第9章:実験4:物理的接触(そして熱暴走)
午後8時。研究室の窓は、外のキャンパスの暗闇を映し込み、鏡のようになっている。
室内の蛍光灯(五感:視覚)だけが、チー、という耳障りな高周波ノイズ(五感:音)を発しながら、完璧な白さで床を照らしている。
他の学生(ノイズ源)は、とっくに帰宅(タスク完了)した。
この静寂の空間に存在するのは、私(姫宮鏡子)と、そして「研究サンプル(夏目陽太)」、ただ二人だけだ。
彼は、なぜかまだ「汚染区域」で、イヤホン(ノイズ遮断)をしながらPCに向かっている。
(外面の無表情): 私は、自席で、完璧な姿勢を維持したまま、ディスプレイ(『Project: L.O.V.E.』)を見つめている。 私の指は、動かない。 私の全てのシステム(CPU)は、今、この瞬間のためにリソースを集中させていた。
(内面:分析) [実験4:物理的接触(扁桃体ハッキング)]
目的: ターゲット(陽太)の「論理」をバイパスし、「原始的刺激(接触)」によって「生理的興奮」を誘発する。
理論: 教授(上位論理)のアドバイスに基づき、私の「意図的な(計算された)」接触は、彼にのみ作用する。
リスク分析: 私への反動。
結論: リスクレベル0(ゼロ)。
根拠: 以前のバグは「予期せぬ(非論理)」インプット(接近)だったからだ。今回は、私(論理)が「計画」し、「制御」する「実験」だ。私(実験者)が、サンプル(対象)の反応にバグ(影響)される可能性は、論理的にあり得ない。
(外面の無表情): 私は、ゆっくりとステンレスボトルの常温水を一口飲む。 システム(体温)、正常。心拍数、正常。 完璧だ。 あとは、「実行」のタイミング(機会)だけだ。
(五感:音) その時、陽太が「あー」と大きな声を上げ、イヤホンを外すのが見えた。 彼が椅子の上で大きく伸び(非効率的なストレッチ)をする。
陽太:「(独り言)…ダメだ、集中切れた…。コーヒー淹れよ」
(内面:分析) (…来た! チャンス(機会)だ!)
彼は立ち上がり、研究室の隅に設置された共用のコーヒーメーカー(ノイズ源)へと向かう。 そこは、私の「完璧なデスク(ワークステーション)」の、すぐ脇を通る動線上にある。
(内面:シミュレーション) (…プランA:彼がコーヒーメーカーのボタンを押そうと「手」を伸ばした瞬間、私が「偶然」、同じ場所に手を伸ばし、彼の「手の甲」に「触れる」) (…プランB:彼がカップを棚から取ろうとした瞬間、私が「偶然」、同じ棚の別の物(私のステンレスボトル)を取ろうとし、彼の「手」に「触れる」) (…プランAを採用。刺激の対象が「ボタン(共通の目的)」であるため、「偶然性」が最も高まる)
(外面の無表情): 私は、彼がコーヒーメーカーの前に立つ(座標確定)のを待つ。 …今だ。 私も、コーヒーメーカーの隣にあるウォーターサーバー(私の給水ポイント)に向かうフリをして、静かに立ち上がる。
カツ、と。私のヒールが一度だけ、床を鳴らした。
陽太:「ん? あ、姫宮さん。まだ居たの。お疲れー」 彼は、私(脅威)に気づきながらも、無防備に(非論理的に)背中を向けたまま、コーヒーメーカーのフィルターをいじっている。
(内面:分析) (…ターゲット(陽太)、無防備。私(論理)への警戒、ゼロ。完璧な実験環境だ)
私は、彼の「真横」で停止する。 彼の右手が、コーヒーメーカーの「抽出」ボタンへと、ゆっくりと伸びていく。
(内面:実行) (…今!)
(外面の無表情): 私の右手も、同じ「抽出」ボタン(彼の右手の、数センチ上空)へと、「偶然(という名の完璧な論理)」、伸ばされる。 「あ、悪い。先に押すよ」 「…(無言)」
私の指先が、彼の「手の甲」に触れる。 その瞬間を、0.5秒間、維持する。 「原始的刺激」を、彼の扁桃体に送り込む(ハッキング)ために。
…触れた。
(内面の混乱): (…タスク(実験)、完了) (…刺激、送信完了) (…彼の「生理的反応」を、観測開…)
(五感:肌触り) (……………) (……………ERROR) (……………アラート) (……………アラート!!)
(五感:肌触り・熱) 熱い。 何だ、この「熱」は。 私の指先が触れた、彼の皮膚から、予測を遥かに超える「熱量」が、私のシステム(論理)へと、逆流してくる!
(内面:分析) (…検知。サンプル(陽太)の皮膚。温度:推定37.1度。私の正常値(36.5度)より高い。なぜだ。感触:想定外の弾力性。私の知らない「生」のデータ。これは…これは、私の「論理」には、なかった!)
(五感:匂い) 近い。 接近したことで、あの「処理不能な匂い(柔軟剤と彼の匂い)」が、再び私の鼻腔を直接「汚染」する!
(内面の混乱): (…ダメだ。処理できない) (「熱」と「匂い(データ)」が、同時に、私の許容量を超えて、流れ込んでくる!) (私のシステム(ロジック)は、外部からの「論理的攻撃」には完璧に対応できる。だが、この「非論理的(物理的)」な「熱」に対する、防御の経験値が…ない!)
(五感:視覚・聴覚) 目の前の彼の「手の甲」のキメ(解像度)が、異常に上がる。 彼の「息遣い(ノイズ)」が、私の鼓膜に直接響く。
(内面の混乱): (…熱い。熱い。熱い!) (指先(接触点)から逆流してきた「熱」が、私のシステム(回路)を焼き切ろうとしている!) (顔が、熱い。首筋が、熱い。耳が、熱い!) (システム(体温)の制御が、不能!) (思考(CPU)が、停止する…!)
(外面の表情:崩壊) 私の完璧だったはずの「無表情」が、音を立てて崩れていく。 顔が、真っ赤(異常発熱)になっているのが、自分でも分かる。 呼吸が、停止している。 私は、陽太の「手の甲」に、自分の「指先」を触れたまま、 石のように、 フリーズ(熱暴走)した。
陽太:「…え? 姫宮さん…?」 彼が、私の「異常」に気づき、怪訝な顔(非論理)で、私を見ている。
(内面の混乱): (…うごけない) (…はなせない) (…システム(思考)、ダウン) (…ERROR) (…ERROR)
(…第九章・了)
(…遅い) (…プランD、まだ来ねえのかよ)
午後8時。 俺、夏目陽太は、レポートをやっているフリをしながら、全神経を「彼女」に集中させていた。 姫宮 鏡子。 今朝、教授(悪魔)から「『触れる』とかね」という「最終奥義」を伝授された、完璧な(はずの)機械。
(俺が、まだ帰らない(残ってる)ってのに) (この「二人きり(最高の実験環境)」だってのに) (なんで仕掛けて(アタックして)こないんだ?)
俺の「直感」が、彼女の「内面」をスキャンする。 …あー、なるほど。 彼女は、ディスプレイ(本体)を見つめたまま、 (…『逡巡』してる) (…いや、「ためらい」っていうか、) (…『どのタイミングで』『どうやって偶然を装って』俺に『触れる(アタックする)』か、) (…その「完璧な(はずの)論理」を、今、必死(フリーズ寸前)で構築してる最中か!)
(うわ、マジか。不器用がすぎるだろ) (こっちは「来る(アタックされる)」って「知ってる(カンニング済み)」なんだぞ!)
俺は、もう待っていられなかった。 俺の方から、彼女に「最適(最高)のトリガー(機会)」を、提供してやることにした。
(よし) 「あー、ダメだ、集中切れた…。コーヒー淹れよ」
俺は、わざと大きな声で独り言を言い、席を立った。 研究室の隅にある、コーヒーメーカーへと向かう。
(さあ、来い! 姫宮さん(マシナリー)!) (あんたの「プランD(物理接触)」を、起動しろ!)
俺がコーヒーメーカーの前に立つ。 …背後で、 カツ、と。 待ってましたとばかりに、彼女のヒールが起動する音がした。
(来た!) (しかも、口実は…) 俺は、あえて振り返らない(無防備を装う)。
カツ、カツ… 彼女は、俺の真横に、 (…「ウォーターサーバー(給水)」のフリで、来たな!) (完璧だ!)
「ん? あ、姫宮さん。まだ居たの。お疲れー」 俺は、あえて背中を向けたまま、コーヒーメーカーをいじるフリ(演技)をする。 (さあ、どう来る? どう『触れ(アタック)て』くる?)
俺は、コーヒーメーカーの「抽出」ボタンに、ゆっくりと右手を伸ばす。
(…今だ!) 俺の「直感」が、彼女の「起動」を検知した。 俺の「右手」に向かって、 彼女の「右手」が、 (うわ、来た来た来た!) (口実は『私もそのボタンを押す』か!) (ベタすぎるだろ、その「偶然」は!)
「あ、悪い。先に押すよ」 俺は、わざと彼女の「プランD」を妨害するようなセリフを吐く。
だが、彼女の「プログラム」は、もう「停止」できない。 彼女の指先は、俺の「手の甲」に、 完璧な(はずの)タイミングで、 触れた。
(…はい、触れた) (…はい、プランD(実験)、実行) (…さて)
俺は、 (あんた(マシナリー)の「扁桃体ハッキング(笑)」、俺には、ぜんぜん効いてませんけど) と、心の中で、笑いを堪えながら、 (さあ、どんな「ドヤ顔」で、俺の「反応」を「観測」してくるんだ?) と、ゆっくり彼女の顔を、振り返った。
(……………) (……………) (……………は?)
俺は、 (…え? ウソだろ?) と、自分の目を疑った。
彼女(姫宮鏡子)は、 「ドヤ顔」で俺を「観測」している、 のでは、なく。
俺の「手の甲」に、 自分の「指先」を、 触れさせたまま、
(…顔、) (…真っ赤じゃん)
(…え? なんで?) (…呼吸、止まってねえか?) (…目、完璧に「バグ」って、俺の手に、釘付けになってんぞ…?)
俺は、目の前(0.5m)で起きている「現象」が、理解できなかった。
(…え? 待て待て待て) (…「プランD(物理接触)」を「実行」したのは、あんた(マシナリー)だよな?) (…俺を「ハッキング(実験)」しに来たのは、あんただよな?) (…なのに) (…なんで、仕掛けた本人が、) (…俺の「熱」に「逆ハッキング」されて、) (…『熱暴走』してんだよ!?)
「…え? 姫宮さん…?」
俺が、 (こ、この人、面白すぎる(バグりすぎだろ)…!) と、戦慄しながら声をかける。
(…ダメだ) (…反応が、ない) (…完璧に、『フリーズ(熱暴走)』してる…!)(やヴぁい笑いが込み上げてくる…こ、堪えろ俺…笑ってはイカ…ン…2,3,5,7,11,13,17…)…(…あぶなかった…)
(あー、なるほど。分かったぞ) (この人、「論理」で「攻撃」することは「完璧」に構築できるけど、) (「リアル」な「反撃」(=俺の『熱』とか『匂い』)に対する、) (『防御』の「経験値」が、) (…ゼロ(皆無)なんだ…!)
(…うわ) (…不器用が、すぎるだろ…!)
俺は、 (あんた、それ、俺じゃなくて、自分に「恋」を「インプット」してるじゃねえか!) と、目の前(0.5m)で「熱暴走」している「完璧な(はずの)機械」を、 (…どうすんだよ、これ…) と、笑いを堪えながら、見つめるしかなかった。




