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異世界のフィクサー ―城を追われた転生皇子は裏社会で王になる―  作者: 紫音紫


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8話 貧民街の悪者

 城の警備が最も手薄になる夜明け前、ゼノフォードは密かに皇子宮を抜け出した。

 かつてゲーム開発者だったころ、UIデザインの確認中に城のマップを目にしたことがあり、そこに記されていた隠し通路の存在を思い出したのが功を奏した。

 ゼノフォードはそのまま、『リテンハイム』と呼ばれる帝都の城下街へと向かった。


 まず立ち寄ったのは、朝早くから開店している一軒の服屋。そこでゼノフォードは、地味な黒のローブを一着買い求めた。

 元々着用していた衣服のボタンに帝国の紋章が付いていたためだろう、店員に身元を悟られてしまったらしく「ゼ、ゼノフォード殿下!」と妙に恐れられてしまった上に、大幅に値下げをしてくれた。

 十中八九、本来の『ゼノフォード』の面倒な性格が、城下まで噂として伝わっているせいなのだろう。


「悲しいね、まったく」


 心を痛めつつも、値下げはありがたいので、そのまま購入させてもらった。


 店を出ると、早速そのローブを羽織る。光沢のない布地にすっぽりと身を包んだ姿。通りすがりの誰も、この地味な人物が皇子だとは思うまい。


「せっかくの美しい顔を隠すのも、これで二度目か」


 独りごちると、ゼノフォードは通りで馬車を拾い、運転手に行き先を告げた。


「トルカーナまで頼むよ」


 馬車は古びた木製の車体で、車輪の軋む音が乗り込む前から耳についた。扉を開けると、内装は薄暗く、座面のクッションは擦り切れていて、ところどころ藁が覗いている。

 ゼノフォードは身をかがめて、その粗末な馬車に乗り込んだ。扉が閉まると同時に馬の蹄が石畳を叩く音がして、馬車が動き出した。


 車体は、思いのほか揺れた。背もたれに身を預けると、硬い木の感触が背中に伝わってくる。


(――トルカーナ、か)


 五年前の新聞記事に記されていた、貧民街の地名である。


《貧民街トルカーナにて殺傷事件発生。容疑者は、マフィア組織ピエトラの構成員。被害者はリリー・アイゼンブルク》


 第一皇子暗殺計画に加担し、ピエトラを実行犯に仕立てようとした侍従オスヴァルト。彼と同じ姓を持つ女が、ピエトラに殺されたという事実。

 無関係とは到底思えなかった。


(調べてみないとな)


 だが、こうして馬車に揺られていると、やがて後悔の念が首をもたげてきた。


(……だるい)


 現代の快適な自動車に慣れた身にとって、馬車の揺れは予想以上に苛酷だった。


「――現代社会の、自動車業界で働いているすべての人に、心から感謝したい気分だ」


 座っているだけでも酔いそうな不快さに、思わず窓を開け、身を乗り出して新鮮な外気を肺に吸い込んだ。


「……これで少しはマシになればいいんだけど。空気は綺麗だし……何せ、誰一人いない大自然の中だからな」


 酔いの気怠さから、美しい顔を台無しになるほどに歪め、大あくびをしながらそう呟いた、その瞬間だった。


 ――なぜか、人間と目が合った。

 誰一人いないはずの、大自然の中で。


□□□

「それで?

 いくら僕が美しいからって、尾行は感心しないね。ストーカー行為は控えてもらえるかい」


 目的地、貧民街トルカーナ。

 馬車を降りたゼノフォードは、すぐ後ろで馬から下りた青年を振り返り、非難がましい目を向けた。

 青年は自身の茶髪を掻きながら、困ったように身を縮こまらせていた。


「ち、違うんす! 自分、ストーカーじゃなくて……!」


 茶髪で長身。顔は整っている方ではあるかもしれないが、しかし他に特にこれといった特徴はない。

 それでもこの青年に、ゼノフォードは見覚えがあった。


「君、姉上の護衛だね?」


 この青年は、オスヴァルトの一件でゼノフォードを取り押さえ、ヒルデガルトが訪ねてきた際に彼女に同行していた、護衛騎士だ。

 もっとも、ゼノフォード――あるいは“輝石”は、この青年をデザインしていない。『ヒルデガルトの護衛』という役割を持つキャラクター設定の資料を読んだ覚えもない。

 要は、ゼノフォードにとって彼は『情報がない人物』だった。


「名前は?」


「ア、アルノーっす! アルノー・リーベンタール!」


「アルノー君。

 今はファンサービスには応じていないんだ。ストーカーしてくれたところ悪いけど、お引き取り願えるかい?」


「だから、ストーカーじゃないって言ってるじゃないっすか……!」


 抗議しながらも、アルノーは観念したようにぼそぼそと語り始めた。


「その、ヒルデガルト様が……ゼノフォード殿下についていけって」


 なるほど、とゼノフォードは納得した。

 うまく誤魔化したつもりだったが、オスヴァルトの件もあってか、ヒルデガルトは彼が単独で動くことを見抜いていたのだ。


「……案外、過保護な人物なのかな。意外だね。

 まあ、護衛じゃなくてお目付け役ってことなのかもしれないけど」


 とはいえ、悪名高い碌でなしのゼノフォードに同行するなど、アルノーにとっては不本意であろう。

 現に、恐れと戸惑いが入り混じった表情の奥に、かすかな不機嫌さが滲んでいた。


「ゼ、ゼノフォード殿下。この辺りは物騒っすよ。護衛も連れずに、なんでこんな貧民街なんかに……」


 アルノーの問い掛けに、ゼノフォードは答えに窮して逡巡した。


(『ピエトラについて調べに来た』なんて正直に話すつもりはない)


 『マフィアに接触しようとしている』などと知られれば、どう転ぶかわからない。いずれにせよどう受け取られたとしても、良い解釈はされないだろう。

 それに。


(危険なことに、ヒルデガルトと彼女の関係者を巻き込むつもりはない)


 ゼノフォードは、自身が皇帝となる未来を避けるべく、第一皇子を皇位に押し上げるつもりでいる。

 だが、万が一の事態――たとえば、第一皇子が本当に暗殺されてしまうなど――が起きたとき、保険となるのは第一皇女ヒルデガルトなのだ。


「――なんでこんな貧民街に来たのか、だったかい?

 カジノだよ」


 ゼノフォードは、軽く誤魔化すようにこう答えた。


「知ってるかい?

 世界初のカジノっていうのは、運河の街にできたんだってさ。さぞ趣があって美しかったことだろう。興味深いよ。

 その雰囲気だけでも味わってみたくてね」


 このトルカーナのモデルは、17世紀に世界最古のカジノが開かれたと言われるイタリアの街、ヴェネツィアである。

 現に、ゼノフォードの視界にも、橋がかかる運河が入っていた。


「少し覗いたら、すぐに戻るつもりさ。だからもう、君は姉上のもとへ帰りたまえ」


 ゼノフォードが『ただの物見遊山』と主張したことで、アルノーの堪忍袋の緒がついに切れた。


「だ、第一皇子殿下が暗殺されかけたばっかりってときに、呑気っすね、ゼノフォード殿下は……!」


 臆しつつも、怒りをあらわにするアルノー。その姿に、ゼノフォードは思わず目を細めた。

 悪評高い自分を前にしても噛みついてくるあたり、なんと正義感のある青年なのだろう。

 その好青年に誤解されたままなのは少々心苦しいが、かといって好都合な誤解をわざわざ解いてやる義理もなかった。


「兄上の暗殺未遂が何だって言うんだい? 僕には関係ないね。

 それじゃあ、僕はこれで――」


 そのとき。


「――さっさと治安維持費を支払え!」


 不意に、怒声が路地に響き渡った。


 その声の出所を探して周囲を見渡せば、答えは簡単に見つかった。

 ゼノフォードとアルノーが立つ通りの正面、飲食店の奥――背の低いスイングドア越しに、縮こまる中年の男の姿が見えたのだ。恐らく、店主だろう。


 同時に、店内に制服姿の男もいるのがわかる。警官だ。

 それを見て、アルノーは安堵の息を洩らした。


「よかった! お巡りさんがいるなら、すぐに悪い人を捕まえてくれるっすね」


「いや」


 ゼノフォードは形の整った眉をわずかに寄せた。


「その『悪い人』っていうのが、あの警官みたいだ」


 ゼノフォードの言葉に再度店内を覗き込んだアルノーは、たちまち目を見開いた。


「オラ、払えねェのか!!」


 そう店主に詰め寄っているのは。

 ――その警官だったからだ。


「そ、そんなお金、ありません!」


 店主の声は震えていた。そこへ畳みかけるように、警官の口から脅迫めいた台詞が飛び出した。


「おめェはよォ、金払えねェ客に、メシ食わしたりすんのか? しねェよなァ? それとおんなじだ。

 この店に何かあっても、俺たちは助けに来ねェぞ。

 たとえ――『ピエトラ』に襲われたとしてもなァ!」


 アルノーは「ピエトラ?」と瞠目した。


「ピエトラって、確かオスヴァルトさんが言ってたマフィアっすよね!?

 ほら、言ったじゃないっすか! この辺は危ないって! 帰りましょうよ――」


 そう言って、アルノーはゼノフォードの方へ振り向いた。


「――いない!?」


 つい先ほどまで傍にいたはずのゼノフォードが、忽然と姿を消していた。

 驚く間もなく、次の瞬間。


「最近の警察は、みかじめ料を巻き上げるのかい?

 どっちがマフィアかわからないね」


 飄々とした声と共に、店内へ足を踏み入れるゼノフォードの姿があった。


「ゼ、ゼノフォード殿下!?」


 アルノーは大慌てで駆け出した。

 いくらゼノフォードが悪名高い厄介者とはいえ、仮にも第二皇子。その身に何かがあれば、ヒルデガルトに顔向けできるものではない。


 だが、そんなアルノーの懸念をよそに、事態は一気に険悪な空気へと変わっていく。

 警官が、急に割って入ってきたゼノフォードに矛先を変えたのだ。


「なんだァ!? いきなりでしゃばってきて説教しようってか!」


 警官が怒気を露わにしてゼノフォードに詰め寄り、腰から警棒を引き抜いた。


「てめェ、見ねェ顔だな? 貧民街じゃお目に掛かれねェようなナリしてやがる! 他所モンだな!!

 じゃあ教えてやらねェとな、この街の『常識』ってやつをよォ――!!」


 警棒が振り上げられる。

 助走をつけた勢いそのままに、それはゼノフォードの頭目がけて振り下ろされた。


「もうダメだ……! ゼノフォード殿下ーッ!!」


 アルノーが絶望的に呻いた、その刹那。


 ゼノフォードの足が鋭く跳ね上がり、そのヒールが警官の顎に、正確に命中した。


 ――どさり、と重い音を立てて警官が崩れ落ちる。


 倒れ伏した男のすぐ目前に、ゼノフォードは「カツン」と靴音を鳴らして足を下ろした。


「命懸けで市民を守ってくれる警官諸君には、頭が下がるよ。どれだけ給与を払ったって、見合わないさ。

 だけど、これは話が別だ。

 民間事業じゃあるまいし、一般人から金をせびるんじゃないよ、警官君。君たちの仕事は『サービス』じゃない」


 冷ややかな声でそう言い放ち、ゼノフォードは右手をすっと上げ、シュッと自らの首を切るような仕草を見せた。


「僕はこれでも、君の首を飛ばせるだけの権限はあるんだ。それが嫌なら、二度とこの店には来ないことだ」


 腰を抜かした警官は「ヒ、ヒィッ」と情けない悲鳴を漏らし、もつれる足取りのまま、店を後にした。


□□□

「僕の視界に、美しくないものが入ったのが気に入らなかっただけさ」


 そう言って、店主からの礼を断っているゼノフォードを茫然と見ながら、アルノーは立ち尽くしていた。


 我が儘で自惚れ屋の、エゴイスト。


 それがアルノーが耳にしていた、ゼノフォードの人物像。とんだ人格破綻者だ、悪人だ。そう伝え聞いていて、身構えていた。


 そして実際のところ、なるほど確かに、ゼノフォードは自ら事件に首を突っ込むほどに自分勝手な人間だ。

 素直でないあたり、性格に難があることも否定できない。


 だが。


 誰も助けようとしないこの街で。

 誰かが怯え、理不尽に搾取されている現場で。

 躊躇うことなく飛び込んで、迷いなく敵を断ち切ったのは――紛れもなく、この少年だった。


(――これが悪人なものか)


 飄々としているが、彼の言動一つ一つには、芯が通っていた。


 胸の奥に、さざ波が広がる。

 尊敬とも、戸惑いともつかないそれは、ただ一つ、ゼノフォードという男に対する理解の始まりだった。


「――これが、ゼノフォード殿下――か」

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