73話 会いたい
「――やっぱ自由っていいねェ」
舎弟頭、ルカ・マルティーノが声を上げた。
高窓から光が差し込む部屋。円卓を取り囲んで並ぶ椅子に、五人の男女が座している。
ピエトラ本部の広間だった。
「ったくよォ」
悪態を吐いたのは、同じく舎弟頭のティグレ・グリエルミだ。肘を卓に突き、苛立ちを隠そうともせずに声を荒げる。
「なんだって俺らが、こんな目に遭わなきゃなんねェんだ。暗殺なんざ、企てちゃいねェのに」
そんなティグレを視界の端に捉え、本部長レオナルド・リッチは咳払いをした。
「先ほど、エルンスト・クラウゼという騎士警察から謝罪があっただろう。養護施設の件で誤解があり、先走ってしまった――と」
「だとしても」
ルカが口を開いた。
「職権濫用なのは確かだけどねェ。
だって、逮捕状は養護施設とか関係ない、第一皇子暗殺の件だったろ?
俺ら、別に第一皇子の暗殺とかしてないのにさぁ。――ピエトラの誰かが、実はコッソリやってました、とかだったら知らないけどさ」
「やめんか」
リッチが制止した。
そんなやりとりをよそに、ティグレが乱暴に溜息を吐く。
「っていうかよォ。そうすっと、原因を作ったのは、オメェが保護してるってガキなんじゃねェのか? サルヴァトーリよォ」
ティグレに矛を向けられて、ロレンツォは一瞬背筋を凍らせた。
(俺が第二皇子ゼノフォードを匿ってることがバレたのか?)
ロレンツォは、ゼノフォードの件はピエトラに話していない。
もしピエトラ内部に『皇室と手を組みたい』と企てる者がいたら、『逃亡犯の第二皇子ゼノフォード』は格好の交渉代料として利用されてしまうからだ。
だからせいぜい『貴族のガキを匿っている』という程度に留めていたのだが――。
そう思ってティグレを見ると、彼は椅子の背もたれに寄りかかりながら文句を続けた。
「養護施設のイザコザって、そのガキが首突っ込んだから起きたんだろォ?
そのせいで、そのなんとかって騎士警察が暴走したんじゃねェか」
(なんだ、ゼノのことがバレたわけじゃねェのか)
ロレンツォは人知れず胸を撫で下ろして口を開いた。
「ウチんとこのガキが迷惑かけておいてアレなんだけどよォ」
ゼノフォードが首を突っ込んだのが、養護施設の実態を明るみに引き摺り出す起因となったのは確かだ。――だが。
「俺は、アイツのこと責めたくねェ。アイツ、悪いことはしちゃいねェからよ。
むしろアイツが首突っ込まなきゃ、俺らは永遠にカルメンを見っけることができなかった」
「そうそう」
同意したのはルカだった。
「それに、俺たちが釈放されたのだって、そのガキンチョのおかげなんだろ?
メタロ相手に、100万も借りたって聞いたぜ? しかも無利子でだとよォ」
メタロというマフィア組織の頑固さは、彼らと長年取引をしているピエトラの人間ならば、誰もが知っていた。
「――何者なんだ? そのガキンチョは」
ルカに問われて、ロレンツォは首を振った。
「……何者でもねェよ。ただのガキだ」
「ふゥん。――会ってみたいもんだねェ」
「話の腰を折って恐縮なんですけど」
口を挟んだのは、今まで黙って男たちの会話を聞いていた紅一点、事務局長のヴィオラ・ヴァレンティだった。
「ボスの娘って、結局誰が引き取るんですの?」
今日の本題――というより、本来は数日前に話し合うはずだった議題だ。
僅かに沈黙が流れる。
その中で口を割ったのは、ロレンツォだった。
「やっぱりよォ。ボスんとこに連れてこうぜ。
考えんのはその後でも、遅くないだろ?
カルメンの奴――父親に会えるのを楽しみにしてんだ」
「おいおい」
リッチが口を開いた。
「“あの状態”のボスに会わせる気か?」
「――ああ。
それが、アイツの意思だったからな」
□□□
――先日、養護施設から彼女を連れ帰る馬車の中でのことだ。
「『ボス』って……」
カルメンが揺れる声で問い掛けた。
言うまでもなく、直前に耳にしていたダンテの『ボスの、行方不明になっていた娘だ!!』という言葉の真意についてを訊きたいのだろう。
「おう」
ロレンツォは、隣に座るカルメンを見下ろして頷いた。
「――オメェの親父さんだ」
「……死んじゃったと思ってたのよ、アタシ」
ロレンツォは顔を歪めてカルメンから目を背けると、正面を向いた。――疲れ切って眠りに落ちているゼノフォードと、そんな彼に枕にされているアルノーが視界に入る。
「――十年くらい前によォ」
ロレンツォはぽつりと口を開いた。
「腹に穴開けられて、大火傷負って。奥さんと仲間をいっぺんに失ってよォ。……辛い時期を過ごしてただろうよ」
当時のボスは、目も当てられないほど心身共に弱っていた。
「けど、焼け跡から娘の遺体が出てこなかったことが、ボスにとっては唯一の救いだったらしいぜ。
娘はどっかで生きてるんだ、って。あちこち探し回ってよォ……」
「お父さん……生きてたんだ」
改めてその真実を噛み締めるように、カルメンがゆっくりと口にした。
「会いたい」
その声が、大きく揺れる。
「会いたいよ」
死んだと思っていた家族。
十年近くに及ぶ施設での生活の中で、心の支えにしてきた家族だ。
会いたくないわけがないだろう。
「……ただよォ。
言いにくい話にはなるんだが……」
ロレンツォが、しばしの逡巡の後に、酷なことを告げるために口を開いた。
「二年くれェ前に――昔の記憶を、失っちまったんだ」
「!」
隣から、息を呑む気配が伝わった。
ロレンツォとて、こんな話はしたくなかった。
だが、しないわけにはいかない。事実を隠し通す方が、よほど酷というものだ。
「昔のボスとは――えれェ人格が変わっちまってる。
もはや、面影すらねェくれェにな」
カルメンは沈黙した。
死んだと思っていた父が生きていたことを知った直後に、残酷な事実が待ち受けていたのだ。
彼女がどのような心情なのか。――事実を突きつけておきながらも、ロレンツォには推し量ることもできなかった。
「それでも、会いてェか」
「勿論よ」
驚くべきことに、即答だった。
「だって、アタシのお父さんであることには、変わりないもの」
□□□
リテンハイムの一角。
豪邸――というほどではないが、男が一人暮らしをするにしては手広い家の廊下。
ロレンツォに案内されたカルメンと、付き添いとして来ているゼノフォードの姿があった。
「記憶喪失って――」
ゼノフォードが口を開く。
「オットー・クラウゼが言っていた件と同じかな」
オットー・クラウゼは、以前こう言っていた。
『帝国では、二年ほど前から、奇妙な病が発生したんだ。記憶障害や、人格変化、妄想――それが症状だ』
その言葉を思い出しながら、カルメンは頷く。
「そうかもしれないわね。二年前、っていう時期も一致してるし」
と、ロレンツォが扉のノブに手を掛けた。
――この先の居間に、『ピエトラ』のボスがいる。
「カルメン」
ロレンツォは振り返った。
「心の準備はいいか」
「――ええ」
カルメンが頷いたのを確認して、ロレンツォはそのノブを回した。
ギイ。
油の差していない蝶番が、音を立てる。
開く木製の扉。
現れたのは、天井が高く、壁に古びた絵画が数点掛けられた部屋。
家具は重厚な木製で統一されており、深紅の絨毯が敷かれ、その上に楕円形のテーブルと、革張りのソファが並んでいる。
そして、その部屋の中央に。
――赤いスーツを着た男がいた。
強面で野生味のある顔。
カルメンは、その顔に見覚えがあった。
――懐かしい、頼り甲斐のある顔だ。
その顔が。
――パッと輝いた。
「――あら!
あなたがカルメンちゃんね!?
会いたかったわー!!」
「――!?」
カルメンとゼノフォードは、目を丸くした。




