第4話 群れるのが苦手な隊長
夜、国境森ルーンウッドの外縁にある小村「ヘルム」の集会所は、油灯の匂いでむっとしていた。板床に土が持ち込まれ、濡れた外套が椅子の背に重なる。年寄りが咳払いをし、子どもは母親の膝に顔を埋める。外では霧が窓を舐め、遠くで犬が一度だけ吠えた。
入口の板戸を背に、ダグロスが立った。剣の柄が灯りを受けて鈍く光る。村長らしい男が一歩前に出て、胸元を押さえながら言う。
「番士殿、今夜は森が騒がしいと聞きました。何が――」
「外へ出るな」
ダグロスの返事はそれだけだった。村長の口が半開きのまま止まる。背後の村人たちの肩が、じわりと上がった。
「戸を二重。灯りを落とすな。笛が鳴ったら、この集会所へ」
短い言葉を三つ並べると、ダグロスは踵を返しかけた。集会所の視線が一斉に背中へ刺さる。彼女の背中が、ほんのわずか硬くなる。
モティングは、その硬さが分かった気がして、慌てて口を挟んだ。
「えっと、つまり、えー……心配しなくて大丈夫です。たぶん。さっき森で、密猟の――いや、密猟の人たちがいて、あと地面も、こう、ドンって……」
自分の声が高い。たぶん、と言った瞬間に、客席の「たぶん」が増えた。誰かが「地面?」と聞き返し、別の誰かが「竜でも起きるのか」と呟く。子どもの泣き声が一つ上がり、母親が「しっ」と抱きしめた。
ダグロスが振り向いた。視線が刃みたいに鋭いのに、声は低い。
「余計なことを言うな」
言われて、モティングの舌がしびれた。静かに暮らしたいのに、口が先に走る。自分でも止めたいのに止まらない。
「すみません!」
フレッドが、勢いよく手を挙げた。目の下に疲れの影があるのに、笑う形だけ作る。
「今の説明、俺が悪いです。俺、言葉を鍋の具みたいに放り込みすぎる癖があって。入れすぎると、味が分からなくなるんですよ。……ええと、つまり、怖がらせる話じゃなくて、今夜は戸を閉めて、集会所に集まればいい。番士が外を見ます」
「番士が、守ってくれるのか」
村の女が小さく言った。隣の男が「本当か」と続ける。フレッドは「本当です」と言いかけて、息を吸い直した。
「……本当です。俺が言い切ると嘘っぽいので、隊長が言ってくれます。隊長、お願いします」
フレッドが頭を下げると、集会所の空気が少しだけ緩んだ。笑いが一つ、喉の奥で弾ける音がした。泣いていた子どもが、母親の腕の隙間からこちらを覗いた。
デラックは、笑いに乗らなかった。腰の袋から小さな金具と油瓶を取り出し、灯りの柱へ近づく。指で柱を揺らして、きし、と鳴らした。
「釘、緩い。倒れたら火が回る。今すぐ締める」
彼女は村長に油瓶を押し付け、別の若者に金具を渡した。
「あなた、戸の蝶番に油。あなた、裏の物置の鍵、確認。あなた、井戸の蓋、閉める。散らばる。話は手を動かしながら」
村人たちは、反射みたいに立ち上がった。手に何かを持つと、人の目は前だけを見られる。誰かが「犬は?」と聞き、デラックは頷いた。
「犬は中。吠えたら合図。鎖、短く」
「わんばん……犬番ですか?」
モティングが真顔で言うと、村の青年が吹き出した。笑いが広がり、さっきまで硬かった肩が少し落ちた。
ダグロスは、その笑いの中で、もう一度前へ出た。大勢に向けて長く話す代わりに、目の前の一人ずつに言う。
「村長。南の柵、割れ目がある。そこに縄。今夜は外へ出るな」
「はい!」
「あなた。見張りは三人。交代は一刻ごと。笛が鳴ったら、火を消して集会所へ」
「わ、分かりました」
「あなた。子どもを奥へ。泣かせるなじゃない。抱け」
母親が、目を見開いてから、ぎゅっと子どもを抱きしめた。
言葉は短いのに、何をすればいいかだけが残る。村人たちは散っていき、集会所には油灯の揺れだけが残った。
モティングは、柱の影に腰を下ろした。干し肉の塩が口に残り、まぶたが重い。さっきまでの騒ぎが嘘みたいに遠い。
――寝るな。
頭のどこかが言う。けれど、薄い霧のような眠気が足首から這い上がってくる。
「裏……物置……二つ口……」
口が勝手に動いた。自分の声じゃない低さが混ざる。
フレッドが振り向いた。
「今、何て?」
モティングは歯を食いしばり、言葉を繋げた。
「裏の物置、出入りが二つ……たぶん……抜け道にされる」
デラックが、すぐに裏口へ向かった。木箱をどかし、壁の板を押す。確かに、外へ抜ける小さな隙間があった。彼女は金具で板を留め、油瓶を差し戻す。
「締めた。寝言、使える」
「寝言って言わないで……」
モティングが弱々しく抗議すると、デラックは毛布を投げてきた。受け取った瞬間、毛布の温かさが眠気に合図を出す。
ダグロスが戻ってきた。集会所の戸を閉め、外の霧を切り離す。彼女はモティングの肩のあたりを、指で軽く押した。叩かない。押すだけ。
「次は、たぶんを付けるな」
「……はい」
「村が不安になる」
それだけ言うと、ダグロスは外へ出る準備を始めた。背中は相変わらず大きい。けれど、さっきより少しだけ、集会所の灯りが彼女の背を柔らかく照らしている気がした。
フレッドが小声で囁いた。
「さっきの犬番、助かった。笑ったら、怖さが減る。……俺のせいにしておくけど」
モティングは、笑う力も残っていないのに、口の端だけ上げた。外で霧がうねり、森の方から、地面の下を転がる震えが、また一拍だけ響いた。




