75話 転生者1
「!」
ゼノフォードは息を呑んだ。
“利船霞”。
初めて聞いた名前だというのに、違和感なくすっと耳に馴染んだ。
その理由は明白だった。名前の構造と音の並びが、明らかに――ゼノフォードの前世“龍門輝石”が生きていた時代と、国のものだったからだ。
(日本人だ――現代の、日本人の名前だ)
「アタシは死んだのよ」
ボスは――今となってはボスと呼び続けるべきか迷うが、ややこしくなるのでそのままボスと呼ぶことにしよう――話を続ける。
「勤めていた保険会社が倒産してね。――大きな保険会社だったのに」
ゼノフォードはふと記憶を探った。
前世“龍門輝石”がその生涯を終える二、三年くらい前。『ほたる生命保険株式会社』という、それなりに規模がある保険会社が倒産した、という報道を見たことがある。
偶然にも輝石の恩人が『その保険会社と契約していた』という話をしていたために、記憶の片隅に残っていた。
(そこの社員だったのか? だとすれば彼女は――)
現代の日本『に似た異世界』などではなく、紛れもなく。
(僕のいた世界と同じところから来た、ってことだ)
「失業したアタシは、どうしてもお金が欲しかった」
ボスはソファの肘掛けにもたれかかり、顔を伏せた。
声は静かだったが、言葉の端々に悔いと自嘲が滲んでいた。
「だからお金に目が眩んで、モニター試験に応募したの。高収入が期待できたからね。
だけど、それが間違いだった。
きっと失敗して、アタシは――“霞”は、死んでしまったんでしょうね。気が付いたら、この世界にいた」
現代社会の日本で、ごく普通に暮らしていた一般人が、異世界に来てしまったのだ。
どれほどの衝撃だったことだろう。
ゼノフォードは、自身もそれを経験しているが故に、その事実の重さを思った。
「想像できる?」
ボスが言う。
「ふと目を覚ましたら、知らない部屋にいるのよ?
しかも、こんなむさ苦しいオジサンの姿になってたの」
「――心中お察しするよ」
「お察しできるわけないじゃない!」
急にボスが目を三角にして、声を荒げた。
「そんな美男子俳優みたいな見た目のアナタなんかに!!」
ボスは手を腰に当てて、ゼノフォードに詰め寄った。
その姿は中年男性のものではあるが、どことなくカルメンが人に噛み付くときのそれによく似ているな、などと思いながら、ゼノフォードは目を逸らした。
逃げるように明後日の方を向いたゼノフォードに、ボスはさらに攻め寄った。
「女として生きてきたっていうのに、顔を触ったらジョリジョリの髭があるのよ? 信じられる!?」
ボスはなおも詰め寄る。
「それに何よこの肩幅!? あり得ないわ! まだあなたみたいな華奢な身体つきだったらよかったのに! それに下半身だって――」
「わかった、わかったよ!」
何かよろしくない話題に触れられそうになって、ゼノフォードは咄嗟に制止した。
「悪かったって。僕には、君の気持ちがわからないよ。本当にまったく」
その受け答えが正解なのかはわからないが、とりあえずそう言っておく。
まあ確かに、目が覚めたとき、もしこの若く美しい『ゼノフォード』の身体ではなく、中年の大男になっていたらと想像すると。――正直、嫌だ。
(――でも、人望がない『ゼノフォード』よりは、マシだったりするんじゃないか?)
一瞬、そんな考えが頭をよぎる。
だが、目の前に迫った髭を見て。
(……やっぱりそんなことはないか)
と内心で呟いた。
「――とにかく」
ボスは身を引くと、話を本筋に戻した。
「そうやって、この世界に来たのが二年前よ」
――そう、二年前。
ゼノフォードは目を伏せた。
その時期に関する情報が、別の記憶と結び付く。
(もし二年前に帝国に『奇妙な病』が発生した、っていうのが事実だとすれば――。
その『病』の正体は、これなんじゃないか?)
嘘を吹き込まれていたオットー・クラウゼの話が、どこまで信じられるかはわからないが――。
二年前、帝国で『奇妙な病』が発生したらしい。記憶障害や、人格変化、妄想。それが症状だ。
もしその原因が――『転生』だったとしたら?
この話をしたオットー・クラウゼは、『娘がこの病に罹った』と言っていた。
(オットー・クラウゼの娘は、転生者に『憑依』されたのかもしれない)
だとしたら、他にもいるかもしれない。
二年前、この世界に来た――転生者が。
(だけど。僕はその『二年前』の括りに入っていない。僕がこの世界に来たのは、つい数週間前だ。
僕がイレギュラーなのか。
それとも、二年前に発生した『病』っていうのは、別に転生とは限らないのか――)
「アタシは」
ボスの声が、ゼノフォードの思考を中断させた。
「周囲の皆に、正直に打ち明けたわ。アタシは他の世界からやってきたんだって。『ドナテロ』っていう男の記憶はないんだって」
その声音は、先ほどまでの怒気や嘆きとは異なり、静かで、どこか諦めを含んでいた。
「その結果――『記憶喪失』って扱いになってしまった。信じてくれる人は、誰もいなかったのよ」
この世界の原作――ゲーム『ライオライト帝国記』はファンタジーの体裁を取りながらも、モンスターや魔法、マナのような、そういった類の要素は存在していない。あくまでも現実ベースの世界観なのだ。
そう考えると、この世界の住人たちが『異世界から来た』という話を受け入れられないのも、無理はない。
「――あなただって、信じてないでしょ」
ボスが顔を俯けて呟いた。その声には、わずかな棘があった。
ゼノフォードは返す。
「――信じるよ」
ゼノフォードの言葉に、ボスは不機嫌そうに口を尖らせた。
「嘘よ!
お医者さんにだって言われたもの。これは記憶障害と、妄想なんだって」
「いままで、そうやって言われてきたのかい。
それは酷だったね」
「……同情でその場凌ぎの嘘を吐いているだけなら、結構よ」
「そんなんじゃないさ」
ゼノフォードは、いつも被っている黒い中折れ帽に手を掛けた。
「自己紹介が遅れたね」
そのまま、するりと帽子を外す。
顔に大きく落ちていた帽子の影が消え、白金色の絹糸のような髪が露わになった。
「僕は、この帝国の第二皇子、ゼノフォード・フォン・ライオライト。
――に憑依した、ゲームクリエイター。
“龍門輝石”だ」




