第6章:姫宮 鏡子の「論理的」な嫉妬
研究室の空気は、昼休み特有の弛緩したノイズで満たされている。
他の学生たちの非生産的な雑談。
食べ物の匂い(汚染データ)。
その中心で、私の「研究サンプル(陽太)」が、ライバル(後輩・咲希)の差し出した「非論理的な物体(欠陥品=弁当)」を、嬉々として摂取している。
(外面の無表情): 私は、自席のディスプレイ(『Project: L.O.V.E.』)から1ミリも視線を動かさない。
私の指は、完璧な速度とリズムでキーボードを叩き、次の実験プランCの構築に従事している。
…少なくとも、外面上は。
(内面の混乱): (…うるさい) (…ノイズ(雑音)が、ひどい)
私の聴覚は、論理的な思考を妨害する「音」を、シャットアウト(遮断)できないでいた。
咲希:「あ、その卵焼き、ちょっと甘すぎませんでしたか?」
陽太:「んー? うまいよ、これ。俺、甘い卵焼き、結構好きだし」
咲希は甲高い声で「ほんとですか! よかったー!」
(内面:分析) [分析1:味覚エラー] ターゲット(陽太)は、「焦げ(失敗)」と「過剰な糖分(非論理)」を、「美味い(成功)」と判断した。彼の味覚は、論理的に破綻している。 [分析2:非生産的会話] 「好き」という感情データ(ノイズ)の交換。そこには何の論理的価値も、情報的価値も存在しない。無意味だ。
(内面の混乱):(…不愉快だ。なぜ私は、この「無意味なノイズ」を、これほど「不愉快」だと処理(判断)している? 私のシステム(思考)が、このノイズ(会話)にリソース(CPU)を割かれている。非効率だ。シャットアウトしろ。プランCに集中しろ)
私は思考を強制的にプランCに戻そうとする。 だが、その時。
(五感:視覚) 私の視界の端が、決定的な「異常データ」を検知してしまった。
陽太が、ライバル(咲希)に向けている「表情」。 それは、私が(分析対象として)観測してきた、彼のどの表情とも違っていた。 研究室で教授や山田くんと話す時の「人懐っこい笑顔(対外用)」ではない。 私(鏡子)の実験を「看破」する時の、あの「面白い(興味)」という表情でもない。
それは、システム(思考)の全てのリソースを解放し、何の警戒も介在しない、完璧に「弛緩しきった」…「気を許しきった」表情だった。
ドクン。
(内面の混乱):(…!?) (…なんだ、今のは。システムアラート。まただ。以前、彼に接近された時と同じ「心拍数の異常」) (だが、今回は違う。接近されていない。匂い(データ)も熱も検知していない。なのに、なぜ!?)
(五感:肌触り) 私の指先が、急激に冷えていく(エラー)。 キーボードを叩く指に、無駄な力が混入し始めた。
(内面の混乱):(…不愉快だ。不愉快だ。不愉快だ! この感情は、いったい何だ!?)
私は、即座に「自己分析」モードに移行する。 この強烈な「不快感」の原因を特定しなければならない。
(内面:分析) [仮説1:空腹] 私の摂取した「完璧な栄養ゼリー(論理)」が、あの「非論理的な弁当(感情)」に劣っていた? [棄却] あり得ない。私の栄養(PFC)バランスは完璧だ。
[仮説2:環境ノイズ] あの二人の「会話(音)」が、私の集中を妨害している? [保留] 可能性は高い。だが、それだけでは、この「心拍数の異常」を説明できない。
[仮説3:…?] …分からない。 私の「論理」では、この「バグ」の発生源が、特定できない。
(内面の混乱):(…待て。思考を変えろ。この「不快感」は、非論理的な「バグ」ではないとしたら?) (…そうだ。これは「論理的」な反応だ)
(内面:論理の再構築) (…分かった。そうか。この「苛立ち」は、「論理的」なものだ) (私の『Project: L.O.V.E.』は、完璧な「論理」に基づく、科学的な「実験」だ) (その「実験」の成否は、使用する「サンプル(陽太)」の純粋性(データの一貫性)に、100%依存する) (だが、今、何が起きている?)
(結論): 私の「研究サンプル(陽太)」が、予期せぬ「外部ノイズ(ライバル・咲希)」によって、著しく「汚染」されている!
(結論): あの「非論理的な弁当(バグの塊)」が、サンプル(陽太)の基礎データ(健康状態・味覚・思考)を汚染すれば、私の今後の実験(プランC以降)で得られるデータ(反応)の純粋性(信頼性)が、確保できなくなる!
(内面:結論) (…そうだ。これだ。私が今感じているこの強烈な「不快感」は、「嫉妬」などという非論理的で下等な「バグ」ではない) (これは、私の完璧な「研究」が、外部要因によって妨害されたことに対する、**当然の「怒り(論理的な苛立ち)」**だ!) (私の「研究サンプル(所有物)」を、勝手に汚染(横取り)するな!)
(外面の無表情): 私の内面が「論理的な怒り(バグ)」でアラートを鳴らす中、私の外面(指先)は、完璧に「無」を維持していた。
…いや、維持できていなかった。
ターンッ!!!
(五感:音) 私の右手の小指が、計算を超えた力(怒り)で、「Enter」キーを叩き潰した。 静かな研究室に、不自然なほど大きく、鋭い打鍵音が響き渡る。
「「!」」
陽太とライバル(ノイズ源)が、ビクッとして一斉に私(エラー源)を見る。
(外面の無表情): 私は、完璧なポーカーフェイスで、ディスプレイ(『Project: L.O.V.E.』)を見つめ続けている。 指一本、動かさない。 私の「内面の混乱(怒り)」など、誰にも気づかせるものか。
陽太:「…(小声で)…姫宮さん、機嫌悪いのかな…」 咲希:「(小声で)…こ、怖い…」
(内面:決意) (…プランCの実行を、早急に(ASAP)前倒しする) (あの非論理的なノイズ源が、これ以上私の「サンプル(所有物)」を汚染し、私の「完璧な研究」を妨害する前に) (私の「論理」で、彼(陽太)を完全に「攻略(制御)」しなければならない)
私のディスプレイには、新たな実験計画(プランC)の文字が、冷たく浮かび上がっていた。
(…第六章・了)
(…うわ、フリーズしてる)
俺、夏目陽太は、目の前で「よかったー!」と無邪気に喜んでいる咲希ちゃん(ウサギ)に相槌を打ちながら、全神経をデスクの「彼女」に向けていた。
姫宮 鏡子。 彼女は、俺が咲希ちゃんの「欠陥品(焦げた卵焼き)」を「受諾」した、あの瞬間から、1ミリも動いていない。
(スゴイな…) 彼女の「完璧な無表情」は、一切崩れていない。 ディスプレイを見つめたまま、まるで「私は、あなた達の非生産的な会話など、一切検知していません」と言わんばかりの、完璧な「無」だ。
(…いや) (…ウソだな)
俺の「直感」が、ビンビンに警告を鳴らしている。 彼女の背中から、とんでもない「圧」が放出されている。 それは「怒り」とも「焦り」とも違う… もっと冷たくて、重い…
(…あ。あれだ) (『なんで私の「完璧な論理」は失敗して、あの「非論理的なバグ(焦げ)」が成功してんのよ』) (っていう、「論理的な(はずの)混乱」だ)
(うわ、面白すぎだろ、この人!) (「嫉妬」してる。絶対「嫉妬」してるぞ、あの機械!)
咲希ちゃんが「じゃあ、また明日も作ってきますね!」とかいう、更なる「爆弾」を投下してきた。 「あ、いや、マジで悪いから!」 俺は、慌ててそれを制止する。
(頼むから咲希ちゃん(ウサギ)、もう帰ってくれ…!) (これ以上、背後の「エラーログ」を蓄積させないでくれ…!)
「えー」とか言う咲希ちゃんを研究室から追い出し、ようやく静寂が戻る。 …いや、戻っていない。
研究室には、俺と、姫宮さん(フリーズ中)の二人きり。 彼女は、まだディスプレイを見つめたまま、動かない。
(…再起動、遅いな) (「焦げた卵焼き」の「論理的分析」に、そんなにリソース食われてんのか?)
俺が、自分のカップ麺を片付けようとした、その時。
カチ、カチ、カチ…。
(お、動いた) 彼女の指が、キーボードを叩き始めた。 そのリズムは、 (…うわ) いつもの彼女通り。 メトロノームみたいに正確で、冷徹なタイピング音だ。
(…なんだ) (…俺の「直感」、外れたか?) (「嫉妬」じゃなくて、ただ、俺と咲希ちゃんがうるさかったから、一時的に「フリーズ(思考停止)」してただけ…?)
俺は、 (…つまんね) と、少しだけ「残念」に思いながら、自分のレポートに向き直ろうとした。
カチ、カチ、カチ…
(…………ん?)
俺は、動きを止めた。 (…いや、待て) (…違う)
リズムは、完璧だ。 だが、 音が、違う。
さっきまでの彼女のタイピング音は、もっと「静か(クリーン)」だった。 だが、今、俺の鼓膜を叩いている音は、 (…うるさい) (…いや、「うるさい」じゃない。「強い」だ)
カチ、カチ、カチ… 彼女は、完璧な「リズム」を維持したまま、 完璧に「ブチ切れ」ながら、 キーボードを叩きつけている。
(うわ、マジか!分かりやすすぎだろ!) (完璧な「無表情」で! 完璧な「リズムで! 全力で「怒り」をキーボード(八つ当たり)にぶつけてやがる!)
俺は、声を出して笑いそうになるのを、必死でこらえる。 (最高だ、姫宮鏡子!) (あんた、それ、俺が「汚染(咲希ちゃんの弁当)」されたから、「めちゃくちゃ」に「キレてる」んだろ!)
俺は、彼女の「完璧な(はずの)フリーズ(熱暴走)」を、固唾を飲んで見守った。 彼女の「論理(理性)」が、彼女の「非論理」に、いつまで耐えられるか。
カチ、カチ、カチ…
(…あ、もう限界だ) 彼女の右手の小指が、不自然に持ち上げられる(チャージ)のが、スローモーションで見えた。
(来い…!)
ターンッッ!!!!
(うおっ!) 俺の肩が、ビクッと震える。 静かな研究室に、彼女の「論理(理性)」が、完全に「ブッ飛んだ」音が、響き渡った。 今の「Enter」キー、絶対死んだ(壊れた)だろ。
…シーン。 彼女は、 (…ウソだろ) キーボードを叩き潰した(物理ハック)張本人が、 何事もなかったかのように、 完璧な「無表情」のまま、 ディスプレイ(フリーズしたPC?)を、 じーーーーーーっと、 見つめ続けている。
(…いや、無理だって!) (姫宮さん、あんた、今、完璧に「キレ」てたじゃん!) (完璧に「無表情」してるフリしてるけど、あんたの「内面」、今、真っ赤だろ!)
俺は、もう、笑いをこらえるのを、やめた。 (あー、面白い) (プランC、絶対来る) (しかも、この「論理的な(はずの)嫉妬」を、解消するために、) (絶対、昨日までより、もっと「ズレた」な「実験」を仕掛けてくるぞ!)
俺は、机(汚染区域)に突っ伏し、 「(…ふ、ふふ…)」 と、声を殺して笑いながら、 「(…早く来い、プランC)」 と、「面白い機械」の「次の実験」を、心待ち(ワクワク)にした。




