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追放メシ屋ババカルは復讐より腹を満たす  作者: 乾為天女


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第14話 これは本当にあった話、の嘘

 会議の熱がまだ指先に残るうちに、町の空は藍へ沈んだ。井戸の周りの足跡が凍り、戸板の隙間から冷気が細い刃みたいに入ってくる。物置の裏へ集まった四人は、息を白くしながら黙って手を動かした。


 デラックが小さな布袋を配った。揉むと、土と苦い草の匂いが立つ。

 「首と手首。香りを消す。火の匂いは残す」

 言いながら、彼女は自分の首筋に布袋を押し当て、指で布をねじった。


 ダグロスは扉の外を一度見ただけで戻った。短い指示が落ちる。

 「二人ずつ。影を踏むな。音は――」

 フレッドが口元を押さえ、くすりと笑った。

 「隊長、音は“出すな”ですね」

 ダグロスは眉を動かし、頷いた。言い切らないのに、頷きは迷いがない。


 町の外れの畑道を抜け、森の外縁へ入ると、遠くに橙の点がいくつも揺れていた。追手の野営地だ。焚き火の周りで男たちが肩を寄せ、鍋の湯気が夜の冷えを押し返している。馬の鼻息が、規則正しく白い。


 フレッドは背負い袋から小鍋を出し、蓋の隙間を指で確かめた。中は蜂蜜湯。甘い香りが少し漏れて、逆に目立つ。

 「差し入れの顔で近づく。腹が減ってる奴は、目も耳も鍋へ寄る」

 そう言いながら、彼は自分の喉を鳴らしてみせた。音が大きくて、モティングは反射的に肩をすくめる。


 モティングは瞼の重さと戦い、靴底の感触を数えた。土、枯れ葉、細い根。ところが十歩目で、柔らかいはずのものが乾いた音を立てた。

 ぱき。

 折れたのは小枝だった。


 全員が止まった。息が、喉の奥で固まる。野営地の端の見張りが顔を上げ、闇へ目を凝らす。モティングは目を開けたまま、眠りに落ちたふりをすることもできず、ただ動かないでいた。


 その瞬間、デラックが指先で小石を弾いた。ころり、と別方向で音がする。見張りはそちらへ首を振り、口を尖らせた。

 「ネズミか」

 吐き捨てて、火の方へ視線を戻す。


 モティングは胸の奥が熱くなって、危うく咳をするところだった。フレッドが肘で彼の脇を軽く押し、「今だよ」と言わずに言った。ダグロスが先に動き、影の薄い草むらへ滑り込む。モティングは遅れないよう、足裏をそっと置いた。


 指揮幕は焚き火から少し離れた場所にあった。布の隙間から灯りが漏れ、紙の擦れる音が聞こえる。二人の男が机に向かい、筆を走らせていた。脇には町の者らしい老人が座り、両手を膝の上で握りしめている。


 フレッドが鍋を持ったまま、幕の入口へふらりと寄った。

 「夜番さん、甘い湯だ。冷えると指が動かないだろ」

 声は柔らかい。けれど背中の筋は硬い。男の一人が顔を上げ、鍋を見て唾を飲んだ。

 「……お前、誰だ」

 「通りがかりの料理人。ここ、火が強いからね。湯はすぐ冷める。今のうちに」


 その隙に、ダグロスとデラックが幕の裏へ回った。布の縫い目の小さな切れ目から、デラックの指が入り、机の上の紙束を一枚だけ引き抜く。封蝋の赤が、灯りに濡れて光った。


 紙の一番上に、大きく書かれていた。

 ――これは本当にあった話。


 モティングの喉が、からりと乾いた。自分が何度も口にして、皆に笑われた言葉。森の匂いと一緒に、寝起きの頭から転げ落ちてくる言葉。それが、ここでは“悪者を作る見出し”として置かれている。


 机の前の老人が、震える手で筆を持たされた。

 「……番士の隊が、森の木を――」

 言いかけた老人の声を、書記が遮った。

 「違う。“見た”と言え。見た者の話が一番強い。監察官殿のお言葉だ」

 もう一人が、薄笑いを浮かべた。

 「書けば真実になる。紙は燃えない。人は忘れる」


 モティングの指が勝手に動き、布の端を握り締めた。布がきしむ音が出そうで、ダグロスが即座に彼の手首を掴んだ。握力が、言葉の代わりに「我慢しろ」と伝える。


 デラックは抜き取った紙の封蝋に、小さな金具を当てた。押し付けると、柔らかい蝋がへこみ、紋章の形が刻まれる。型取りだ。彼女はそれを布で包み、胸元へしまった。今夜の目的は、怒鳴り返すことではない。後で燃えない証になるものを持ち帰ることだ。


 フレッドは鍋の蓋を少し開け、湯気を強く立てた。

 「ほら、湯が逃げる。飲むなら今」

 男たちの視線が鍋へ吸い寄せられた瞬間、ダグロスが布の端を持ち上げ、モティングへ顎で示した。撤退。合図が短くて、助かった。


 四人は来た道を戻った。森の影が深くなるほど、野営地の灯りは小さくなる。耳の奥ではまだ紙の擦れる音が残り、モティングの胸の中で、あの見出しが何度もめくれた。


 町の境の倒木に腰を下ろした途端、モティングは息を吐いた。冷たい息が震え、頬が痛い。

 「……僕の言葉が、あんなふうに」

 声が、途中で折れた。瞼が落ちそうになるのは眠気ではない。見たくないものを、もう一度見たくないだけだ。


 フレッドが隣に座り、いつもの癖で口を開いた。

 「俺が悪――」

 そこで言葉を飲み込んだ。喉が鳴る。彼は自分の手の甲を見つめ、指を握って開いた。

 「……違うな。悪いって言って丸めたら、あいつらの紙が勝つ」

 フレッドはモティングの顔を見た。目を逸らさない。

 「お前の言葉は、あいつらの道具じゃない。森の根から拾ってきたんだろ。取り戻そう。お前の声で」


 ダグロスが立ったまま、周囲を見張る。短く言った。

 「返す」

 それだけ。けれど、胸の奥の凍りが少しだけ溶けた。


 デラックが包みを開き、蜂蜜湯を小さな杯へ注いだ。手が震えないよう、杯の底を両手で支え、モティングの掌に押し当てる。温かさが骨へ届く。

 モティングは黙って飲み、甘さが舌に広がるのを確かめた。


 「これは本当にあった話だ」

 小さく呟くと、フレッドが頷いた。ダグロスの影が、ほんの少し揺れた。デラックは次の杯を用意しながら、封蝋の包みを指で叩いた。持ち帰った形が、夜の中で確かな重みになっている。


 空の端が薄く白み始める。森の上にはまだ赤い靄が漂い、火ではない熱の気配が遠くで息をしていた。四人は物置の裏へ戻り、紙と封蝋を隠した。明け方の町の静けさの中で、笛の練習音が一度だけ鳴った。短く、風に紛れる合図だ。


 モティングはその音を聞きながら、眠りの入口ではなく、目覚めた後の言葉を準備した。嘘の見出しが先に立つなら、自分はその下に、消えない手順で真実を書き足すしかない。



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