81話 罪人の記憶
『帝国』とは、皇帝という支配者のもと、複数の地域や民族を支配下に置く国家のこと。
だが他国を『支配下に置く』にはどうすればいいか。
すべてが平和的な交渉で済むわけではない。ならば、他にどんな手段がある?
――戦争である。
「あのときライオライトはな。バソルト連邦を支配下に置くために、戦争をしていたのだ。
当時私は、任務でトルヴァン州という場所に赴いていた」
バソルト連邦の中でも、山々に囲まれた細長い地形――トルヴァン州。
谷間に広がる閉鎖的な地域。資料によれば、三、四万人程度の住民が生活を営んでいたという。
その説明を聞きながら、ゼノフォードが問う。
「任務っていうのは、戦闘かい?」
「そうだ。
もっともすぐに戦闘はできなかった。何せトルヴァン州というのは周囲は山。崖も多く、地理的に不安定だからな。
だから私は、ヴァルド・グレイという男の隊を偵察にやった」
(ヴァルド・グレイは確か――)
ゼノフォードは、ここに来る前に見た新聞記事を思い出した。その中に、『ヴァルド・グレイ』の名があったはずだ。
そこには、こう書かれていた。『逃走の際、ドレイガーは一等兵ヴァルド・グレイ氏を殺害』と。
(逃走の際に、ドレイガーが殺害した男か)
ドレイガーはまた話を続けた。
「グレイ曰く、トルヴァン州は予想通り戦闘に不向きな地形だった。谷は狭く、隊列を組むことすらままならない。 一度砲撃が始まれば、逃げ場はない。崖に囲まれ、退路も限られている。
だが一番の問題は、地盤が脆いことだった」
過去に何度も崖崩れが起きた痕跡があり、砲撃や爆発の衝撃で容易に崩落が起きる可能性があった。
「そう思っていた矢先、大雨が降り出した。
そして予測通り――崖崩れが発生した。グレイの隊は、丸ごと飲み込まれた。
だが、彼は助かった。彼の話によると――現地人の女性に救われたのだと」
『家に来るといい』
女性は、弱っていたグレイに声を掛けたのだそうだ。
『こういうときは、軍人のサバイバル術を過信して無謀なことをするより、現場をよく知る現地人に従うほうが、生存率が上がるんだよ』
『結構だ』
だがグレイは断ったらしい。敵の世話になるなど、軍人の名折れだ――そう思ったのだろう。
『だったら、さっさと自分の軍に戻りなよ。――ほら、戻りな』
『……』
『できないだろ? だったら大人しく、現地人の言うことを聞いときな』
彼女の名は、ノルカといった。
酒屋を営んでいる。
未亡人ということで夫はいなかったが、一人息子トゥアと平和に暮らしていた。
「彼女は敵兵であるグレイを家に招き入れ、避難させてくれた。そして嵐が過ぎるまで、一夜の宿を恵んでくれたのだ」
グレイはバソルト連邦――敵国の郷土料理を初めて口にした。こんな機会がなければ、一生味わうことのないものだっただろう。
そして、トゥアから話を聞いた。
今日は嵐だったために、学校が早く終わったのだということ。
その分、宿題が沢山出されたのだということ。
面倒ではあるが、来年の受験のために勉強に励まなければならないのだということ。
トゥアにせがまれて、グレイも話をした。
ライオライト帝国には大きな城があること。
帝都リテンハイムは美しい街だということ。
しかし、トゥアには軍人の話などあまり面白くなかったようで、途中から船を漕ぎ始めた。
それを見て、グレイはトゥアをそのまま寝かせることにした。
それからグレイは、ノルカから酒を勧められた。敵地で酒など、と断ったが。
『バソルト連邦の特産品のウイスキーなんだぞ?
ウチの店で取り扱うか、決めないといけなくてな。テスターになってくれるかい』
だということで、一杯だけ飲ませてもらった。
――だが、なかなかの味にグレイは顔を顰めた。
『他所様ご自慢の特産品にこう言ってはなんだが、あんまり――俺の口には合わないな』
『ふうん。じゃあ、珍味ってことで売ることにしよう。来週には店に出すか』
『なんだ、結局売るつもりなのかよ』
『別にいいじゃないか』
酒を飲むグレイを見ながら、ノルカは言った。
『――ライオライト帝国は、このバソルトを支配下に収めようとしているんだな』
グレイが何も返さなかった。それを肯定と捉え、ノルカは続ける。
『別に、ここがライオライトになっても構わないさ。支配者が誰になったっていい。ただ――』
ノルカは、眠りにつくトゥアがいる寝室の方を見やった。
『日常が脅かされるのだけは御免だ』
市街地が戦場になるとき、忘れてはならないことがある。
そこには、ごく当たり前の日常が存在していたということだ。
『上官に伝える。ここは戦場に向かない、と』
グレイは、心配そうなノルカにそう返したという。
『君は来週、このクソ不味い酒を店に並べられる。
トゥアは来年、受験を受けて良い学校に行ける。
――必ずだ』
――必ず、平和な未来が来る。
そう伝えて、安心させたかったのだ。
『ここが戦地になることはない。
俺がそうさせない。
だから――安心してくれ』
「たった一夜だった。
だが――それで充分だ。心を通わせるにはな」
グレイは任務中であることも忘れ、あまり美味くない酒を楽しんだ。
ノルカもまた、満更でもなさそうだった。
「――守りたいと思ったそうだ。
彼女と、彼女の子供と。
そして、彼らの日常を――」
嵐が去った翌日、グレイはノルカとトゥアの家を後にした。
「きっとまた戻ってくる、と。そう彼女に言った――と、彼は話していた」
そしてグレイは、ライオライト軍の拠点である古城へ向かった。
「グレイは、私にすべての出来事を報告してきた。
トルヴァン州は、偵察隊が全滅するほどに、地理的にも地盤的にも戦場に不向きだと。
そしてこの地には多くの住民が暮らしており、戦闘活動など行おうものなら崖崩れが発生して、民間人に多数の犠牲者が出かねないとな」
「へえ」
ゼノフォードはふと思うことがあり、口を開いた。
「敵国といえども、民間人には危害が及ばないようにしているんだね」
「まあな。この国は軍事法で、そう定められてるのだ」
ドレイガーの返答に、ゼノフォードは記憶を辿った。
(現実世界でも、民間人の殺害を禁じる国際人道法がある――)
このあたりを定めているのはざっくりと二つ、『ハーグ法』と『ジュネーブ法』だ。
違反しても罰則が科されることは稀だが、経済制裁や他国からの非難という形で、間接的に制裁が加えられることになる。
(ドイツやフランスなんかは、国内法としてジュネーブ法の遵守を定めているし。おかしい話じゃないか)
「――だがな」
ドレイガーの声で、ゼノフォードは我に返った。
「戦闘に向いていようが向いていまいが、関係ない。
トルヴァン州を、ひいてはバソルト連邦を占拠しないことには、祖国に帰ることなどできん。
だから私は――『武力行使以外の方法で州を制圧する』ことにした」
その意味を察しきれず、ゼノフォードは首を傾げる。
ドレイガーは――ぐっと眉を寄せた。
「グレイの話によれば、簡単な衝撃でも崖崩れが起きるだろうとのことだった。
ならばと私は――今思えば、なんと恐ろしいことだろう――山中で爆弾を破裂させることにしたのだ!」
轟音。地面が揺れるほどの衝撃波が広がり、山が爆炎に飲み込まれる。山の斜面が轟音と共に崩れ落ち、巨大な石塊が渓谷へと雪崩れ込む。
そして谷間にある村には、岩や倒木が降り注いだ。屋根が砕け、壁が崩れ落ちる音が連続して響き、煙が立ち上った。
爆発の余韻が収まると、土砂が川のように渓谷を下り始め、全てを押し流していった。
「予想通り、トルヴァン州は制圧できた。多数の現地人の犠牲もあったがな。
私は満足だった。だが――爆発を見たのだろう、異変を察して駆けつけてきたグレイの姿があった」
グレイは、呆然とそれらを見渡していた。
山の上から岩や木々、そして建築物とともに降ってきている、人。
それらに押し潰され、無惨に散らばる、人――。
土砂に押し流されて谷に流れ込んだ、人――。
「山中の爆発を見たグレイは、確信したのだろう。
この崖崩れは、ライオライト軍の仕業なのだと」
この地は戦地に向いていない、とグレイは進言したはずなのに。
ここを戦地にすることなどしないと、ノルカに約束した筈なのに。
「ノルカとトゥアは無事なのかと。グレイは心配になったのだろう。
そしてその嫌な予想は――的中した」
グレイが一夜を過ごした、静かな日常の象徴しだったノルカの家は、土砂と岩、そして木の下敷きになり、元が立体物だったことが信じられないほどに潰れていた。
その下に、子供――ノルカの一人息子トゥアだろう、その小さな姿があった。
「トゥアは――死んでいた。
そしてノルカは――」
グレイは見渡した。
そして、売り物だったであろう割れた酒瓶が散乱し、アルコールの匂いが立ち込める中に、その姿を見つけた。
『何があった!』
『……何があったか、だって?
アンタが一番よく知ってるんじゃないか』
ノルカは、自身を瓦礫の下から引っ張り出そうとするグレイの手を払い、言い捨てた。
『アンタ、言ってたじゃないか。
ここが戦地になることはない、って。
私は来週、酒を店に並べられる、って。
トゥアは来年、良い学校に行ける、って』
ノルカは――恨みの込められた目で、グレイを見上げた。
『――大嘘つき』
ぐさり、と。
ノルカは割れた酒瓶で、グレイの腕を突き刺した。
『恨むよ、アンタのことを』
そう言った後で、『だけどな』と。
ノルカの顔が、瓦礫に押し潰されている下半身の痛みと、息子を失った悲しみ、そして――グレイへの複雑な心情で、くしゃりと歪んだ。
『本当に、おかしな話だけどな。
――情が、湧いちまった。
アンタのこと――恨みきれない』
ノルカの手が、グレイに刺した瓶の欠片からふっと離れて、力なく地面に落ちた。
『――嫌いじゃなかったよ』
ノルカは、息を引き取った。




