俺の人生 幼少期&小学生編
みとけよみとけよ
2006年10月2日
小林誕生
幼少期とにかく体が弱く小児喘息を患い過保護に育てられた。そのため外に出る時はずっとマスク、家でも毎日薬や吸入器を使っていた。喘息は僕に我慢をたくさん与えた。幼稚園では遠足などのイベントに参加した記憶がほとんどない。幼稚園の3年間で遠足に参加できたのは1度切りだった。行事の度に参加できないことが悔しく家で泣いて喚いて大騒ぎしていた記憶がある。特に年長の時にあったお泊まり会に行けない時はマジで一日中母親に泣きながら行かせろと言った記憶がある。母親もきっと病気の為とは言えこんなに喚き散らしてる息子をみてきっと胸が傷んだに違いない。そうだそうに決まってるな。
小学校に入ってからも僕と喘息の闘いは続いた。体調の悪い時は体育を見学したり外で遊ぶのもほとんど禁止だった。でも僕は無視して体育も参加したし外でも遊んだ。小学校3年生の時、母親に外で遊ぶなと言われた日に外で遊んでいて校庭に埋まってるタイヤと激突した。あまりの痛さに母親に頼んで病院に行ったが病院の先生になんで痛いのかと聞かれたが外で遊んで転んだなんて言ったら母親に怒られるに決まってるからなんて言えばいいのか困った記憶がある。
小学校では毎年マラソン大会があったが僕はマラソンが終わったあと毎回母親と保健室に行き
吸入器を吸ってから教室に戻っていた。年に一度のイベントだがそれが凄く嫌だった。皆が校庭にいる中自分だけ保健室に向かいその度にあいつどうしたんだとか言われて周りの目が気になってた。僕が周りの目を気にしてまう癖はきっとこの時の体験が原因なのかもしれないな。
とにかく目立つことが嫌で周りの目を気にしていた。雨の日の朝は、父親に学校を送ってもらうのが嫌だった。周りの友達は羨ましいと言ってきたが別に僕は嬉しくなかった。皆歩いてきてるのに自分だけ楽をしてるのは何だか申し訳ない気もした。もう少し生徒の少ない所で降ろしてくれればいいのに父親はいつも校門の目の前で僕を降ろした。なんで目立つ様なところで降ろすんだと当時の僕は思っていた。
そんな病弱であった小林少年だが今の陰キャっぷりからは想像できないほど明るい子供だった。何も考えて居なかったのでしょうね。
男女問わず誰とでも話していたしスーパーや児童館にいる知らない子ともすぐに仲良くなってしまう程だった。
そんな感じで病気はあったが明るく純粋な子供だった小学校時代だったと思う。
小学校時代で印象に残っていることを話そうと思う。長くなるけど聞いてくれ
1 返せなかった教科書
当時からそそっかしくて適当な性格だった俺はよく他人のものを持って帰ってきて親に怒られていたがこれはその中でも特にやばかった話だ。小学校1年生の時、僕は同じクラスの女の子の国語の教科書を間違えて持って帰ってしまった。すぐにその子に渡して謝ればいいのにそれが僕にはできなかった。なぜなら僕はあまりにも責任感がない。僕はその子の教科書を持っていることをすっかり忘れていたのだ自分の机の中にずっと入れっぱにしていた。そして1ヶ月ほど経って親がその子の教科書を見つけしぬほどキレられた。先生には呆れられた。
親に言われてその子に謝ったがその子はめちゃくちゃ優しかったのでその後も普通に遊んだ。ちなみにその子は今プロのサッカー選手になってるらしい。未来のスターに対して僕はとんでもない事をしていたようだ
2 パクられた赤白帽
今度は僕が他の人に物をパクられてしまった話。あれは小学校3年生の時です。体育の授業の時、赤白帽使いましたよね?ある日の授業で僕の赤白帽が突然消えました。結局見つからなくて授業ではなぜか鬼ごっこが開催され僕は帽子を忘れたからと強制的に鬼をやらされました。その後も帽子は見つからなかったため親に怒られながら新しい帽子を買ってもらいました。それからしばらく経ったころ。授業の自習中に突然先生に呼び出された。何かしたのかなと不安になりながら廊下に行くと当時僕が嫌いだったクラスメイトの男子が泣いていた。なんでこいつ泣いているんだろうと思ってると先生が説明しだした。先生が話した内容は消えた僕の赤白帽はこのクソガキが間違えて持って帰っていて親がそれに気づき先生に報告したということだった。クソガキは泣きながらごめんねと僕に謝っていた。ごめんねじゃなくてごめんなさいだろと思ったけどいいよと言ってやった。その後はそいつの親が買った少し高そうな赤白帽を弁償してもらったが触り心地が嫌だったのでいつも使ってる赤白帽を使った。
ここで聞いていただきたいのがこのクソガキがかなりのクズだということだ。赤白帽には僕の名前が書いてあったのだがガキは僕の名前をペンで塗りつぶして自分の名前を書き自分の帽子にしたのだ。小3のやることとは思えない計画的犯行だ。ガキは先生からの取り調べに対して、自分もその日を帽子がなくて探していた所教室に落ちていた僕の赤白帽を自分のと思って使ったが後から僕のであることに気づき塗り潰し事件を犯してしまったと供述していたらしいが僕は違うと思う。恐らく落ちていた帽子を拾った時点で僕の名前が書いてあるのは目に入っていたと思う。その上で名前を塗り潰し自分のモノにしたんだと思う。人のものを盗み名前を塗り潰した上に嘘をつく。元々仕切りたがりで偉そうで嫌いだったそいつの事が更に嫌いになったエピソードでした。
3 トイレで宿題
皆さんはトイレで宿題をしたことがありますか?僕は何回もあります。数え切れないぐらいした事があります。きっかけは小学五年生の時、宿題を忘れたのがきっかけ。音読カードとかいう教科書を親に向かって読み、親にサインを貰うというめんどくさい宿題が毎日あったのだがあまりにもめんどくさくなり自分でサインを書くことにした。今思えば家で勝手に書けばいい話なのだがそれもめんどくさいし親にバレたら怒られるかもと思って学校で書くことにした。どこでかって?トイレだよ。トイレのうんこする個室あるよな?あそこだよ。学校についたら腹に音読カードを入れて腹を抑えながら個室にダッシュで移動。そしたら適当にサインを書きまた腹を抱えて教室に戻る。ここからが大事。誰もみていないタイミングでサッと腹から音読カードを出し何食わぬ顔で係の人に提出する。どうだ天才だろ?これをほぼ毎日やっていたし友達にも進めていた。
また僕は途中から宿題を集める係の人にバレるのが怖かったため自分が宿題係になるというあまりにも天才すぎるプレーを披露。これで誰にもバレないと思っていたのだが僕の友人が他のやつに腹から音読カードを出すとこを見られたのだ。そいつは真面目系女子で先生にチクリやがった。友人は翌日の朝担任に呼び出されて別室に連れてかれた後、2時間目の授業が終わるまで戻って来なかった。相当怒られたようだ。休み時間僕の悪友はヤバいよ俺らも怒られるよと言って震えていたが一方の僕はアホなため図書室の漫画を読みながら大丈夫っしょっと楽観視していた。しかし悪友の読み通り先生はクラスのほぼ全員を呼び出し今回の件について散々キレた。また他にもやってる子がいたら先生に教えろと言いやがった。皆に進めていたいわば主犯格のような僕の名前が挙がらない訳もなく昼休み友人が呼ばれたあと順番に僕も呼ばれた。いつからやったの?何回ぐらいやったの?と10月ぐらいに2回やりましたと答えた。本当はいつから始めたかも覚えてないし数え切れないぐらいやった。親にも電話すると言われた。
しかし僕の親は僕が犯行を犯してることを知っていた。それでも特に止めることもせずまぁせいぜいバレないようになと言っていた。家に帰りすぐ母ちゃんトイレで宿題やってるのバレた。先生から電話くるって言ったら。あっそうまぁバレるとは思ってた。適当に謝っとくわと言われて終わった。なんて心が広い親なのだろう。お陰で親には怒られずに済んだ。翌日先生には親になんて言われたか聞かれたので悲しんでました。もう二度とやるなと言われましたと答えました。それからはさすがにトイレで宿題はやらなくなりましたがそんなに悪いことをしたとは思っていません。なんなら記念日です。先生にバレた1月24日はトイレで宿題記念日として毎年友人と集まって当時のことを語る会を開いています。来年で8周年です。そろそろどこ行くか考えようと思います。
疲れたので終わりにします。今度は中学生編もつくろうかなと思いますので気長に待ってください
みとけよみとけよ




