第七章 第二節 昆虫
そこは、小さな園芸店だった。
店内に入ると、店主が無言で木製の折りたたみテーブルと椅子を出し、三人を座らせた。
やがて、コーヒーが運ばれてくる。
「……見ての通りでね。植物は売るほどあるんだが、飲み物はこれしかなくて。すまないね」
笑いながら、そう言って、真鍋は灰皿を置き、煙草に火をつけた。
しばしの沈黙。
やがて、一人の男が口を開く。
「自己紹介がまだだったな」
「俺は武内だ」
「俺は堀」
最後に、店主が短く言った。
「……真鍋だ」
服部も名乗り、ノートパソコンを開く。
画面を見せながら、神社の白骨死体発見から、寄生蜂の生態、研究所での出来事、そして今に至るまでを説明した。
話しながら、服部は入力を続ける。
名倉が残した情報の最後に、「名倉」。
自分が追加した情報の最後に、「服部」。
それは、誰が命を懸けてここまで来たかを示す印だった。
武内が、目を見開く。
「……それ、本当の話か?」
「僕らも……」
服部は静かに答える。
「最初は、半信半疑でした。……寄生蜂に、襲われるまでは」
堀が、低く息を吐く。
「……よく、逃げられたな」
「話に出てきた名倉さんという女性が、助けてくれたんです」
「そうじゃなければ……僕も、今頃は……」
言葉が、続かなかった。
真鍋が、煙を吐きながら言う。
「……よし!この話、俺たちで広めよう!」
二人が顔を上げる。
「逃げたい奴は逃げればいい。戦いたい奴は戦えばいい。……何も知らずに死ぬなんて、誰も納得しねえ」
「そんなんじゃ、成仏もできねえしな」
服部は、深く頭を下げた。
「お願いします」
「……それじゃ、僕は警察に向かいます」
武内が、手を上げる。
「待ちなよ。午後から晴れるって言ってたぞ」
堀も頷く。
「そうだよ。晴れて日が出りゃ、その蜂は逃げるんだろ?それから動いた方が、いいんじゃないか?」
服部は、少し考えた後、頷いた。
「……確かに、そうですね」
「ゆっくりしていけ」
真鍋が言う。
「ありがとうございます」
その、ほんの数分後だった。
店の外で、異様な影が動いた。
寄生蜂だ。
雨の中、得物を探すように、首を細かく動かしながら、店の周囲をうろついている。
ガラス張りの園芸店は、外から丸見えだった。
――見つかった。
次の瞬間、寄生蜂が突進してきた。
ガラスが砕け、ドアが破壊される。
最初に狙われたのは、入口近くにいた堀だった。
後ろから、顔面に鈎爪が深く突き刺される。
引き抜かれるように引っ張られ、ゴキッ、という嫌な音と共に、首が不自然な角度で折れた。
続けざまに、服部と武内。
左右から、同時に喉を掻き切られ、血を噴き出しながら倒れる。
真鍋は、完全にパニックに陥った。
鉢植え、スコップ、目につくものを手当たり次第に投げつける。
だが、銃弾すら通さない外骨格に、それらはまったく通用しない。
――そのはずだった。
投げ続けるうちに、寄生蜂が、わずかに後ずさった。
真鍋は、はっとする。
床に落ちている、ミントの鉢。
「……そうか」
真鍋の目が、見開かれる。
「こいつ……デカくても、昆虫なんだ……!」
彼は、手近にあったハッカ油の蓋を外し、中身を一気にぶちまけた。
寄生蜂が、明らかによろめく。
真鍋は、ありったけの煙草に火をつけ、
深く吸い込み、煙を吹きかけた。
寄生蜂は、後退しながら、入口の方へ向かう。
一度、外へ出た。
だが、雨でハッカ油が流されたのか、再び中へ入ろうとする。
その瞬間を逃さず、真鍋は木酢液のスプレーを掴み、顔面へ噴霧した。
寄生蜂が、また後ずさる。
真鍋は、予備の木酢液を手に取り、ノートパソコンを抱えた。
噴霧しながら、一歩前へ。
寄生蜂は、一歩後ろへ。
それを繰り返し、ついに真鍋は店の外へ出る。
雨の中、木酢液を噴霧し続けながら、走る。
寄生蜂は、それ以上、追ってこなかった。
方向を変え、闇の中へ消えていく。
真鍋は、雨に打たれながら、肩で息をした。
「……やっぱりな」
呟く。
「どんな化け物でも……中身は、虫だ」
彼の腕の中には、血に濡れた服部のノートパソコンが、まだ温かく残っていた。




