第五章 第二節 宿主
館野は、USBメモリーの内容に目を通しながら、ふと、ある違和感に引っかかった。
――なぜだ。
手前の部屋で殺されていた二人。
あの二人は、卵を産み付けられることなく、一撃で命を奪われていた。
そして、もう一つ。
最初に聞こえた、あの悲鳴。
やけに低かった。
「……ちょっと、待っててください」
館野はそう言って立ち上がり、名倉の制止も聞かず、手前の部屋へ向かった。
倒れている遺体の前で、一瞬だけ躊躇し、それから低く頭を下げる。
「……ごめんなさい」
館野は、必要最低限の確認をした。
付いていた。
名倉の部屋に戻ると、館野は短く言った。
「……ニューハーフだった」
名倉は、言葉を失う。
「……え?」
「手前の部屋の二人は、男性だった。だから、卵を産み付けられる事なく一撃で殺されたんだ」
館野は、落ち着いた声で続ける。
「寄生蜂は……男女を、見た目で判断しているわけじゃない。生物学的に“宿主として成立するか”で選別している」
名倉は、息を呑んだ。
「……そんな……」
館野は、これまでの経緯を簡潔に説明しながら、その推論を補足した。
その時だった。
階段を上る、重い足音。
もう一匹だ。
館野は、反射的に身構えた。
「……なんで……!?」
「もう一匹は、外に出て行ったから、そのうち出て行くと思ったのに……」
考える暇はない。
館野は、急いでドアを閉め、鍵をかけた。
直後、ドン、と鈍い衝撃。
寄生蜂が、ドアを叩き始めた。
ドン。
ドン。
木製のドアが、軋む。
館野は、歯を食いしばる。
「……研究所のドアを壊した相手だ。こんなの、時間の問題だ……」
彼は、名倉を振り返った。
「そのUSBメモリーを持って逃げてください!“科捜研の館野から”って言えば、警察は分かります!」
名倉は、混乱したまま聞き返す。
「……カソウケン……?」
館野は、名刺を差し出した。
「科学捜査研究所です」
「……必ず、渡してください」
次の瞬間、館野はドアを開けた。
寄生蜂が、すぐ目の前にいた。
館野は、廊下へ飛び出し、わざと大きく音を立てて走り出す。
寄生蜂は、迷いなく、館野を追った。
名倉は、一瞬、その場に留まろうとした。
だが、もし戻ってこられたら、逃げ場はない。
彼女は、ノートPCとUSBメモリーを掴み、震える足で外へ出た。
その時、視界の端で、館野が襲われるのが見えた。
名倉は、教えられた通り、身を低くし、物陰を使い、音を立てずに移動する。
背後で、館野の断末魔が聞こえた。
喉が、締めつけられる。
寄生蜂は、館野の首を顎で切断した。
頭部を噛み砕き、そのまま、こちらへ向かってくる。
やがて、館野の頭が投げ捨てられた。
それは、偶然にも、名倉の視界に入った。
――ぐちゃり。
ついさっきまで話していた顔が、原形を留めていない。
「……ひっ……!」
思わず、声が漏れた。
その瞬間、羽音が、こちらへ向かってくる。
寄生蜂が、飛んだ。
伊藤の時と、同じだった。
四肢を押さえつけられ、服が引き裂かれる。
名倉の脳裏に、友人の姿がよぎる。
――佳那の時と、同じ……
――私も、あんなふうに……。
寄生蜂の腹部が、蠢いた。
産卵管が、姿を現す。
その瞬間――
朝日が、差し込んだ。
夜が、終わる。
寄生蜂は、明らかに動揺した。
名倉から離れ、光を避けるように、ペンションの中へ逃げ込む。
名倉は、息を荒くしながら、呟いた。
「……もしかして……」
「日光が、苦手……?」
考える暇はない。
名倉は、立ち上がった。
裸のまま逃げるわけにはいかない。
だが、ペンションには戻れない。
彼女は、倒れていた館野の上着とズボンを脱がせ、身に着けた。
サイズは合わない。
だが、関係なかった。
名倉は、朝の光の中を、走り出した。
USBメモリーを、胸に抱えて。




