6話 嵐が去って
「ヒルデガルト様ー! どこっすかー!!」
張り詰めた空気を打ち破るように、場違いなほど緊張感のない叫び声がこだました。
現れたのは、騎士服に身を包んだ青年だった。ヒルデガルトの専属護衛騎士らしい。姿を消した主君を捜してやってきたのだろう。
輝石は、ふと自分の今の立場に気がついた。
膝をつき、項垂れる侍従。
そして、そんな侍従を見下ろしつつ対峙している自分。
何処からどう見ても『悪名高いゼノフォードが、立場の弱い侍従に危害を加えている構図』だ。
案の定、護衛は真っ直ぐとこちらへ向かってきた。
「悪口を言われたからって、暴力は良くないっすよ!」
(昼間にヒルデガルトたちに難癖をつけられたとき、そういえばこの護衛もいたな)
――なんて思っているうちに、輝石はあっさり背中を取られ、後ろ手に腕を押さえられた。
一介の侍従にすら敵わなかった、それも子供の『ゼノフォード』の身体を持つ輝石が、戦闘のプロたる護衛騎士に到底及ぶはずがないのだ。最早、抵抗する気すら起きない。
「……護衛騎士君。君が率先して動ける有望な人物だってことは評価してあげよう。
だけど『有望』と『有能』は違うってことを知るべきだね」
「へ?」
「君が取り押さえるべきなのは、僕じゃない。そっちの侍従の方だってことだ」
輝石はオスヴァルトの方を指差す――ことができなかったため、顎でそちらを示した。
「捕まえたまえよ。今回の暗殺計画の関係者だ」
護衛は面食らったようにヒルデガルトに視線を向ける。
ヒルデガルトが小さく頷くと、護衛は「な、え?」と混乱した情けない声を漏らしつつも、ひとまず輝石を解放し、オスヴァルトの方へと向き直った。
紆余曲折はあったが、こうしてオスヴァルトは取り押さえられることとなった。
「僕を襲った、なんてことは言わなくていいよ」
騎士に拘束されるオスヴァルトに、輝石は言い添えた。
「これ以上罪を増やしたって、仕方ないだろう?
もし君が、犯罪歴を集める悪趣味なコレクターで、『第二皇子殺害未遂』っていう名誉ある罪名を追加したいっていうなら知らないけどね」
「――私は、良くない父親だったのだろうか」
輝石の言葉に反応したのか、それともまったく別の思考に沈んでいたのか――定かではないが、オスヴァルトは朧げな声で、ぽつりと問いかけた。
輝石は薔薇色の唇に笑みを乗せた。
「『そんなことない』って言ってあげれば、君は安心するのかい?
君自身、答えはわかりきっているはずさ。――最悪な父親だったって」
ふと笑みを引っ込め、輝石はゆっくりと言葉を続けた。
「だけど君は、まがりなりにも『娘を大切に思う』ことができる人間ではある。
きっと、誰にでもできるもんじゃない。
その想いだけは、誇っていい」
オスヴァルトは少しだけ逡巡した後、やがて穏やかに口元に笑みを浮かべ、「そうか」とだけ言うと、ヒルデガルトに向き直った。
「――幸せになれ」
それは、オスヴァルトが父親としてヒルデガルトに向けた、最初で最後の言葉だった。
護衛に連行される彼の背を、輝石とヒルデガルトは、ただ静かに見送った。
□□□
オスヴァルトの姿が完全に見えなくなると、ヒルデガルトは小さく躊躇ったのち、静かに口を開いた。
「……すまなかった。おまえの母を疑ったこと。それと……」
彼女の視線が、再びオスヴァルトの去っていった扉の方へと流れる。次いで、傷だらけの輝石の身体へと移った。
「……オスヴァルトのことも」
「まったくだね。身体じゅう、茄子の煮物かってくらいに切り込みを入れられたよ。今ならよく火が通るかもね」
輝石は胸元がすっぱりと裂けたシャツと、その隙間から覗く赤い傷跡を見下ろしながら応じる。
冗談めかして言ったつもりのその一言は、しかし逆に彼女の表情を翳らせた。
その様子を横目に、輝石は続けた。
「――結果論に過ぎないけど。
彼は僕を殺していないし、兄上のことも殺していない」
――そう。
オスヴァルトは、誰一人としてその手にかけることはなかったのだ。
「誰も殺していないんだ」
輝石の言葉にヒルデガルトは、はっと目を見開いた。
そして、安堵にも似た静けさを湛えて、目を細めた。
「――そうだな」
きっと彼は、自らの罪と向き合うだろう。
そしてそれは、まだ手遅れではないのだ。
気が抜けたような、安堵したような。ヒルデガルトはそんな、なんとも言えない表情を浮かべた。
(――これで一件落着、かな)
長かった一日が、ようやく終わろうとしていた。
思えば、ほんの数時間の間に、実に色々なことがあった。
開発中のゲーム『ライオライト帝国記』のキャラクター『ゼノフォード』に転生して。
暗殺されかけていた第一皇子を救い。
そして、暗殺の犯人の一人を捕まえた。
我ながら、よく働いたのではないか――と、輝石は伸びをした。
「さて、もう寝るか」
踵を返しかけた輝石は、ふと思い出したように立ち止まり、ヒルデガルトの方へ振り返った。
「ああ、そうだ。
今回の件、僕のことは他言無用で頼むよ。いなかったことにしてくれて構わないからさ」
輝石の発言に、ヒルデガルトは首を傾げた。
「第一皇子暗殺の関係者を暴き捕らえたともなれば、手柄だぞ? 何故だ」
輝石にとって、理由は三つあった。
一つ目は、普段ろくに善行などしない『ゼノフォード』が、よりによって政敵の暗殺事件で功を立てたとなれば、事件そのものが『ゼノフォード』によって仕組まれたと見なされ、関与を疑われる可能性があるから。
二つ目は、第一皇子を皇位に就ける計画を進める中で、自身に余計な注目が集まるのを避けたいから。
そして三つ目の理由を思い浮かべながら、輝石はそれとは違う答えを口に出した。
「……取り調べやら何やらで時間を取られるなんて、御免だからね」
□□□
――自分勝手な言い訳だった。
だがそれは、ヒルデガルトの目には見透かされた。
(オスヴァルトが第二皇子であるゼノフォードに危害を加えたことは、公にしない方がいい――という配慮か)
未遂とはいえ、第一皇子暗殺の計画に関与した時点で、オスヴァルトには厳罰が下ることは免れないだろう。
そこに第二皇子への加害が加われば、間違いなく極刑となる。
これは、ヒルデガルトの侍従であり実父であるオスヴェルトの罪が少しでも軽くなるように――という、彼なりの気遣いだった。
それが果たして正しいことか否かは、ヒルデガルトにはわからない。
それでも、彼が――『ゼノフォード』が優しいということだけは、揺らぐことのない事実だった。
意外かといえば、意外かもしれない。
この腹違いの弟の悪名の高さは、ヒルデガルトもよく知っている。
我儘で自己中心的な、頭が空っぽで自分の美しさのことにしか興味がない、自惚れ屋。
(この悪名高い弟は、本当は……ただ、不器用なだけなのかもしれないな)
誰かのために、本音を隠し、言い訳を重ねて。
自分に不都合な誤解でも、わざわざ解くことはしない。
そんな彼の不器用さが、悪評を買っているだけなのかもしれなかった。
ヒルデガルトは口元に笑みを乗せた。
「ありがとうな、ゼノフォード」
□□□
――ゼノフォード。
ヒルデガルトにそう呼ばれた輝石は、一瞬驚いたように瞬きをした。
初めてこの世界に来たときと同じように。
(……そうか。僕は、『ゼノフォード』なのか)
改めて、思う。
聞き覚えはあれど、いまだしっくりとは馴染まない名。
だがその名を真っすぐに感謝の言葉として向けられた今、それを受け止めれば、ようやく自らのものとして引き受けられる気がした。
おそらくは、しばらく――下手をすれば今後一生付き合っていくことになる名だ。
(悪くないね)
輝石――否、ゼノフォードは、紫色の瞳をふっと細めた。
「こんなの、取るに足らないさ。
この――ゼノフォードにかかれば、ね」
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