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追放メシ屋ババカルは復讐より腹を満たす  作者: 乾為天女


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第11話 竜の怒りを解放する者

 深夜。納屋の藁の匂いの中で十息だけ目を閉じたはずなのに、モティングの口の中には土の味が残っていた。瞼の裏に、石の壁と濡れた縄の影が張り付いて離れない。 今夜の狙いは、交易伯が私兵に掘らせている地下の坑道――封印の根へ繋がる穴だ。


 「言え」

 ダグロスの短い声に、モティングは椀を置き、指で空中に道を描いた。町の地図を覚えたわけではない。ただ、眠りの中で見た「足運びの順番」だけが、手首に残っている。


 「川の石段から二つ目の橋。渡らずに下をくぐる。板の匂いが違う所がある……そこを押すと、土の階段」

 言い終えると、自分でも乱暴だと思った。けれどデラックが頷き、油紙の袋から細い縄を出した。フレッドは鍋の蓋を確かめ、湯気を殺す布を巻く。誰も「分からない」と言わない。


 町の裏側は月が届かず、川音だけが近い。石段の下で、モティングは板の継ぎ目に指を当てた。冷たい。湿気が手のひらへ吸い付く。押すと、わずかに沈んだ。

 デラックが小さな楔を差し込み、音を立てないように持ち上げる。土の匂いが吹き上がり、息が白くなった。


 下は人一人が通れる穴だった。古い水路か、逃げ道か。足元の泥は柔らかく、壁は苔でぬれている。フレッドが鍋を胸に抱えたまま、先に進む。

 「鍋は重いけど、落としたら終わりだからね」

 冗談にした声が、すぐに闇へ吸われた。


 穴は途中で石積みに変わり、鉄の扉に行き当たった。扉の向こうから、金属が叩かれる乾いた音が漏れてくる。人の息づかいも、二つ、三つ。

 ダグロスが指を二本立て、耳を壁へ寄せた。次に拳を一つ握る。いまは動くな、という合図だ。


 モティングは膝を抱え、息を細くした。眠気が背中を撫でる。こんなときに、と思うのに、体は勝手に「目を閉じれば安全だ」と嘘をつく。


 扉の隙間から、光が漏れた。誰かが向こうで灯りを上げたらしい。モティングは片目だけ開き、隙間へ顔を寄せた。


 地下坑道。天井は低く、壁には古い支柱。湿った石の上を、私兵らしい男たちが行き来していた。肩に革鎧。腰の紋章。交易伯の私兵だ。

 彼らは、地面から伸びる太い黒い根を引きずり出し、斧で叩いていた。根は木でも縄でもない。叩かれるたびに、赤い光が脈を打つ。


 その少し奥で、別の男が膝をついていた。衣の裾が整いすぎている。監察官の部下だと、モティングは直感で分かった。男は箱から金属の輪を取り出し、石柱に固定していく。輪には細い針が並び、内側に砂のような黒い粉が塗られている。

 男が低い声で言葉をつぶやくと、輪が淡く震えた。


 デラックが唇だけ動かす。

 「恐れを増やす呪具だ。……それを置かれたら、森の空気が変わる」

 フレッドの指が鍋の取っ手を握り直した。ダグロスは返事をせず、扉の閂を見た。


 「止める」

 ダグロスがそれだけ言って、扉へ手を伸ばした。


 閂が上がる寸前、モティングの胸がきゅっと縮んだ。怖い、というより、怖さを「思い出させられる」感覚。喉の奥が渇き、手のひらが冷たくなる。

 向こうの輪が、こちらに気づいたみたいに、震えを強めた。


 デラックが小さく舌打ちし、道具袋から針金を出した。

 「俺が輪を壊す。お前は根を見るな。目が吸われる」

 フレッドが鍋を抱えたまま、扉の前へ出た。

 「匂いで誤魔化す。……いや、誤魔化せるといいな」


 ダグロスが扉を押し開けた。湿った空気が顔に叩きつけられる。私兵が顔を上げ、斧を止める。

 「誰だ!」


 フレッドが一歩踏み込み、鍋の蓋をわずかにずらした。甘い湯気が広がる。

 「夜食です。腹が空くと、腕が鈍りますよ」

 言いながら、彼は鍋の底を石へ軽く当てた。ごん、と鈍い音。私兵の視線が鍋へ吸われた。


 その隙に、デラックが輪へ走った。針金で留め具をこじり、針を抜こうとする。ダグロスは私兵の前へ立ち、刃を抜かずに、道を塞ぐように腕を広げた。


 モティングは根を見ないようにした。なのに赤い脈が視界の端で跳ねる。胸が同じ速さで打つ。輪が、ぐっと光った。


 監察官の部下が笑った。声は小さいのに、耳の奥へ刺さる。

 「遅い。恐れは、もう流した」


 輪が鳴った。金属の輪が、鈴みたいに澄んだ音を出したのに、空気は逆に重くなる。次の瞬間、地下坑道の奥から熱い風が噴き上がった。支柱が鳴り、壁の苔が剥がれ落ちる。


 私兵の一人が叫び、斧を落とした。赤い根が、切れ目から煙を吐いた。煙は甘い匂いではなく、焦げた鉄の匂いだ。

 地面が、心臓みたいに一度、どくんと震える。


 「退け!」

 ダグロスが叫ばずに言った。叫ばないのに、足が勝手に動く声だった。

 フレッドが鍋を引き、デラックの襟を掴んで引き戻す。デラックの指は輪に触れたまま、最後に針を一本引き抜いた。輪の光が揺らぐ。しかし止まらない。


 熱風がもう一度来た。今度は皮膚が痛い。目の前が白くなる。モティングは膝をつき、反射で瞼を閉じた。


 闇が来た。闇の中で、巨大な息がした。湿った森ではない。焼けた石でもない。もっと古い匂い――乾いた骨、赤い土、遠い雷。


 ――眠るな。


 誰かが言う。さっき自分が言った言葉に似ているのに、声の大きさが違う。

 モティングは、眠りの底で、鎖を見た。鎖が胸のあたりへ食い込み、重いものが地面へ縫い付けられている。鎖の向こうで、金色の眼が開いた。怒りではない。痛みを隠して、睨む目だった。


 「……ここまで」

 鎖の音がそう言った気がした。


 モティングは跳ね起きた。頬に泥がつき、口の中が砂だらけだ。フレッドが彼の背を叩き、息を通す。

 「戻るよ。熱が漏れてる。森が起きる」


 坑道の入口へ走る間、熱い風が背中を追ってきた。地上へ出た瞬間、冬のはずの空気がぬるかった。川の水面が、湯気みたいに揺れている。

 遠く、国境森の方角で木々がざわめき、夜なのに鳥が一斉に飛び立った。


 デラックが歯を食いしばり、道具袋を握り締める。

 「輪の核が残った。……次は、森の中で止める」

 ダグロスは帳簿を胸に押さえ、町の灯りと森の闇を交互に見た。

 「避難路。食料。火」

 指が三本立つ。言葉は短い。けれど、やるべきことが一気に並ぶ。


 モティングは喉の奥の乾きを飲み込み、森の方を見た。さっきの金色の眼が、瞼の裏でまだ開いている。

 眠りは、ただの逃げではない。あの眼に近づく鍵だ。そう思った瞬間、足が震えた。怖いのに、目を逸らせなかった。



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