プロローグ
東京湾から南へ、およそ三百キロ。
太平洋の上に、ぽつりと浮かぶ離島がある。
九女島。
面積およそ七十平方キロメートル。
人口約八千人。
観光パンフレットには、澄んだ海と穏やかな気候、素朴な人情が売り文句として並ぶ、ごく平和な島だった。
その島の中央部、低い山の中腹に小さな神社がある。
観光地図にもほとんど載らない、島民の信仰を細々と集めてきた社だ。
事件は、そこで起きた。
朝の空気がまだ湿り気を帯びている時間帯。
月に一度の掃除のため、宮司が境内に足を踏み入れた。
拝殿の奥、社殿の裏手。
落ち葉の積もる地面に、白いものが転がっていた。
人骨だった。
通報を受けて駆けつけた島の駐在と消防団は、最初、獣の死骸だと思ったという。
だが近づいた瞬間、それが人間のものであることは、誰の目にも明らかだった。
白骨死体。
女性と見られる。
宮司は震える声で証言した。
自分はおおよそ月に一度、この神社を清掃している。
前回訪れたのは三十五日前。
その時、社の周囲に異変はなかった。
つまり、遺体が置かれたのは、その後ということになる。
数日後、DNA鑑定の結果が出た。
被害者は、中野美沙。
二十六歳。
東京在住の会社員。
観光目的で九女島を訪れていたことが、航空券の履歴と島内の防犯カメラから確認された。
彼女が島に到着したのは、発見の三十八日前。
問題はそこからだった。
専門家の見解によれば、通常、遺体が完全に白骨化するまでには、もっと長い時間がかかる。
ましてや、屋外とはいえ、島の穏やかな気候で一か月あまり。
不自然だった。
さらに異様だったのは、遺体の状態だ。
頭部。頭皮の一部だけが残っていた。
腐敗の進行度から見て、死後一週間前後。
それ以外の部分は、信じられないほどきれいに肉が失われ、骨だけになっている。
骨の表面には、刃物とは異なる、細かくえぐられたような痕跡が無数に残っていた。
まるで、何かが執拗に肉をそぎ落としたかのように。
警察は猟奇殺人の可能性を視野に入れ、捜査本部を設置した。
だが、島にはそれらしい不審者の目撃情報はなく、凶器も見つからない。
静かな島に、不釣り合いな不安だけが残された。
その事件を取材するため、東京に本社を置く明朝新聞社の記者、青木悟は、編集長の命を受けて九女島へ向かうことになる。
彼はまだ知らなかった。
この島で起きたのは、
一件の殺人事件などではなかったということを。




