぐに駅前のバス停へ向かった。備北バスの時刻表は、都会の路線図のような几帳面さとは無縁で、一時間に一本あるかないか、という潔さで貼り出されている。この潔さが、かえって旅人には心地よい。次のバスまで待つ十数分、私はベンチに座って、ただ山の稜線を眺めていた。急ぐ理由が何もない、という状態を味わうために、わざわざ電車を乗り継いでここまで来たのだと、あらためて思う。
有漢までは、バスに揺られておよそ三十分ほどだったろうか。車窓の風景は、駅前の穏やかな街並みから、次第に畑と山肌へと変わっていく。運転手はカーブのたびに律儀にアナウンスを入れ、乗客は私を含めて三人しかいなかった。
二、石の風車、回らないことの意味
有漢の「石の風車」は、思っていたよりもずっと静かに、畑の一角に立っていた。名前から勝手に、観光地らしい派手な装飾を想像していたのだが、実際には素朴な石組みの風車が、周囲の畑の景色にごく自然に溶け込んでいる。風がその日は弱く、羽根はほとんど動かなかった。
動かない風車を前にして、私はしばらくその場に立ち尽くした。これが観光パンフレットの写真であれば、勢いよく回転する羽根と青空が構図の主役になるのだろうが、目の前の風車は、まるで自分の役目をとうに終えたかのように、静かに佇んでいるだけだった。だが、この「動かなさ」こそが、かえってこの土地の時間の流れ方を物語っている気がした。急かされない、待たされることを厭わない土地。私はノートに「風車、回らず。それでよし」とだけ書き留めた。
三、土井鮮魚店直営・料亭魚富にて
夕方、ホテルに戻ってひと休みしたのち、駅から歩いてすぐの「土井鮮魚店直営 料亭魚富」の暖簾をくぐった。店内に一歩入ると、魚屋特有の潮の匂いと、炭火の煙の匂いが同時に鼻をつく。この二つの匂いが同居している店構えというのは、なるほど「鮮魚店直営」という言葉の意味を、理屈より先に体で理解させてくれる。
店主の土井富弘さんは、カウンター越しに私が一人だと知ると、「今日は何しに来なさったん」と、遠慮のない調子で聞いてきた。歴史小説を書いていて、旅行記も書いていると答えると、土井さんは少し驚いた顔をしたあと、「ほうか、それならこの店のことも書いてやってくれ」と、笑いながら鮎を炭火に乗せた。
鮎の塩焼きが焼き上がるまでの間、土井さんは備中松山城の話、吹屋の弁柄の話、成羽川の鮎漁の話と、聞いてもいないのに次々と語ってくれた。話の合間に「まあ、酒でも飲みながら聞きんさい」と勧められたのが、白菊酒造の「大典白菊」純米大吟醸だった。ひと口含むと、思っていたよりもすっきりとした後味で、鮎の脂とよく合う。骨まで香ばしく焼き上がった鮎にかぶりつきながら、私は土井さんの話を聞くというよりは、土井さんという人間そのものを観察していた。話しながら手元は決して止めない、その職人としてのリズムが、言葉以上にこの土地の暮らしを物語っているように思えたからだ。
「明日は吹屋行くんか」と聞かれ、頷くと、「あそこは弁柄の赤い町並みがなあ、独特じゃけえ、じっくり見んさい」とだけ言われた。この「じっくり見んさい」という言葉が、妙に耳に残った。観光ガイドブックには決して書かれていない、地元の人だけが持つ実感のこもった助言というのは、たいていこういう素っ気ない一言の形をしている。
四、酔いと、宿までの短い夜道
店を出たのは、まだそれほど遅い時間ではなかったが、大典白菊のおかげで、足取りはいつもより少しだけ軽かった。駅前までの道は街灯も少なく、蟬の声に代わって、どこからか虫の音が聞こえ始めていた。
ホテルへの帰り道、ふと今日一日を振り返る。動かない風車と、よく動く土井さんの手元。この対比が、今日という一日をひとつの物語として成立させているような気がした。
明日は吹屋。弁柄の赤い町並みが、私を待っている。
(第三部につづく)




