第四章 第二節 観察
戸崎美奈子は、病院で丸一日をかけて検査を受けた。
血液検査。
画像診断。
内視鏡検査。
医師たちは言葉を選びながら、しかし結論だけは変えなかった。
一方、九女島警察署に戻った佐川は、署長から声をかけられていた。
「……しばらく休むか?」
佐川は、首を横に振った。
「自分は……」
「山本巡査部長をはじめ、皆を見殺しにしました」
声は低く、だがはっきりしていた。
「せめて、敵討ちがしたいんです。最後まで、担当させてください」
署長はしばらく黙っていたが、やがて頷いた。
翌日、佐川は病院へ検査結果を聞きに行くよう命じられる。
だが、出発直前に連絡が入った。
科学捜査研究所から、宇野法医学研究員と、館野研究補助員が来島するという。
佐川は空港へ向かい、二人を乗せ、そのまま病院へ向かった。
三人で、医師の説明を聞く。
「……戸崎美奈子さんですが……」
医師は、資料から目を離さずに続けた。
「体内に寄生蜂の幼虫が二匹います」
「肝臓、腎臓、小腸、大腸、子宮、卵巣、膀胱に重大な損傷が確認されました」
「既に、手遅れです」
言葉が、重く落ちる。
「幼虫が分泌する物質によって、痛覚が快感に置き換えられているようです」
「それ以外にも、生命維持に関与している可能性があります」
佐川は、拳を握りしめた。
「幼虫を取り除けば……」
医師は、静かに首を振った。
「激痛によるショック死、あるいは多臓器不全は避けられません」
「寄生蜂は、宿主を殺さないように食べる生物だと考えられます」
「だから、心臓と肺には手を付けていません」
一瞬の沈黙。
「どうするかの判断は……警察の方に、お任せします」
病室を出た後、宇野が言った。
「この島の動物生態研究室に移しましょう」
「観察する必要があります」
九女島には、本土とは異なる気候と生態系がある。
そのため、島内に動物生態研究室が設置されていた。
そこには、ガラス張りの観察室があった。
「成虫になるまでの過程を観察する」
「そのまま、成体を研究して弱点を探る」
それが、宇野の提案だった。
観察には、佐川、宇野、館野のほか、
研究室長の佐々木、職員の大塚、豊田が加わった。
シフトは次の通りだった。
佐々木 9時~17時
大塚 17時~1時
豊田 1時~翌9時
館野 13時~21時
宇野 21時~翌5時
佐川 5時~13時
二十日間の観察で、次のことが分かった。
一度の産卵で、卵は二個
卵は二~三日で孵化
幼体は生命維持に不要な臓器から食べ始める
唾液成分により、宿主は痛みを快感として認識する
約十日で繭を形成
さらに十日で成体となり、宿主の腹部を破って外に出る
館野が、ぽつりと漏らした。
「……あの時、自衛隊がもっと早く着いていたら助けられたかもしれませんね」
佐川は、即座に首を振った。
「自衛隊のせいじゃない」
「最初に駆け付けたのは、俺たち警察だ」
「その時なら……卵を摘出すれば、確実に助けられた」
「……俺たちの無力の結果だ」
館野は、静かに頷いた。
「そうですね、僕らの責任ですね」
佐川は、少し強い口調で言った。
「君は補助員だろ。嘱託だ。組織上は警察に属しているかもしれないが、警察官じゃない」
「期限付きの立場だし、君がそこまで背負う必要はない」
館野は、一瞬黙り込んだあと、はっきりと答えた。
「いえ、いずれは、法医研究員になりたいと思って勉強しています」
「気持ちの上では……警察官と同じく、正義を貫いて、人々を犯罪から守りたいと思っていますから」
それから一週間後。
「……はい、はい、分かりました」
電話を切った大塚が、宇野に告げる。
「斎藤警部補からです。また、被害者が出たそうです。長野洋子、二十六歳」
宇野は、静かに呟いた。
「観察を始めてから……村井恵美、長野洋子…。」
「これで二件目か」
「一人につき、卵は二個……単純計算で、四匹増える」
大塚は、顔を歪めた。
「……早く、何とかしないと」
「そうですね」
宇野は頷いた。
「そろそろ、この二匹も宿主を食い尽くす頃だ」
「弱点を探すなり、次の一手を決めないと」
深夜一時過ぎ。
佐川のスマートフォンが鳴った。
「……佐川です」
『大変です!』
『寄生蜂が、二匹とも脱走しました!』
「……何!?」
『室長と館野さんにも連絡します!』
『すぐ来てください!』
佐川は通話を切り、着替えもそこそこに研究室へ向かった。
到着すると、
出入口付近で、豊田が倒れていた。
死んでいる。
観察室のドアは、破壊されていた。
「……あんな、頑丈なドアを……」
中を慎重に捜索する。
トイレで、宇野と大塚の遺体が見つかった。
その時、出入口の方で物音がした。
佐川が駆け寄ると、佐々木が入ってくるところだった。
「佐々木室長! 大変だ! 寄生蜂が二匹とも……あ、う、ろへ……」
言葉が、途中で崩れた。
佐川の目は大きく見開かれ、顎が、意思とは無関係にガクガクと震えている。
佐々木は、その異様さに違和感を覚え、わずかに上へ目を向けた。
そこにあったのは、佐川の脳天に、深々と突き刺さった二本の鈎爪だった。
佐川は、まだ生きていた。
かすかに息をし、何かを伝えようとしている。
だが、破壊された言語野が、言葉を許さない。
顎が、震えるだけだった。
佐々木は、悲鳴を上げて外へ逃げ出す。
だが、寄生蜂はドアを破壊し、ドアごと吹き飛ばした。
その直後、館野が到着する。
「佐々木室長!」
倒れ、動けない佐々木は、ポケットからUSBメモリーを取り出し、館野に向かって投げた。
「……これを持って、逃げろ!」
館野は、状況を理解した。
足元に落ちたUSBメモリーを拾い、全速力で走り出す。
背後で、骨の砕ける音が響いた。
佐々木は、顔を噛み砕かれ、その場で絶命した。




