74話 再会
「まあ可愛い!
アタシの娘なんだから可愛くて当然なんだけど、それにしたって可愛いわ!」
ボスはカルメンの姿を認めるなり、弾かれたように駆け寄った。そして何の躊躇もなく、その小さな身体を抱き締める。
声は弾み、表情は輝いていた。
その様子に腕の中でカルメンは目を丸くし、傍観していたゼノフォードは思わず身を引いた。
だがボスの視線はすぐにゼノフォードへと移る。
「まあ!
そっちのコも可愛い!」
今度はゼノフォードの方へと歩み寄り、両手で彼の頬を包み込んだ。大きな手のひらが、ゼノフォードの整った顔をすっぽりと覆う。
「こんな綺麗なコ、見たことないわ!
マフィアボスの力で、アイドルにでもしちゃおうかしら!?」
ロレンツォが咳払いをしたことでボスはようやく我に返り、固まっているゼノフォードとカルメンに気が付いた。
「あらいやだ。
ごめんなさいね、つい興奮しちゃって」
ゼノフォードの頬から手を離すと、ボスは二人に向き直った。
その動きは、どこか舞台女優のように優雅だった。
「自己紹介をしなきゃね。
アタシはドナテロ・ファルコーネ。
ピエトラのボス(ドン)――らしいわ」
そう名乗ったボスは、カルメンの方に向き直った。――次の声は先ほどと打って変わり、低く沈んでいた。
「カルメンちゃん。
アタシ、あなたのお父さんなのよね。
ごめんなさい、アタシ、記憶が――」
「わかってるわ。ないんでしょ」
カルメンはボスの言葉が終わる前に、静かに継いだ。
その声には、責める色はなかった。むしろ、安堵と慈しみが滲んでいた。
「覚えてなくていい。
会えて嬉しいわ。――本当に」
ボスはそっと身を屈めてカルメンと目線を合わせた。
「――あなたのお父さんはね。
ずっと、あなたのことを考えてたのよ。
二年前。アタシが目を覚ましたとき、一番最初に視界に入ったのは何だったと思う?」
そう言ってボスは壁際の棚に歩み寄り、そこから一つの写真立てを手に取った。
木製の枠に収められたそれは写真ではなく、丁寧に描かれた肖像画だった。
絵の中には、大柄な男――おそらくボス自身。
その隣には、栗色の髪をした優しげな女性。
「――お母さん」
さらにその背後には、屈強そうな男たちが何人も並んでいる。
「ブルーノおじさん、ピオおじさん、パオロお兄さん――」
そして彼らの中央に描かれていたのは、赤毛の小さな少女だった。
「――アタシだ」
カルメンの顔が泣き出しそうに歪んだ。
その表情を見て、ボスはまた身を屈めてカルメンと目線を合わせた。
「夜に寝るとき。朝起きたとき。
彼はね、いつもこの絵の中の彼らに見守られていたのよ。
――アタシには、ここにいる皆が誰なのかわからない。
だけど、これだけはわかる」
ボスはその野生味のある顔に、優しい笑みをたたえた。
「彼は、あなたたちを大切に思っていた。
――心の底からね」
カルメンの瞳から、雫がこぼれ落ちた。
それは静かに絨毯の上に落ちて、染みを作った。
ボスはゆっくりと腕を広げた。
「――もう一度、ハグさせてちょうだい」
カルメンは、迷うことなくその腕に飛び込んだ。
その抱擁は、記憶のない父と父を愛する娘の間に、確かな温度を生んでいた。
その光景を横目に、ゼノフォードは無言で手を動かす。
親指と人差し指で四角形を形作ると、それを縁取るように光が走り、インターフェースが浮かび上がった。
そして視線を、画面に表示されている項目の一つ――『ステータス』へと向ける。
(前に、ダンテが記憶喪失になっていたとき。インターフェースの『ステータス』画面に、状態異常として『記憶障害』の表示が現れていた)
ゼノフォードは『ステータス』の項目を選択した。
画面が読み込まれ、パーティメンバーの一覧が表示される。
『ゼノフォード』
『ロレンツォ』
『カルメン』
『ドナテロ』
案の定、ボス――ドナテロがパーティーメンバー扱いで表示されている。
(ボスの表示を見れば、彼の記憶喪失の原因がわかったりしないか?
もしウイルスや薬害によるものなら、『記憶障害』以外の表記が出ていてもおかしくないかも)
ゼノフォードは『ドナテロ』の欄を選択した。
画面が切り替わり、詳細なステータスが表示される。
HP6120、MP95、攻撃力184、防御力105……。数値は、年齢や体格に見合ったものなのだろう。
ダンテのときには、この上に『記憶障害』と明記されていたが――。
ゼノフォードは、ステータスの最上段に目を向けて。
「!」
息を呑んだ。
□□□
「少しびっくりしたけど、良い人そうで良かったわ」
居間を後にし、廊下へと出たカルメンはゆっくりと息を吐いた。
先ほどまでの涙の余韻が、まだ瞳の奥に残っている。
「……アタシ、これからお父さんと一緒に、この家に住むことになるの?」
「オメェが望むならな」
問いかけに、ロレンツォは頷いて答えた。
「どうしたい?」
「……わかんないわ」
カルメンは立ち止まり、首を振った。
「あの人は、すごく良い人よ。それに記憶がなくたって、お父さんであることに変わりはない。会えてよかったし、今でも大好きよ。
だけど……アタシの知ってるお父さんかと言われると、そうじゃないし……」
「複雑だよなァ」
ロレンツォは、彼女の言葉に深く頷いた。
「ゆっくり考えりゃあいい。
ま、その間は俺のボロ屋にいることになるけどな」
そう言いながら、ロレンツォは内心で苦笑した。
(幹部連中から、苦情は来そうだけどな)
ボスの娘をどさくさに紛れて手中に収めようとしているとか、手懐けようとしているとか、やはり若頭の座を狙っているんじゃないかとか――。色々と言われそうだ。
(――苦情が来たら、そのときに考えりゃあいいか)
ロレンツォはそう割り切ることにした。
「よし、そうと決まれば、トルカーナに帰るかァ」
軽く手を叩いて、ロレンツォは振り返る。
「おいゼノ。リテンハイムの新聞が欲しけりゃ、買うのは今のうちだぜ――」
だが。
「――ゼノ?」
ゼノフォードの姿がなかった。
ロレンツォは眉を寄せ、周囲を見渡した。
「おいおい。アイツ、俺たちと一緒に部屋から出てきたんじゃなかったのかァ?」
訝しげに呟きながら、ロレンツォは回れ右をした。
歩幅を早め、先ほどまでいた居間へと向かう。
「おいゼノ、まだ中にいんのか?
オメェなに考えて――」
ロレンツォが居間の扉のノブに触れたと同時に。
――ガチャリと音を立てて、扉が施錠された。
「お、おい! ゼノ!?」
□□□
扉が施錠された音が、居間の空気を震わせた。
「あらあら。どういうつもりかしら」
鍵をかけたゼノフォードに向かって、ボスは困ったように声を掛けた。その口調は柔らかく、どこか楽しげですらある。
「密室で、二人きりになるだなんて。
そんなに、アタシとお話をしたいの?」
ゼノフォードは扉から一歩離れ、静かにボスの方へ向き直った。
「ああ。話がしたくて堪らないよ。
このままじゃ、気になって夜も眠れなそうだからさ」
「ふうん。
何がそんなに気になっているの?」
ボスはソファの背に片手を置きながら、首を傾げる。その仕草は女性的で、どこか挑発的ですらあった。
ゼノフォードはその様子を見つめながら、静かに口を開いた。
「教えてくれないかい。
どうして記憶喪失を――『装って』いるのか」
「!」
ボスの瞳が大きく見開かれた。
だがその驚きは長くは続かず、すぐに「ふふ」と笑い、口元に笑みが戻った。
「――やあねぇ。記憶喪失のふり?
そんなことをして、何の得があるっていうの?
どうしてそう思ったのかしら」
「……」
ゼノフォードは答えず、ただ眉を寄せた。
先ほど確認した、インターフェースのステータス画面。
『ドナテロ』の欄には、かつてダンテのときに表示されていた『記憶障害』のタグが――なかった。
この男は、健康そのものなのだ。
「――手の内を明かすつもりはない。だけど事実だ」
ゼノフォードは言葉を選びながら、静かに続けた。
「別に困る人が誰もいないなら、僕だって放っておいたさ。
だけど、このままじゃ――カルメンが苦しみ続けることになる。
生憎、見て見ぬふりをできるほど、僕は図太くないんでね」
「――確信しているみたいね。
いいわ、話してあげる」
観念したように、ボスが口を開いた。
「だけど――突拍子もない話よ。嘘を吐いていると思うかもしれない」
「構わないよ」
その短い返答に、ボスは小さく息を吐いた。
そして、ゆっくりと言葉を紡ぎ始める。
「最初に言っておくと、アタシに『ドナテロ・ファルコーネ』という男の記憶がないのは事実よ」
「……」
ゼノフォードはぴくりと眉を動かした。
それを視界に捉えながら、ボスは重々しく口を開いた。
「アタシにあるのは。
こことは違う世界に生きた、四十路の女の記憶。
――“利船霞”の記憶だけ」




