9話 路地裏の問答
「あ、あの、ゼノフォード殿下!」
通りの喧騒から一歩外れた裏路地。その古びた石畳の上で、アルノーは唐突に口を開いた。
「殿下がここに来たのって、本当はカジノが目的じゃなかったんすよね?」
妙に確信めいた光を宿した視線を向けてくるアルノーに、ゼノフォードは白金の髪を弄っていた手をぴたりと止めた。
「……君が何を考えているのかは知らないけど、さっきも言った通り、僕の目当てはカジノだ。
僕みたいに美しく煌びやかな人間には、華やかな場こそ相応しいからね」
「じゃあ、そのカジノって、どこにあるんすか?」
即座に返された問いに、ゼノフォードは一拍沈黙した。が、すぐに何気ない調子で言葉を繋ぐ。
「……北の方だよ」
だがその一瞬の間を、アルノーは見逃さない。
「もっと詳しく教えてほしいっす。通りの名前とか、近くのお店とか、なんでもいいんで」
「通りの名前は……トオーリ・ノ・ナマーエ」
「そのカジノの名前は?」
「カジノ・ノ・ナマーエ」
「……殿下、自分で言ってて苦しくならないんすか?」
「……」
ゼノフォードは答えに窮して押し黙った。その沈黙は、なにより雄弁だった。
「やっぱり、カジノが目当てじゃなかったんすね」
呆れと僅かな憤りを込めて、アルノーは小さく首を振った。
「そもそも、こんな貧民街にカジノなんてなさそうな気がしてたっす」
「わかったよ、僕の負けだ」
ゼノフォードもまた、深く息を吐いた。
素直な敗北宣言を受けて、アルノーは姿勢を正し、改まった声で尋ねる。
「じゃあ結局、なんで殿下はこんな貧民街に来たんすか?」
「決まってるだろう? カーニバルを見に来たのさ。
ゴンドラに揺られながらパニーニをつまみつつ、煌びやかな祭りを――悪かったよ、そんな顔しないでくれたまえ」
往生際悪くなおも見え透いた嘘を口にするゼノフォードに、アルノーの目がゆっくりと半眼になっていく。
その視線に根負けするように、ゼノフォードは肩を落とし、観念したように打ち明けた。
「……兄上の暗殺未遂事件。その実行犯を突き止める手掛かりが欲しくて、ここに来たんだ」
アルノーは眉を顰めた。
「第一皇子殿下って、ゼノフォード殿下にとっては政敵じゃないんすか?」
「まったく。だから言いたくなかったんだ。僕はクローディアス的な立場だと思われているだろうから、弁明するのが面倒なんだよ」
「クローディアス?」
「シェイクスピアの悲劇『ハムレット』の元凶、兄を暗殺して嬉々として王になった、王位簒奪者さ」
「シェイクスピア、よく知らないんすよねぇ」
「まあいいや。
とにかく悪いけど、僕はこれでも平和主義者なんだ。人の、それも肉親の死を喜ぶ趣味は持ち合わせていないんだよ」
そう言って、ゆっくりと頭上を仰ぎ見た。
――高く伸びた壁の隙間から、陽光が一筋だけ差し込んでいる。
「それに僕だって皇子だ、今回の件は他人事じゃない。僕も自分が可愛い、死にたくないんだよ。
だというのに、皇子の暗殺を試みるような連中が野放しだなんて、精神衛生上、よろしくないからね。わかるだろう?
だけど『ちょっと貧民街に行ってくるよ』なんて言えば、あの手この手で止められるだろうからね。――こうするより他なかったんだ」
その物言いは相変わらず軽く飄々としていたが、やはり確かな芯があった。
アルノーは黙って聞いていたが、納得しきれない表情のまま言葉を返した。
「誰か、もっと……警察とかに頼ればよかったんじゃないっすか?」
「へえ、警察ねえ」
ゼノフォードは皮肉めいた笑みを浮かべ、先ほど遭遇した汚職警官の顔を思い出すように目を細めた。
「あれを見た後で、そんなことが言えるなんて。君は逞しいね、アルノー君」
「あ、あれは……たまたまっす! 皆が皆、あんなんじゃないっすよ!」
「あの汚職警官はともかくとして。
わざわざ僕が依頼なんてしなくても、警官は既に、皇室と協力して捜査を進めてる。だけど難航しているってことくらい、君も知っているだろう?」
「じゃあ、せめて騎士の誰かに相談するとか」
「あわや兄上を守り損ねるところだった君たちに、命を預けろって?
謎の英雄君が兄上を助けてくれなかったら、いまごろは兄の葬儀をしていたところだったんだよ。悪いけど頼りないね」
「それは……耳が痛いっす」
アルノーは言い返せずに目を伏せた。
ゼノフォードは、やれやれといった顔で肩を竦めて口を開いた。
「とにかく。誰にも頼れないから、僕は自分で暗殺の実行犯を突き止めることにしたってわけさ」
「実行犯に繋がる手掛かりが、この貧民街にあるってことっすか?」
「あればいい、と思っている程度だよ。ここには、オスヴァルトが話に出していたマフィア組織『ピエトラ』に関する手掛かりがありそうなのさ」
『ピエトラ』という言葉に、アルノーは茶髪を掻きながら眉を寄せた。
「ピエトラって――オスヴァルトさんが捜査を撹乱するために言っているんだと思ってたっすけど――。
もしかして本当に、暗殺の実行犯はピエトラってことなんすか?」
「それはないだろうね」
きっぱりと、ゼノフォードは首を横に振った。
「もし本当にピエトラが実行犯なら、オスヴァルトは仲間を売ったことになる。
でもそんなことをすれば、捕まったピエトラの連中に、計画への関与を暴露されかねない。わざわざ自分の首を絞めるような真似はしないさ。
君が言ったように、捜査を撹乱するための嘘――その可能性の方がずっと高い。
ところでさ。オスヴァルトが、『いくらでもいるであろう犯罪集団の中から、わざわざ“ピエトラ”を選んだ』のは、なんでだろうね?」
「適当に知ってるマフィアの名前を挙げただけなんじゃないっすか?」
アルノーの言い分ももっともである。ゼノフォードは「かもね」と肯定しつつ続けた。
「だけど、こういう可能性も考えられると思わないかい?
――『ピエトラを暗殺計画の実行犯に仕立て上げようとした』って」
「何のために?」
「ピエトラを壊滅させる、ないし打撃を与えるためじゃないかな。本来の実行犯から目を逸らすついでにね」
ゼノフォードは記憶を探るように目を細めた。
「五年前、ここトルカーナで事件があった。容疑者は、ピエトラの構成員。被害者はリリー・アイゼンブルクという女性だったらしい」
「……アイゼンブルク?」
アルノーは聞き覚えのある名に合点がいったらしい。ゼノフォードは頷いた。
「そう。オスヴァルトのファミリーネームと同じなんだ」
これだけの材料があれば、導き出される答えは単純明快。アルノーは口を開いた。
「その女の人って、きっとオスヴァルトさんの家族っすよね。オスヴァルトさんがピエトラに恨みを持っていたとしてもおかしくない。
だから、ピエトラを暗殺の実行犯に仕立て上げて罰しようとした」
「そう。仮説としては、辻褄が合うだろう?
あくまでも可能性の一つに過ぎないけどね」
ゼノフォードは腕を組んで、背後にあった街灯に寄りかかった。
「もっとも、その五年前の事件や、そもそも『ピエトラ』自体が、今回の暗殺未遂事件とどこまで関係しているかはわからない。
知りたいのはあくまでも『暗殺計画の実行犯』なんだけど、そこから攻めていくしかないんだ。現状『ピエトラ』って名前以外に、手掛かりがないんだよ」
まずはどんなに小さくても、もしくは中心から離れていてもいい。手掛かりというパズルのピースを集めねば、組み立てるのは不可能なのだ。
「とりあえず、手掛かりを探す。見つかるかどうかは運次第さ。
まあそういうわけだから、君は帰りたまえ」
「な、なんでっすか!? ここまで聞いて、帰れるわけないっすよ!」
「心配しなくても、物見遊山でふらふらするわけじゃないんだ」
「その方が、まだマシだったっす!
マフィアを探ろうとしてる人を放っておけないっすよ!」
ゼノフォードはこの頑なな騎士を一瞥し、諦めたように踵を返した。
「……面白くなくても、文句は受け付けないよ」
こうして二人は足並みを揃え、歩き出した。
往来に並ぶ古びた家々。路地裏には干された洗濯物が湿気を帯びた風に揺れ、雑多な匂いが鼻をかすめる。
子どもたちの笑い声と犬の吠える声、それに混ざるように、大人たちの会話が断片的に耳へ届いてきた。
「――第一皇子殿下の暗殺未遂があったんですって」
「誰かが第一皇子を間一髪で救ったらしい。皇室は、その英雄を突き止めようとしているんだとかなんとか」
「まだ実行犯は捕まってねぇらしいぜ。高額な報奨金をかけて、情報を集めているって話だ」
それらの噂話は、ゼノフォードにとっては既知のものばかりだった。新聞も報じていたし、城内の混乱は記憶に新しい。
だが次に耳にした話は、少し趣が異なっていた。
「おい。『ピエトラ』がよォ、最近この辺の店を襲ったらしいじゃねェか」
「それ本当か?
『ピエトラ』がそんな悪事を働くとは思えないな。
あの連中は密輸や賭博経営で稼いでるらしいけどよ、他人に直接危害を加える、なんてことはしないって聞いたぜ」
ゼノフォードは歩きながら、何気ない顔でそれらの声に耳を傾けていた。
「『ピエトラ』のイメージが、人によってまるで違うな」
ゼノフォードの呟きに、アルノーは肯定した。
「少なくとも、噂話だけでどんな組織かを判断するのは、難しそうっすね」
そのとき。
――バン!
思案に沈む二人の耳に、突然けたたましい音が飛び込んできた。
鋭い金属音と、木製の扉が激しく弾け飛ぶ音。
それに続いて、皿やグラスの割れる高い音と、怒号が路地にこだまする。
「酒と食いモンを持ってこい! 俺たちは――『ピエトラ』だァ!!」
ゼノフォードとアルノーは、その店に見覚えがあった。
「まずいっす! あのお店……!」
アルノーの声に頷き、ゼノフォードは眉を寄せた。
「……さっきの店じゃないか!」




