第六章 第二節 雨天
名倉は、ノートパソコンに向かい、先ほど聞いた伝承の内容を打ち込み始めていた。
島名の由来。
生贄の周期。
神社という場所。
断片だったものが、文字になることで、輪郭を持ち始める。
その時だった。
「……雨、降ってきた」
何気なく窓の外を見ていた紺野が言った。
岡田が立ち上がり、外を凝視する。
「……何か、飛んでないか?」
棚から双眼鏡を取り出し、覗き込む。
「……虫みたいだ。でも……でかいな」
布川が双眼鏡を受け取り、顔色を変えた。
「……五匹くらいいる。かなり大きいぞ」
「見せて!」
名倉は椅子を蹴るように立ち上がり、
双眼鏡を受け取った。
視界に入ったのは、五匹の寄生蜂だった。
それぞれが、別々の方向へ飛んでいく。
そのうち二匹が、こちらの方向へ向かってくる。
名倉の背筋が、凍りついた。
だが――
二匹は、食堂からかなり離れた、民家も人影もない場所へ降り立った。
他の三匹も同様に、人のいない場所へ着地する。
名倉は、息をついた。
「……人を襲うためじゃない」
少なくとも、今この瞬間は。
名倉は、ノートパソコンの画面を学生たちに向けた。
「これ、見て」
画面に表示されたのは、神社での白骨死体発見から始まる、これまでの一連の経緯だった。
学生たちは、しばらくの間、無言で読み進める。
「……これって……」
服部が、言葉を探す。
名倉は、はっきりと言った。
「さっき話してくれた伝承と、今回の事件はつながってる」
「鬼っていうのは、人間大に巨大化した寄生蜂」
「頭に二本の角っていうのは……触角がそう見えたんだと思う」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
「……そんな……」
「こんなことが、本当に……」
その時だった。
バンッ!
激しい音と共に、入口のドアが開いた。
寄生蜂が、雨に濡れた外骨格をきらつかせながら、中へ入ってきた。
「うわああっ!」
悲鳴が上がる。
物音を聞きつけ、食堂の店主が奥から出てくる。
寄生蜂の姿を見た瞬間、店主は厨房へ引き返し、包丁を掴んだ。
「出て行け!」
叫びながら突っ込む。
だが――
次の瞬間、店主は喉を裂かれ、床に崩れ落ちた。
名倉は、その光景を見て、はっと息を呑んだ。
「……羽が……」
寄生蜂の羽は、雨に濡れて、重そうに垂れている。
「……そうか」
名倉の声が、確信に変わる。
「本来なら、あの巨体じゃ歩くこともできない」
「雨に濡れた羽で、あの巨体が飛べるはずがない……!だから、あんな遠くで降りたんだ……!」
名倉は、すぐにパソコンへ向かい、その情報を打ち込む。
羽田が叫ぶ。
「そんなことしてる場合じゃ――!」
名倉は、振り返らずに言った。
「違う!これは、命がけで助けてくれた館野さんの意思なの!寄生蜂の情報を、すべて警察に届けなきゃいけない!」
学生たちは、恐怖で動けずにいた。
寄生蜂が、じりじりと近づいてくる。
首を細かく動かし、空気を嗅いでいるように見えた。
次の瞬間。
二匹の寄生蜂が、同時に動いた。
岡田と布川は、一撃で殺された。
紺野が押さえつけられ、悲鳴を上げる。
助けようと、羽田が踏み出す。
だが、もう一匹に瞬時に殺された。
「……これが……産卵……」
服部は、先ほど見た情報を思い出していた。
残る一匹が、名倉へ向かってくる。
後退するが、逃げ場はない。
押さえつけられ、服を引き裂かれる。
「……そんな……」
名倉は、震える声で呟く。
「……やっぱり、見た目で判断してるんじゃない……」
脳裏に、先ほどの動きがよみがえる。
「……フェロモン……」
「匂いで、男女を嗅ぎ分けてる……」
涙が、溢れた。
「……私も……佳那と同じ……」
その瞬間、
名倉は服部を見た。
「……この二匹は……」
「産卵が終わったら、私たちを連れて巣に帰る……」
「だから……あなたは……」
必死に言葉を絞り出す。
「……パソコンを持って、逃げて……!」
服部は、首を振る。
「そんな……!」
名倉は、叫ぶように続けた。
「もう、無理……!館野さんと、私の遺志を継いで……!」
「雨が降ると飛べない!」
「男女は、フェロモンで嗅ぎ分けてる!」
「……その二つ、必ず加えて……!」
次の瞬間、産卵管が名倉の体内へ侵入し、子宮の奥へ到達した。
「……っ……」
声にならない音が、喉から漏れる。
麻痺毒が回り、顎が、意思とは無関係に震える。
言葉は、出ない。
だが、視線だけが、服部を見据えていた。
服部は、涙を溜めながら、強く頷いた。
「……分かりました……館野さんと、名倉さんの意思は……」
「僕が、継ぎます!」
服部は、震える手でキーボードを叩き、情報を打ち込む。
やがて、産卵を終えた二匹の寄生蜂は、
名倉と紺野を引きずりながら、雨の中へ消えていった。




