第7話 屋台は最強の情報網
昼の太陽が、宿場の石畳を白く照らしていた。国境街道の途中にある小さな宿場は、荷車の軋む音と馬の鼻息で満ちている。四人は人混みの端、井戸と干し草の間の空き地に立った。
夜明け前に詰所を飛び出してから休まず歩いた脚は、石畳の固さだけで痛みを思い出す。足の裏が熱を持ち、その熱に引っ張られて眠気が喉の奥へ上がってきた。
ダグロスは周囲を一瞥し、短く言った。
「目立つな」
言われる前から分かっている。追われる身だ。だが、腹が鳴る。今朝から水しか口にしていない。
モティングは荷物を下ろし、両手を揉んだ。眠気が喉の奥からせり上がり、視界の端がゆらりと揺れる。寝たら終わる。けれど、寝ないと足も回らない。
「じゃあ、目立たない形で稼ぐ」デラックが言った。
革袋から折り畳みの三脚、黒い鍋、木の札を出す。詰所を出るときに、手癖の悪い誰かから奪ったわけではない。彼女が置き忘れを拾っただけだ、と言い張った道具だ。モティングは突っ込む気力がなかった。
フレッドが小さく息を吸い、鍋を撫でた。
「匂いなら、目立つ。でも、悪い目立ち方じゃない」
森で採った茸を薄く切り、干し肉を削り、硬い香草を指で折る。鍋に水を張り、火を起こすと、油と肉の香りが宿場の空気に溶けた。フレッドは匙で味を確かめ、塩を一つまみ落とす。鍋の縁から湯気が上がり、モティングのまぶたが重くなる。
「寝るな」デラックが言い、モティングの頬を指で弾いた。
「……はい」
その返事が早すぎて、フレッドが吹き出した。
「返事だけは一人前だな」
ダグロスが肩をすくめ、背を向けた。
「裏で見張る」
彼女はすっと人の影へ紛れた。指示だけ置いて、姿を消す。背中がどこか固い。モティングは、鍋の湯気で曇った視界の向こうを探すように見た。
木の札には、デラックが炭で書いた。
《眠気覚まし茸スープ 一杯 銅貨一枚》
値段が安いのか高いのか分からない。だが、匂いが勝った。
最初の客は、荷を背負った若い旅人だった。鼻をひくつかせ、鍋を覗き込む。
「それ、森の茸か?」
フレッドが頷く。
「今朝採れた。熱いぞ」
旅人が銅貨を置いた。フレッドが木椀によそい、息を吹きかけて渡す。旅人は一口すすって、目を丸くした。
「おお……これ、眠気が飛ぶ」
「飛ぶといいな」フレッドが笑い、肩をすくめる。「飛びすぎたら責任は……いや、責任は取らない」
そのやり取りに、周りの人が寄ってきた。商人、御者、荷車の修理屋。湯気の輪が広がるほど、言葉も軽くなる。
モティングは椀を渡しながら、頷き係に徹した。頷くときに余計な一言を付けないよう、口の端を噛む。
「森の方、夜に熱い風が来たって?」
「来た来た。馬が暴れる」
「交易伯の私兵が増えてるんだとさ。森で何か掘ってる」
その言葉に、モティングの指が止まった。
掘っている。封印の根を、切っているかもしれない。胸の奥が冷える。
モティングは慎重に頷こうとして、別の言葉が出た。
「……掘って、ます?」
自分で言ってしまって、舌を噛みそうになる。客の視線が集まった。
「お前、知ってるのか?」
「え、いや……掘る、って……」
モティングの頭は眠気と焦りでぐちゃぐちゃだった。そこでフレッドが鍋の蓋を持ち上げ、湯気を勢いよく立てた。
「掘る話は熱くなるからな。口の中は冷ませよ。ほら、追加の香草だ」
客が笑い、空気が戻る。
デラックがモティングの背中を軽く叩いた。
「言葉が先に走るなら、椀を先に走らせろ」
「はい……椀です」
それもまた変で、近くの御者が腹を抱えた。
「椀の名前かよ!」
笑いが起きる。モティングは顔が熱くなるのに、なぜか息がしやすかった。追われている事実は消えない。それでも、笑い声があると、胸の石が少し軽くなる。
客の一人、指に墨が付いた帳簿持ちの男が、スープをすすりながら口を開いた。
「掘ってる場所なら、森の南の斜面だ。夜明け前に荷車が二台、空で出て、夕方には重そうに戻る。木じゃない。土の匂いがする」
「土……」フレッドが復唱した。
男は頷く。
「交易伯の紋が付いた布で荷を隠してた。見張りも多い。普通の木こりじゃねぇ」
ダグロスが人混みの影から戻ってきた。いつの間に聞いていたのか、目だけで合図を送る。
モティングは椀を置き、男に礼を言おうとして、また余計なことを言いかけた。ぐっと飲み込む。
そのとき、屋台の端に小さな手が伸びた。汚れた指が、木椀の縁を撫でる。
顔を上げたのは、肩ほどの背丈の子どもだった。頬がこけ、目だけが大きい。
「……匂い、いい」
デラックがしゃがみ、目線を合わせた。
「銅貨は?」
子どもは首を振った。唇を噛み、逃げるように一歩下がる。
フレッドが鍋を見て、ため息をついたふりをした。
「困ったな。余ったら捨てるしかない。捨てるのは……もったいない」
子どもが目を丸くする。
「す、捨てるの?」
「だから、捨てる前に飲むといい」フレッドが椀を差し出した。
子どもは両手で受け取り、熱さにびくっとしたが、息を吹いて一口すすった。顔がふっと緩む。
「……あったかい」
モティングは、その声が胸に刺さった。森の熱風は、町の腹も冷やしている。掘っているのは土だけではない。暮らしの底を削っている。
子どもは椀を抱えたまま、ぽつりと言った。
「父ちゃん、森で働いてる。夜に赤い石、光ったって」
ダグロスの足が止まる。
「どこで?」
子どもは指で、宿場の南の方角を示した。
「坂の下。穴がある。怖い匂いする」
モティングの背中に、あの熱がよみがえった。封印石の赤い脈動。報告書が消えた朝。監察官の薄い笑い。
四人の間に、言葉のない確認が走った。
フレッドが鍋をかき回しながら、いつもの癖で口を開く。
「俺が余計なことを……」
だが途中で止めた。深く息を吸い、鍋の湯気越しに仲間を見た。
「……今夜、見に行こう。目で確かめる」
デラックが頷き、道具袋を締め直す。
「眠気止めの香草を多めに用意する。倒れるなら、倒れる場所を選べ」
モティングはうなずいた。選べるなら選びたい。けれど、眠気は勝手に来る。
だからこそ、今日聞いた言葉を抱えて歩く。
ダグロスが短く言った。
「屋台、片付ける。日が落ちる前に宿を取る」
モティングは木椀を重ね、手を止めずに返した。
「はい。……椀です」
また笑いが起きた。子どもがくすっと笑い、椀を抱え直す。
その小さな笑いが、四人の足を前へ押した。




