表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放メシ屋ババカルは復讐より腹を満たす  作者: 乾為天女


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/14

第9話 内政は鍋と同じ

 祠を離れて三日目の昼、四人は国境街道から外れた小さな辺境町へ入った。門というより、傾いた柵が一本あるだけの入口だ。石畳は割れ、乾いた風が粉を舞い上げる。空は晴れているのに、町の顔色が悪い。


 井戸の前に、桶を抱えた子どもが並んでいた。順番が来ても、桶の底に落ちるのは、喉を鳴らすほど少ない水だけ。年配の女が「今日はここまで」と言うと、列の端から小さな泣き声が上がった。


 モティングは肩をすくめて、できるだけ目立たないように荷を背負い直した。

 静かに通り過ぎたい。そう思った瞬間、腹が鳴った。乾いた音が、やけに遠くまで響いた気がして、本人だけが顔を赤くする。


 「腹は正直だな」

 フレッドが笑いかける。笑いの端に、疲れが張り付いている。


 「正直なのは腹だけでいい」

 ダグロスが短く言い、周囲を見た。追手の気配はない。だが町の空気が、別の意味で張り詰めている。


 デラックが井戸の石縁に指を当てた。指先に、白い粉がつく。

 「水が枯れたんじゃない。流れが止まってる。水路がどこかで詰まってる匂い」

 「匂いで分かるのか」

 モティングが言いかけて、言葉の続きが迷子になった。デラックは平然と頷く。

 「道具の油と、土の湿りと、喉の渇き。混ざるとこうなる」


 井戸番の男が、こちらを睨むように見た。見知らぬ旅人が水の話をするのは、警戒されて当然だ。ダグロスは一歩前に出て、言葉を探してから、いつもの短さで切った。

 「直せる」

 「何をだ」

 「水路」


 男は鼻で笑った。

 「直せるなら、もう直ってる。町の男手は畑と薪で消える。金もない」


 そこでフレッドが、鍋を抱える仕草をした。

 「鍋と同じですよ。火が弱いなら火を足す。塩が足りないなら塩を足す。道具が足りないなら、借りて返す。――今、足りないのは、どこが詰まってるかの目印です」

 「鍋の話で水が出るか」

 男が言い返す。


 デラックは腰の袋から細い針金を取り出し、指で曲げて輪を作った。

 「目印なら作る。水路の上に糸を張る。流れがある場所は糸が湿る。止まってる場所は乾く。乾きの境目が、詰まりだ」

 言い切る声が、やけに自信満々で、逆に嘘くさくない。


 男は迷った顔をした。背後の列の子どもが、唇を舐めているのが見えたのだろう。男は唇を噛み、条件を出した。

 「一日だ。今日のうちに水が増えなきゃ、よそ者の面倒を見る余裕はない」

 「分かった」

 ダグロスはそれだけ言い、すぐに役割を切った。

 「フレッド、炊き出しの火。デラック、道具。モティング、俺と水路を見る」


 「俺って言った」

 モティングが小声で突っ込むと、ダグロスが「今だけ」と返した。顔はいつも通り硬いのに、耳の先だけ赤い。


 水路は町外れの斜面から引かれていた。途中で木の根が張り、石が崩れ、落ち葉が溜まっている。見た目だけでも詰まりの候補が多すぎて、目眩がする。

 モティングは鼻の奥が乾いて、息が浅くなるのを感じた。ここで眠ったら、笑い話で済まない。


 「倒れるな」

 デラックの声が背後から飛ぶ。いつの間にか、道具袋を抱えて付いてきている。彼女は町の男から借りた鍬の柄を叩き、乾いた音で注意を促した。

 「倒れるなら、影に倒れろ。日向は体力を焼く」


 モティングは頷こうとして、足を止めた。視界の端で、石積みの隙間に、妙に整った溝が見えた。偶然にしては真っ直ぐだ。頭の奥が、ふっと軽くなる。

 眠気が、背中から首へ登ってくる。


 「今は駄目だ、今は……」

 呟いた瞬間、足元の土がふわりと揺れたように感じた。次の瞬間、モティングは斜面に尻をつき、まぶたが落ちた。


 ――冷たい泥。裸足。肩に木桶。誰かが怒鳴っている。


 「そこは踏むな! 溝の角を潰すな! 水が泣く!」


 声の主は見えない。だが手は勝手に動く。石を並べる順番。木の根を避ける切り欠き。落ち葉が溜まる場所に置く、細い枝の格子。

 「ここだ。ここが詰まる。ここを開ける」

 知らない自分が、確信を持って言った。


 ぱちり。


 目を開けると、ダグロスが顔を覗き込んでいた。眉が寄っているのに、手はモティングの頭を石から守る位置に添えられている。

 「……言え」

 短い命令。けれど、待っている。


 モティングは喉を鳴らし、息を整えた。

 「これは本当にあった話だ」

 「要点」

 「水路の、あの石積みの下。格子みたいなのを入れて、落ち葉を受けてるはず。そこが詰まってる。外せば流れる」


 デラックがすぐに動いた。針金の輪を溝に落とし、引っ掛かりを確かめる。

 「当たり。水の匂いが濃い。ここだ」


 三人で石を外すと、黒い落ち葉と泥が固まりになって詰まっていた。フレッドがいつの間にか持ってきた木杓子で泥を掬い、デラックが針金で格子を持ち上げ、ダグロスが石を積み直す。言葉は少ないのに、手が揃う。


 詰まりが抜けた瞬間、溝の底で水が音を立てた。乾いた砂が吸い込む前に、透明な筋が走り、町の方へ向かって流れていく。


 井戸の前に戻ると、桶の底に落ちる水の音が明らかに増えていた。子どもが目を丸くし、年配の女が肩を震わせた。井戸番の男は、言葉を失ったまま帽子を握りしめ、やがて深く頭を下げた。

 「……礼を言う。名前は」

 「今は言えない」

 ダグロスが言い、続けて付け足した。

 「追われてる。匿ってほしい。代わりに、直せる場所は直す」


 男は一瞬だけ迷い、次に頷いた。

 「裏の納屋が空いてる。寝床と、干し豆なら出せる。……水が戻った。それで十分だ」


 夕方、フレッドの鍋から湯気が立った。森の茸に、町の干し豆を合わせたとろりとした粥。塩は控えめだが、湯気の甘さが喉を撫でる。デラックは椀を配りながら、町の人の手の荒れを見て、薬草の擦り込み方を教えた。ダグロスは納屋の梁を確かめ、扉の蝶番に油を差した。誰に頼まれたわけでもない。


 モティングは椀を両手で包み、湯気の向こうで笑う子どもたちを見た。水が増えただけで、町の声が少し高くなる。自分の眠気が、初めて役に立った気がした。


 フレッドが小声で言う。

 「鍋ってさ、具が沈む前に、火を見ないといけないんだよな」

 「鍋の話、まだ続くのか」

 モティングが言うと、フレッドは肩をすくめた。

 「続く。だって俺たちの明日も、火加減で決まる」


 納屋の隙間から、遠くの街道が見えた。夕闇の中、松明の列がちらりと揺れた気がして、モティングの背中が冷える。

 ダグロスが短く言う。

 「今夜は、見張りを交代でやる」

 デラックが頷き、フレッドが「俺が最初」と言いかけて、飲み込んだ。代わりに彼は椀を持ち上げる。

 「まずは、飲もう。逃げる足は、休ませてからだ」


 モティングは湯気を吸い込み、頷いた。眠気はまだ、どこかで待っている。それでも今夜は、湯の温度が味方だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ