83話 その語り手は
鈍い衝撃音が、建物の外壁を震わせた。――何か重いものが、硬い地面に叩きつけられた音だった。
直後、外から甲高い悲鳴が響き渡る。
ゼノフォードは、扉のように開いた文字盤の縁に手をかけ、身を乗り出すようにして下を覗き込んだ。
――動かないドレイガーが、地面に横たわっていた。
「――何が起きた」
階段の方から、硬質な靴音が連続して響いた。かと思うと次の瞬間、扉の向こうからアルノーが「殿下ぁ!」と叫びながら飛び込んできた。
その後ろからエルンストと、制服姿の警察官が二人、慎重な足取りで室内に入ってくる。さらに数秒遅れて、魚屋の父娘が現れた。
ゼノフォードは、そんな周囲の喧騒を遠くに感じながら、しばらくその光景をぼんやりと見つめたあとで、再びドレイガーの遺体に視線を移した。
「――飛び降りた――」
――なぜ。
(ドレイガーの今までの話は――懺悔)
――そう、懺悔だった。
彼が語った言葉はきっと、ゼノフォードの口から、この事件の事情聴取をする警察に伝わることを想定して語られたものだったのだろう。
(僕を代弁者として、真実を世に知らしめるための――遺言だった)
ドレイガーは、さぞ無念だったことだろう。
彼が己の所業を後悔したきっかけは、グレイだったというのに。
よりによって、その当人であるグレイを殺害してしまうとは。
(――ん?)
――違和感があった。
その正体はまだわからないが、何かがおかしい。
そもそも、ドレイガーが言っていた。
『だが逃げ惑ううちに、やがて気が付いたのだ。
「機密情報を国外に流出させることが叶わなくとも、加害者である私が語る言葉ならば、事実として真実味が増す」――ということに』
と。
本人も言っているとおり、地位も指揮権もあるドレイガーの立場ならば、わざわざ機密情報を持ち出さずとも、自らの証言だけで十分に“真実味”を帯びさせることができるはず。
それなのに、なぜ彼は危険を冒してまで情報を持ち出そうとしたのか?
証拠として必要だった?
だとしても、『外患罪』という国家反逆級のリスクを背負う可能性があるのに、踏み切る理由があったのか?
その点が、どうにも腑に落ちない。
――それから。
「……アルノー君」
ゼノフォードは振り返った。
すぐ背後で、心配そうな色を浮かべている緑色の瞳と目が合う。
「今朝買った新聞を見せてもらえるかい」
その目が、きょとんと見開かれた。
「え、新聞っすか?」
ゼノフォードの意図が読めないのだろう、その顔には疑問と懐疑の色が浮かぶものの、アルノーはすぐに小脇に抱えていた新聞を手渡した。
「はい、これっす!」
ゼノフォードはその新聞を半ば引ったくるように受け取った。
そして、ドレイガーの事件――新聞の一面に書かれているその記事を、今一度読み直す。
〈元准尉ライナー・ドレイガー逃走 国家機密持ち出し容疑〉
帝国軍の元准尉ライナー・ドレイガーが、国家機密を無断で持ち出し他国に売却しようとした疑いで指名手配された。
逃走の際、ドレイガーは一等兵ヴァルド・グレイ氏を殺害。遺体の顔には深い傷が残っており、怨恨による犯行の可能性もあるという。警察は外患罪・殺人罪の容疑でドレイガーの行方を追っている。
「――そう。この部分だ」
『逃走の際、ドレイガーは一等兵ヴァルド・グレイ氏を殺害。遺体の顔には深い傷が残っており、怨恨による犯行の可能性もあるという』
「……おかしい」
ドレイガーの話からすれば、どう考えても彼がグレイに恨みを持っていたとは思えない。
むしろ、グレイを殺害してしまったことに深い罪悪感を抱えているようだった。
そんな相手の顔を、『怨恨による犯行か』と疑われるほどに傷付けたりするだろうか?
(それだけじゃない)
今思えば、ドレイガーの話そのものがおかしい。
偵察をしたグレイが、その内容を上官であるドレイガーに伝えること自体は、何ら不思議なことではない。
だが、かといってノルカやトゥアとの赤裸々な出来事や、私的な話の詳細まで話すだろうか?
『特産品の酒を店に出すか出さないか』だとか、『学校がどうだった』とか――それらは明らかに報告義務のない、任務に関係のない話だ。
何よりグレイの立場からすれば、戦闘活動の撤回を進言するにあたり、私情が含まれていると看做されれば不利になる。
むしろ、話すのを避けようとするはずだ。
それに。
『たった一夜だった。
だが――それで充分だ。心を通わせるにはな』
『――守りたいと思ったそうだ。
彼女と、彼女の子供と。
そして、彼らの日常を――』
話を聞いただけに過ぎない、第三者である代弁者が、ここまで語れるものか?
そう、一連のドレイガーの話の視点は――。
そして、ドレイガーの服装。
軍服姿で、首には『ライナー・ドレイガー』と
名の書かれたドッグタグ。そして胸には、『ライナー・ドレイガー』の階級――准尉の階級章。
だが、そんなものはいくらでも――。
「まさか――!」
ゼノフォードはセーブ画面を開いた。
そして。――ロードした。
□□□
――時間が巻き戻り、光が収束する。
同時に、ゼノフォードは駆け出した。
文字盤の形に、壁に開いた穴。
その前に立つ男が、今。
下界に身を投げた。
――ゼノフォードは、掴んだ。
男の手首を。
「ぐ……ッ!」
重い。
大の大人、それも軍人という隆々とした体躯の男を掴むには、ゼノフォードの小柄な子供の体はあまりに華奢過ぎた。
当然、引き上げるだけの力などない。男は宙吊りの状態だが、これが限界だ。
「う……ぐッ!」
自分までずり落ちてしまいそうだ。
ゼノフォードは、壁際にある文字盤を固定するための金具にもう片手を掛けた。
時計塔の外。下の方で、自分たちの有様を見ているらしい人たちから、恐怖の悲鳴が上がる。
確認している余裕はないが、「殿下!」という叫び声や、エルンストのものと思しき指示の声、そして多数の足音から察するに、アルノーたちがこちらに向かっているのだろう。
ほんの少し。ほんの少しだけ辛抱すれば――。
「なぜ――」
ゼノフォードの手元で、男が小さく声を漏らした。
ゼノフォードは、腕が引きちぎれそうな痛みに歯を食いしばりながら、答えた。
「――なぜ、じゃない」
痛みと苦しみに滲む涙で光る紫水晶の瞳を、男に向ける。
「言いたいことがあるんなら!
自分の口で言え、馬鹿が!!
僕を代弁者にしたところで、僕にできるのは『代弁』でしかない!
おまえが見た地獄は、おまえにしか語れないんだよ!!
なあ、そうだろう?
――ヴァルド・グレイ!!」
ドレイガーは――いや、グレイは。
目を見開いた。




