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第1話 黒髪のわたしが壊れた日
もう就活したくない。結婚したい。
歩美は本気でそう思っていた。
黒髪を金髪に戻した瞬間、鏡の中の自分が少しだけ笑った気がした。
「やっと戻ってきたね」そんな声が聞こえたような気がした。
黒髪は“ちゃんとした大人”を演じるための仮面だった。
面接官の前で、元彼の前で、親の前で。
誰に向けていたのかも分からない“いい子”の象徴。
でも、もう無理だった。
胸の奥がずっと重くて、息をするたびに錆びた音がした。
黒髪に染め直した日のことを思い出す。
「そのほうが印象いいよ」と元彼は言った。
「ちゃんとした会社に行くなら、そのほうが無難だよ」と母も言った。歩美はうなずいた。
そのときはそれが“正しい選択”だと思っていた。
でも、鏡の中の黒髪の自分は、どこか遠くの誰かのようだった。
笑っても、目だけが笑っていなかった。
金髪に戻した瞬間、「やっと呼吸できた」そう思った。
金髪は、反抗ではなく、酸素のようなものだった。
気づけば、東海道線のホームに立っていた。
行き先は熱海。理由はない。ただ、海が見たかった。
海を見れば、何かが洗い流される気がした。
列車に乗り込むと、窓に映る金髪の自分が、
「大丈夫、まだやり直せるよ」と囁いた。
歩美は小さくうなずき、旅が始まった。




