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追放メシ屋ババカルは復讐より腹を満たす  作者: 乾為天女


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第18話 竜の怒り、咆哮の向こう側

 夜明け前、国境森ルーンウッドの上空で風が折れた。枝が鳴く音ではない。木そのものが、内側から軋む音だ。霧が一気に薄くなり、代わりに乾いた熱が流れ込む。松明の火が横へ引き伸ばされ、火の粉が雨みたいに降った。


 「町へ」

 ダグロスが言い、言葉の端を噛み切るように指を振った。

 「走る。先に知らせる」


 四人は見張り道を駆けた。足元の落ち葉が熱で反り返り、踏むたびにぱりぱり鳴る。モティングは息の白さが消えていくのを見て、喉の奥が冷えるのを感じた。冬なのに、森が夏みたいに息を吐いている。


 外縁の柵を越えると、境の町ミルナの灯が見えた。石畳の坂道を上がる途中、煙が風に押されて真横に流れている。家々の煙突からではない。森側の空が、薄赤く光っていた。


 「火事だ!」

 誰かが叫び、戸が一斉に開いた。寝巻きのまま飛び出す人、子どもを抱える人、荷車を引っ張り出す人。恐れが先に走り、足がついていかない。転び、泣き、怒鳴り声がぶつかる。


 フレッドは鍋を抱えたまま、広場の井戸へ向かった。走りながら、鍋の中の湯が揺れて甘い匂いが立つ。彼は井戸桶に湯を足し、蜂蜜を一さじ落とした。

 「飲んで。喉がやける前に。子どもから」

 泣き声の間に椀を差し込み、むせた人の背を叩く。声は震えるのに、手は迷わない。


 デラックは家々の間で立ち止まり、荷車の軸と車輪を一瞬で見て回った。

 「金具、締め直す。紐はこう。火の粉が落ちたら、布は燃える。濡らす」

 言いながら、腰の袋から薄い金属板を配る。屋根の縁へ差し込めば火の粉を跳ね返す簡易の庇になる。住民が目を丸くする。

 「魔法か?」

 「工夫だ。あと睡眠。寝てない顔が多い。倒れたら運べない」


 ダグロスは広場の中央に立ち、短い命令を石みたいに落とした。

 「北門。川沿い。老人、先。荷は一つ」

 言葉が少ないからこそ、迷いが止まる。人々が視線を合わせ、動き始める。誰かが勝手に荷を増やそうとすると、ダグロスが一歩だけ近づいて、低い声で言う。

 「一つ」

 それだけで、その人は荷を戻した。


 モティングは、町の端から森を見た。火の粉はまだ遠い。だが風が変われば、一瞬で届く。胸の奥がざわつく。眠気が、いつものように背中から抱きついてきた。

 「やめろ、今は……」

 口に出した瞬間、視界が滲んだ。熱と恐れで頭が重い。膝がふらつく。


 フレッドが駆け寄り、椀を押し付けた。

 「飲め。倒れるな。寝るなら、せめて言ってから寝ろ」

 「そんな無茶を……」

 モティングは椀を受け取り、ぬるい甘さを喉へ流した。すると、眠気がいっそう濃くなる。体が「今だ」と言っているみたいに。


 デラックが頷く。

 「寝言で道を当てるなら、寝るのも仕事だ。だが場所を選べ」

 ダグロスも一度だけ、短く言った。

 「俺が立つ。お前、探せ」


 モティングは壁に背を預け、石の冷たさを肩に感じた。遠くで森が吠えた。獣の声ではない。空気そのものが裂けて、喉の奥に振動が残る。耳の奥が痛い。人々が口を押さえ、子どもが泣き止む。


 その咆哮の向こう側へ、意識が落ちた。


 ――暗い根。赤い脈。誰かの手のひら。

 ――「怒りは、ここに集まる」そう呟く声。

 ――地面の下、石畳の外れ。川の曲がり角。古い水車小屋。

 ――そして、封印石から伸びる白い根が、一本だけ町の方へ潜り込んでいる。


 モティングは跳ね起きた。息が荒い。目の前で、フレッドが椀を支えている。デラックが金属板を叩いて火の粉の音を確かめ、ダグロスが北門へ向けて手を上げていた。


 「見えた」

 モティングは唇を舐め、乾いた声を絞った。

 「川の曲がり角の水車小屋の下……地面の中に、根が刺さってる。そこが熱の通り道だ。怒りが集まる場所だ」


 「水車小屋」

 ダグロスが復唱し、すぐに言う。

 「避難、そこを避ける。根を切るな。踏むな」


 デラックが眉を上げた。

 「根が町まで来てるなら、封印はもう町の暮らしと繋がってる。ここで怒りを逃がす道を作れば、森の火が弱まるかもしれない」


 フレッドが小さく笑った。笑ってしまってから、慌てて顔を拭う。

 「町の人に説明できるか? 水車小屋の下に根があるって」

 「できる」

 モティングは頷いた。自信ではない。さっき、誰かの手のひらの温度を確かに感じたからだ。

 「俺が言う。嘘はつかない。怖いって言いながら、でも今やるって言う」


 北門の方角で、火の粉が一段濃くなった。風が一度だけ町へ向かって吹き、屋根の上でぱちぱち弾ける音がした。


 ダグロスが剣の柄を握り直す。

 「行く。水車小屋。最短」


 四人は人波の横をすり抜け、川沿いへ走った。避難する人々の足音と逆向きに、熱の匂いへ向かう。モティングは胸の奥の眠気を、今だけは敵にせず、道しるべとして抱えた。



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