7章:実験3:自己開示(そして逆効果)
午後5時を回る。
研究室の学生(ノイズ源)の大半は帰宅(タスク完了)し、部屋には再び静寂が戻りつつあった。
傾いた西日(五感:視覚)が、床に長いオレンジ色の矩形を描き、空気中の微細な埃をキラキラと照らし出している。
昼休みに検知した「非論理的な弁当(汚染データ)」の匂いは、すでに空気清浄機によって浄化されている。
残っているのは、私(姫宮鏡子)と、そして「汚染区域」の主(陽太)だけだ。
(外面の無表情): 私は、ディスプレイ(『Project: L.O.V.E.』)から目を離さない。 だが、私の思考(CPU)は、次の実験計画(プランC)の構築に99%のリソースを割いていた。
(内面:分析) [ログ分析:実験1, 2] (私の「論理」は、彼(非論理)の「直感」に看破され、失敗した) [ログ分析:汚染者(咲希)] (汚染者(咲希)の「非論理(感情)」は、彼に「受諾」された)
(内面の混乱):(…なぜだ。なぜ「失敗作」が受諾され、私の「完璧な論理」が拒絶される? …分からない。だが、事実は一つ) (…彼(陽太)は、「論理」ではなく「感情(非論理)」に反応する)
(内面:分析) (…待て。私の思考が、まだ単純すぎた) (汚染者(咲希)が提供したのは「弁当」だけではない。彼女は「焦げた(失敗)」「変になった(欠陥)」という、自身の「弱点」を同時に「開示」していた) (…これか?)
私は、高速でデータベース(論文)を検索する。 …あった。 『対人関係における自己開示(Self-Disclosure)の返報性』。
(内面:理論) (「自己開示」…自らの「弱点(脆弱性)」を相手に提示する行為。これにより、相手は「自分だけが知っている」という優越感と「信頼(感情)」を抱き、結果として「親密性」が構築される) (…これだ。これこそが、汚染者(咲希)が使った「非論理的アプローチ」の正体だ)
(内面:結論) (私の「論理」が看破されるなら、私も「非論理(感情)」のロジックを使用するまで) (実験プランC:自己開示(脆弱性の提示)。実行する)
(外面の無表情): 私は静かに椅子から立ち上がる。 カツ、と。私のヒールが一度だけ、床を鳴らした。
(五感:音) 私が近づくことで、陽太のキーボードを叩く不規則なタイプ音が、ピタリと止まる。 彼は、私の「異常な行動(タスク外の移動)」を、即座に検知した。
(内面の混乱):(…システム(心拍数)、正常。以前の「接近」とは違う。これは「私」が「計画」した行動だ。私は、完璧に、制御されている)
私は、彼の「汚染区域」の真横で停止する。 彼は、椅子に座ったまま、私を(警戒するように)見上げていた。
陽太:「…うわ、姫宮さん、どうしたの。怖いんだけど。俺、また何か提出忘れてる?」 彼の声は汚染者(咲希)に向けた、あの「弛緩しきった」声とは、全く違う。 私に対する「警戒」の音だ。
(外面の無表情): 私は、彼を見下ろす。 「いや。タスク(レポート)の問題ではない」 「…じゃあ、何?」 「今から、私は『自己開示』を実行する。君に対する、私の『脆弱性』の開示だ」 陽太:「…じこかいじ?」
(内面:シミュレーション) (…よし。彼(非論理)のシステム(思考)が、私の「論理的な単語」によって混乱している。計画通りだ) (今から、私は私の「最大の弱点」を、彼に提示する) (シミュレーションA:彼は「そんなことないよ」と慌てて否定する) (シミュレーションB:彼は「そうだったんだ…」と私に同調(感情)する) (いずれにせよ、「親密性」は構築される。完璧だ)
私は、息を吸う(システム(肺)に酸素(燃料)を供給)。 そして、私の「核データ」を開示した。
「私は、感情が薄い」 「…うん」 「私のシステム(思考)は、論理的な処理に最適化されている。その結果として、人の機微(感情ノイズ)に疎い。他者が、なぜ笑い、なぜ怒るのか、その論理的な因果関係が、私には理解できない」
(外面の無表情): 私は、完璧な「無」の表情で、彼に私の「致命的な欠陥」を提示した。 さあ。 シミュレーションA(否定)か、B(同調)か。 彼の「バグ(感情)」を、観測する。
陽太は、私の顔を、数秒間、じーっと見つめていた。 彼の猫っ毛が、西日(オレンジの光)に透けている。
(五感:視覚) 彼の瞳が、私(姫宮鏡子)という「データ」を、スキャンしているのが分かった。 そして、彼は、私の完璧なシミュレーション(A, B)の、どちらでもない「答え(エラー)」を返した。
彼は、 ふっと、 息を吐くように、 笑った。
陽太はあっさりと答えた「うん、知ってたよ」
(内面の混乱): (…………………) (…………………は?) (…………………ERROR) (…………………ERROR) (…ナニヲイッタ? イマ? 『シッテイタ』?) (『シッテイタ』? 『シッテイタ』!?) (…処理不能。処理不能! 処理不能!!)
(外面の無表情): 私の体は、1ミリも動かない。 瞬き(まばたき)すら、忘れていた。 私の内面(思考)だけが、秒間数テラバイトの「エラーログ」を吐き出し続けている。
(内面の混乱):(…私の『自己開示』は、彼(非論理)にとって、『新規データ(脆弱性)』ではなかった…?) (…私の『最大の弱点(切り札)』は、彼にとっては『既知の事実』だった…?) (…汚染者(咲希)の『焦げた卵焼き(些細なバグ)』は、彼にとって『新規の好意』として受諾された) (…私(姫宮鏡子)の『中核的な欠陥(致命的バグ)』は、彼にとって『知ってた(無価値)』として処理された…?)
陽太は、私の「フリーズ(思考停止)」に気づかず、悪気なく(非論理的に)続けた。 「だって、姫宮さん、分かりやすいもん」 「…(フリーズ)…」 「いつも俺や教授のこと、『非論理的だ』って顔に書いてあるし」 「…(フリーズ)…」 「あ、今も、『なんでコイツは私のロジック通りに反応しないんだ』って、めちゃくちゃ分析してるでしょ?」
(内面の混乱):(…私の「外面」すら、彼(非論理)には「看破」されていた…!?)
(五感:肌触り) 全身の血の気が、急速に引いていく。 指先(末端)が、再び冷えていく(エラー)。
(内面の混乱):(…完敗だ。私の「論理」は、彼(夏目陽太)という「非論理」の前では、何一つ…何一つ、通用しない…!)
(外面の無表情): 私は、ゆっくりと彼に背を向けた。
「…データの開示は、完了した」 「あ、うん。お、お疲れ…?」
私は、カツ、カツ、と。 規則的な(しかし、そのリズムはコンマ0.1秒だけ乱れていたかもしれない)ヒールの音(五感:音)を立てて、自席に戻った。
実験3:自己開示(プランC)。 結果:論理的、完全敗北(TOTAL FAILURE)。
(…第七章・了)
(…来ない) (…プランC、まだ来ないか)
午後5時過ぎ。 研究室の空気は、昼間の「カオス」が嘘みたいに静まり返っている。 俺、夏目陽太は、レポートをやっているフリをしながら、全神経を「彼女」に集中させていた。
姫宮 鏡子。 昼休み、俺の「汚染者(咲希ちゃん)対応」によって「論理的な(はずの)嫉妬」を検知し、「Enterキー叩き潰し」という分かりやすい「エラー(熱暴走)」を起こした張本人。
(あれから4時間) 彼女は、ずっと「無」の表情で、ディスプレイと向き合っている。 だが、俺の「直感」は騙されない。
(絶対に、何か(プランC)を企んでる) (あの「嫉妬」を「解消」するために、昨日まで(プランA, B)とは比較にならない、『超弩級のズレたアタック』を、構築してるに違いない)
俺は、彼女がいつ「動く」か、ワクワクしながら待っていた。 西日(光)が、彼女の「完璧な白衣(結界)」を、オレンジ色に染めている。
(…あ、動いた)
カツ、と。 静かな研究室に、彼女のヒールが起動する音が、響き渡った。 来たぞ、プランC!
俺は、PCから顔を上げない。 彼女が、俺に、どのような「奇策」を仕掛けてくるか、待つ。
カツ、カツ、カツ… (うわ、まっすぐこっちに来る) (てか、プレッシャーが、昨日までと違う。なんか、こう…『絶対に失敗しない』みたいな、機械の『決意』を感じる)
彼女は、俺の「汚染区域」の真横で、停止した。 俺は、ゆっくりと顔を上げる。
「…うわ、姫宮さん、どうしたの。怖いんだけど。俺、また何か提出忘れてる?」 (昨日、Enterキー(八つ当たり)叩き潰した人が、何の用ですか?) という、俺の「皮肉」は、もちろん口には出さない。
彼女は、俺を、完璧な「無」の表情で見下ろしていた。 (あ、これ、昨日までの『実験(お遊び)』とは、違う) (この人、本気だ)
「いや。タスクの問題ではない」 「…じゃあ、何?」
彼女は、 (え、今、息、吸った? ロボット(マシナリー)も呼吸すんの?) と、俺が観測するほどの「間」を作ってから、 彼女の「完璧な論理(プランC)」を、宣言した。
「今から、私は『自己開示』を実行する。君に対する、私の『脆弱性』の開示だ」
(……………) (……………は?) (…『じこかいじ』?)
俺は、一瞬、思考がフリーズした。 (なんだそれ? プランC、『自己開示』!?) (あー! もしかして、昨日、咲希ちゃん(汚染者)が『焦げちゃって(弱点)』って言った(自己開示)のが『成功』したとでも『分析』したのか!?)
(うわ、マジか! この人、面白すぎるだろ!) (心理学の教科書の、1ページ目(基礎)から、律儀にやり直してやがる!)
俺の「笑い」が、喉まで出かかった。 だが、彼女の「大真面目」な「無表情」を見て、俺はそれを必死で飲み込んだ。
(よし、聞こうじゃないか) (あんたの『完璧な論理(プランC)』を) (あんたの、その『脆弱性』とやらを)
俺は、彼女の「自己開示」を待った。 彼女は、完璧な「無表情」のまま、 彼女の「核」に触れる「データ」を、開示した。
「私は、感情が薄い」 「…うん」 (知ってる)
「私のシステム(思考)は、論理的な処理に最適化されている。その結果として、人の機微(感情ノイズ)に疎い。他者が、なぜ笑い、なぜ怒るのか、その論理的な因果関係が、私には理解できない」
(……………) (……………) 静寂。
(…え? それだけ?) (…それが、あんた(マシナリー)の『切り札(プランC)』?)
俺は、 (いやいやいやいや) と、頭を抱えたくなった。
(姫宮さん(マシナリー)よ) (あんた、それ(感情が薄くて機微に疎い)、俺に、バレてない(新規データ)とでも思ってたのか!?)
俺は、彼女(姫宮鏡子)という「不器用の塊」の、「ズレっぷり」に、もう、感動すら覚えていた。 (ダメだ。ダメだこの人) (『完璧』を装ってるのに、全部が『ダダ漏れ』だ)
俺は、彼女の「大真面目」な「無表情」を見つめ返す。 彼女は、俺が「そんなことないよ」とか「そうだったんだ…(共感)」とか、そういう「教科書通り」の「反応」を、完璧な「無表情」の下で、全力で期待しているのが、俺の「直感」には、バレバレだった。
(あー…) (…なんか、もう、からかうのも、可哀想になってきた) (…教えてやるか。あんたの「プランC(実験)」が、スタート(開始)時点で「失敗」してるってことを)
俺は、ふっと、息を吐いて、笑ってやった。 「(あっさりと)うん、知ってたよ」
(……………) (……………あ)
俺が「真実」を告げた瞬間。 彼女が、 今世紀最大の「フリーズ(思考停止)」 を起こしたのを、俺は検知した。
(うわ、固まった) (昨日(プランB)の『暗闇フリーズ』より、ヤバい) (昨日(プランA)の『接触フリーズ』より、深い) (体は「無表情」で立ってるのに、中身だけが、完全に「停止」してる)
(あ、ヤベ。ちょっと「真実」が、強すぎた(クリティカルヒットした)か?) 俺は、悪気なく、「追撃」の「真実」を、インプットした。
「だって、姫宮さん、分かりやすいもん」 「…(フリーズ)…」 「いつも俺や教授のこと、『非論理的だ』って顔に書いてあるし」 「…(フリーズ)…」 「あ、今も、『なんでコイツは私のロジック通りに反応しないんだ』って、めちゃくちゃ分析してるでしょ?」
(…あ) (…ヤバい。フリーズ通り越して、顔が、「絶望」に染まってきてる) (彼女の『切り札』は、俺に『ゴミデータ』として処理されたのが、そんなに「ショック」だったのか…)
(…うわ、この人、マジで、不器用がすぎるだろ…)
「…データの開示は、完了した」 彼女は、フリーズしたシステムを、無理やり再起動させ、俺に背を向けた。
「あ、うん。お、お疲れ…?」
カツ、カツ、と。 彼女のヒールの音が、遠ざかっていく。 そのリズムは、 (あ、乱れてる) 昨日(プランB)よりも、さらに乱れて(バグって)、 (…てか、ちょっと、泣きそうじゃね…?) と、俺に思わせるほど、弱々しい音だった。
俺は、 (あーあーあー。また「フリーズ」させちまった) (プランC、不発(大失敗)かよ) (…さて) と、一人研究室に残り、 (…彼女、『プランD(次の手)』、まだ持ってる(残ってる)のかな…?) と、彼女の「不器用さ」が、ちょっとだけ「可哀想」で、でも、やっぱり「最高に面白い(エンターテイメント)」と、笑って観測してしまった。




