60話 どうして嘘なんて
ゼノフォードは帝都リテンハイムの石畳の上を歩いていた。
空が白み始め、新しい朝が来たことを告げている。
ちらほらと住民が起き出し、いそいそと生活を始める準備をしていた。
「――それで」
言いながら、ゼノフォードは隣を歩くアルノーを見上げた。と、アルノーと目が合う。――ずっと見つめてきていたらしい。
「アルノー君。城で姉上の騎士を務めているはずの君が、どうして養護施設なんかに?」
「――殿下を探してきたんすよ」
それだけ言うとアルノーはしばらく黙ってゼノフォードを見つめていたが、やがて顔を歪ませた。
「――やっぱり、生きてた」
「『やっぱり』?」
自分は死んだことになったはずなのに、『やっぱり』とはこれいかに。
ゼノフォードが疑問形で返すと、アルノーは「殿下の遺体が見つかったのはトルカーナだって聞いたっすから」と言葉を紡いだ。
「自分……殿下は、本当は死んでないんじゃないか、って信じてたんす。
殿下はピエトラさんに保護されていて、お城に届いた殿下の遺体は、殿下に偽装された偽物なんじゃないかなって」
「――君って、たまに鋭いよね」
事実、『ゼノフォードの遺体』とされたものは、ピエトラが細工をした別人のものだ。
アルノーは息をついて、また口を開いた。
「それで自分、休暇を使って、トルカーナに行ってピエトラさんを訪ねたんす」
アルノーは、着ている騎士服の内ポケットから紙切れを取り出した。
紙切れには手書きの地図と、『サルヴァトーリ班』の文字。ゼノフォードにも見覚えがあるものだった。
「それは――前にあの偽ピエトラを倒したとき、ロレンツォさんが渡してきた地図じゃないか。なんで君が持っているんだい?」
「あの日、殿下が連行されたあと、馬車の中に落ちてたんすよ。
もしこれが見つかったら、『殿下とマフィアには繋がりがある』って判断されて、面倒なことになりそうだなって。そう思って、咄嗟に拾ったんす」
「――僕は、そんなとんでもないものを落としていたっていうのかい。
君が回収してくれてよかったよ。尋問でもっと追及されていたところだった」
「もっと、って。――殿下、そもそも問い詰められる前に自白してたじゃないっすか」
「――ああ、そうだったね」
ゼノフォードは何とも言い難い返事をしながら、白金の汚れた前髪を弄った。そんなゼノフォードを横目で見ながら、アルノーは口を開いた。
「とにかく自分、ピエトラさんの事務所に行ったんす。
それで、ロレンツォさんに聞いたんすよ。『本当は、ゼノフォード殿下は生きてるんじゃないか』って。
まあ、否定されたっすけどね」
否定されてもなお、食い下がった。
偽ピエトラを倒したあのとき、ロレンツォは『お礼に、頼みがあれば何でも一つ聞いてやる』と言っていた。
それを持ち出して、「自分も、偽ピエトラさんたちを倒したっす。だから自分の頼みも聞くべきなんじゃないっすか」と詰め寄ったものの、無意味だった。
何度聞いても、ロレンツォは「アイツは死んだんだ」「辛ェのはわかるけどよォ、受け入れてやるのも、供養ってもんじゃねェか?」なんて返してきた。
「もう諦めようって思ったとき、金髪のおじさんが、すごい剣幕で部屋に入ってきたんすよ」
「ああ――ダンテ君か」
「その人、『ゼノがヤベェ施設に潜入しやがった!』とか言ってて――」
「僕のことだって察して、ピエトラと一緒に来てくれたってわけかい」
「はいっす!」
「まったく――タイミングがいいんだか悪いんだか」
ゼノフォードはやれやれと首を振った。呆れているようだが――アルノーには少しだけ、笑っているように見えた。
「それにしても」
アルノーはふと、ゼノフォードが抱えている書類の束やら箱やらに視線を落とした。
「なんか、大変なことが起きてたみたいっすね。大事になる前に解決してよかったっす」
「なる前じゃない、なった後だった上に、現在進行形で続いていたんだよ、悲しいことにね。
そしてまだ、解決していない。
だから、これから行く場所がある」
「行く場所?」
アルノーの問いに、ゼノフォードは、汚れていてもなお美しさが残る薔薇色の唇に笑みを乗せた。
「すぐにわかるさ。
――いいかい。君は、偶然施設に立ち寄った騎士だ」
「? はいっす」
「そして僕は、政府の役人に殺されかけていた可哀想な収容者」
「――はいっす」
「君はその可哀想な収容者を救った。
そして君は、こう考えた。
――国営の施設で、政府の役人が、子供を殺害しようとしていた。しかも子供の話を聞く限り、日常茶飯事らしい。
つまり、こうした残虐行為は日常的に行われていて、帝国政府によって隠蔽されている可能性があり、帝国や警察に通報しても意味がない。だから――」
ゼノフォードは立ち止まると、手に持っていた書類の束と、それから注射器が入った箱を、アルノーに押し付けるように手渡した。
「『証拠品を持ってきて、新聞社にリークすることにした』――ってね。
心配しなくていい、詳しい実情は僕が説明するからさ」
「――新聞社に行くんすか?」
アルノーはゼノフォードを上から下まで眺め回した。
施設に潜入していた影響か、長い白金の髪は結われておらずボサボサで、端麗な顔も今は土と埃で汚れている。麻の衣服もやはりボロボロで、唯一それなりに上等なのは、いつも履いている踵の高い靴くらいだった。それも今は、土で酷く汚れている。
まあこの外見であれば、スクープに敏感な報道機関が相手でも、彼が『第二皇子ゼノフォードだ』と気付かれる心配はないだろう。
「――殿下は」
アルノーは、渡された証拠品を抱きしめるようにぎゅっと抱え込んだ。
「優しいんすね。見ず知らずの子供たちのために、危険を承知で――」
「優しくなんかないさ」
ゼノフォードはアルノーから視線を外すと、ぽつりと呟いた。
「ただ、こんな話を聞いていながらスルーしたら、気になって夜も眠れなくなるだろうから。
――自分のためだよ」
「それを、『優しい』って言うんすよ」
アルノーは苦笑した。
いつぞやか――あれはゼノフォードについていって、トルカーナに行った時だ。
悪徳警官を追い払ったゼノフォードは、
『僕の視界に、美しくないものが入ったのが気に入らなかっただけさ』
なんて言って、店主からの礼を断っていた。
素直でないのは確かだが。
――ゼノフォードはこの上なく善良で、優しい人間なのだ。
「――やっぱり、殿下が暗殺なんてするはずがないや」
「――」
アルノーの呟きが聞こえていたのだろう。ゼノフォードはぴくりと少しだけ反応したが、何も言わずに歩いていた。
「殿下」
アルノーは、自分の隣を歩く、この小さな少年を見下ろした。
「どうして、『暗殺を企てたのは自分だ』なんて嘘を吐いたんすか?」
ゼノフォードは答えなかった。
アルノーは続けた。
「もしかして――自分のせいっすか?」
「え?」
ゼノフォードは虚を突かれたように顔を上げた。
アルノーは続ける。
「自分はあの尋問のとき、殿下の証言をするために呼ばれてたんす。
でも、もし殿下が無実を立証できなければ――殿下を庇った自分は、偽証罪とかで捕まっちゃうっすよね?
だから自分が証言する前に、殿下は罪を認めて――」
「違う!」
ゼノフォードは遮った。
「違う、違うんだ――」
言いながら、ゼノフォードはまた俯いた。声が少し震えていて、紫水晶のような目が左右に泳いでいる。
それを見て、アルノーは困ったように溜息を吐いた。
前に、『カジノに行こうとしていた』と嘘を吐いたゼノフォードに、ならばそのカジノがある通りの名前を教えてくれと言ったことがある。
そうしたら、こう返ってきた。
『通りの名前は……トオーリ・ノ・ナマーエ』
そのくだらない押し問答を思い出して、アルノーは苦笑した。
(どうして皆は、この人の嘘を鵜呑みにしたんだろう。
この人はこんなに――嘘が下手なのに)
「――本当のことを、言ってくださいっす」
そう言ってみれば、ゼノフォードは長い白金色の睫毛越しに、こちらを見上げてきた。
「――まあ、理由のうちの一つではある。
だけど――」
ゼノフォードは言うか言うまいか迷うように口をつぐんだあと、ふと目を逸らして口を開いた。
「一番の理由は、城を去りたかったからさ。皇位を捨ててでもね。
――だから、君が気にする必要は何もない」
「城を去ろうだなんて、どうしてそんな――」
言いかけて、口をつぐんだ。
(この人は、侍従たちから酷く嫌われている。
気難しいエゴイストだって思われているから。
だから城にいる限り、この人に向けられるのは、敵意か恐れのどっちかなんだ)
それから。
(――皇帝陛下)
皇帝は、実の息子であるゼノフォードに、何の迷いもなく『第一皇子暗殺計画の首謀者』という容疑を掛けた。
ヒルデガルトが、こう言っていた。
『――世間的には『暗殺計画の首謀者が特定された』わけだからな。国民も安心するというものだ。
スケープゴート、というやつか。――父上は、実の息子に対して酷なことを』
そう、皇帝は。
――実の息子をスケープゴートにするような、冷酷な人間なのだ。
(そんな人間の元に、いたいと思う方がおかしい)
「――ゼノフォード殿下は、城から出た方が幸せなんすね」
アルノーの呟きは、誰の耳に拾われることもなく、リテンハイムの雑踏に掻き消された。




