58話 翻す反旗
月光がノコギリの刃に反射した。
ホルツの腕が振り上げられ、ゼノフォードの頭上に影を落とす。
その瞬間。
「やめなさい!!」
叫びが、夜を裂いた。
直後。
寝室の窓から、カルメンが躍り出た。
続けて、子供たちも次々と窓から飛び出していく。
「終わらせるんだ!」
「言いなりになんて、なるもんか!」
「もう誰も殺させない!!」
反旗は、翻された。
カルメンはカンテラを投げつけた。
それは弧を描いて、ホルツの後頭部めがけて飛んでいく。
それを視界の端で捉えたホルツが。
「無駄だ!」
ガシャン!
振り向きざまに、ノコギリでそれを叩き割った。
火のついた芯が、漏れ出したオイルに落ちた。
――ボワッ!
ホルツの足元が、一瞬、火花が散るように燃えた。
炎。
カルメンの瞳に、あのときの光景が浮かぶ。
炎の中で家族を失った、あの記憶が。
(――もう誰も死なせない!)
「うわッ!!」
ホルツはゼノフォードを放し、突然燃え出した炎に咄嗟に後ずさった。
――怯んだ。
「今よ!!」
ワッ、と。
カルメンの声で、三十人近くの子供たちが、一斉に飛びかかった。
敵は、力も、体格も、圧倒的な差がある大人。
だが、圧倒的に数が勝っていた。
「ベン! 足を狙いなさい!」
カルメンの言葉に、少年が地面を蹴って滑り込む。
そして、ホルツの足に体当たりした。
「うッ!」
ホルツが蹌踉めく。
子供たちは、体制を崩したホルツに雪崩れ込んだ。
「ライオネル! フランシス!」
カルメンが二人の少年を呼んだ。
「ノコギリを奪うわ、手伝って!!」
一人の少年が上から飛びかかり、ホルツの肩を抑える。
同時に、もう一人の少年はホルツの肘を押さえた。
カルメンはその手からノコギリを力尽くで引ったくり、できるだけ遠くへ放り投げた。
「くそッ!」
ホルツが悪態をついた。
自分にしがみつく子供を引っぺがす。
殴りかかろうとする子供に蹴りを食らわせる。
「非力なくせに、ちょこまかと……!!
おい! 職員ども、早く――」
「ファニー! 口を塞いで!」
少女が上から飛び掛かった。
そのままハンカチを、ホルツの口に突っ込む。
「んぐッ!!」
ホルツは一度下がらせた職員を呼ぼうとしていたのだろう。だが、これでもう応援は呼べまい。
「押し倒すわよ!!」
カルメンの音頭で、子供たちは一斉にホルツの足元に飛び掛かった。
「ぐッ!!」
ドン、と勢いよくぶつけられ、ホルツはそのまま転倒した。
「押さえて!!」
皆が、ホルツの倒れた身体に乗り上がった。
腕、足首、髪の毛――銘々、あちこちを掴む。
ホルツは地面に押さえ付けられた。
カルメンが、ホルツの胸に飛び乗った。
「アンタのことは、許さない!」
カルメンはホルツの襟を掴んだ。
「レナや――皆を!
殺したことは、絶対に許さない!!」
ホルツは、殺意を込めて睨みつけてくるカルメンを一瞥して「ハッ」と笑うと、口の中のハンカチをペッと吐き出した。
「殺した? 違うな!
『命を救うために、犠牲になってもらった』だけだ!!」
ホルツはニッ、と歯茎を見せて笑った。
「死んでいった奴らのおかげで、いま生きている命がある!」
ホルツは唾を飛ばして叫んだ。
「おまえたちは生きたいか?
生きたいだろう!!」
ホルツは首を起こし、ぐるりと見渡した。
子供たちの目の中にある闘志。
それは、死にたくない、生きたいという想いから燃えているものだ。
それを見て、ホルツはまた「ハッ」と笑った。
「だが――生きたいと思うのは、おまえたちだけじゃない!
この世の大多数の人間も同じだ!!
長寿! 延命! 不老不死!!
有史以来、世界中の誰もが願ってきたことなのだよ!!
だからこそ、医療は発展した!!
人を、生かすために!!」
ここ数年で急激に発展した医療。
そして、『臓器移植』という新しい選択肢。
それらはすべて、『生きるため』に確立した技術なのだ。
「諦めるしかなかった命!
失われつつあった命!
それを救うことだってできるのだ!」
ホルツはぐっと首を起こし、カルメンに顔を近付けた。
「いいか――犠牲になったガキの命は、誰かの中で続いている。
ガキたちの命に、救われた命があるのだ!
ガキたちはただ『殺された』わけではない!
そして私も、ただ『殺した』わけではないのだ!!」
「――実験の話?」
ホルツは一瞬、笑みを霧散させた。
「ハッ、そうか。おまえたちには、臓器移植の話をしていないんだったな」
ホルツは肩を竦めると、「まあいい」と口を開いた。
「二度目の説明は面倒だ。あの世で、そこのガキから聞きな」
急に投げやりになったホルツに、カルメンは襟を掴む力を強めた。
「――よくわからないけど、わかったわ。
アンタが、独りよがりの腐れ殺人鬼野郎だってことがね!!」
「――ほざけ!!
何もわかってない虫ケラが!!
ガキのくせに、政府高官である私に説教を垂れる気かッ!!」
バッ!
ホルツは立ち上がった。
押さえていた子供たちが、ばらばらと振り落とされる。
「一つだけ、教えてやる!
命というのは、平等ではないということを!!
おまえたちの命は――軽いのだ!!」
ホルツは歩き出した。
その先にあるのは――ノコギリ。
ホルツが、ノコギリを掴んだ。
「むしろ、尊い命を繋ぐ糧にされることを、誇りに思え――!!」
ブン!
子供たちを標的にして、ノコギリが。
――振り上げられた。
「――『死はあるいは泰山より重く、あるいは鴻毛より軽し』ってかい」
ホルツの動きを制止させたのは、一つの声だった。
「影響力のある人が亡くなれば惜しまれるし、悪人が死刑で散れば清々する。
金持ちは最先端の高度な治療を受けられるし、貧乏人はまともな治療すら受けられない。
――確かに、命の価値は平等じゃない。悲しいことにね」
口を開いたのは――いままで静観していたゼノフォードだった。
「それに、君の言い分も一理ある。
新たな治療法のおかげで、命を繋ぐことができる人がいる。それは良いことだ。だけど」
ゼノフォードは、手足を拘束されたまま、ゆっくりと上半身を起こした。
「――だからといって、何の罪もない人間を殺していい理由にはならない!」
「――黙れ!」
ホルツは標的をゼノフォードに変更した。
ザッ、ザッ、と、地面を踏みしめながら、近寄ってくる。
「命が惜しくないようだな、ガキが!
やはりおまえが一番目障りだ!」
子供たちが、わらわらとホルツに掴み掛かろうとしてくる。
だが、所詮は子供。圧倒的な体格差のある大人に、敵うはずがない。
「おまえから殺してやる――!!」
――ゼノフォードは息を呑んだ。
(ホルツの注意が子供たちから逸れたのはいいけど――ここからどうする!?)
口を挟んだはいいものの、ゼノフォード自身、策があったわけではない。
先ほどから何度も、インターフェースを開こうと、拘束された手で四角形を作っていた。
何度も。
何度も――。
(くそッ……ロードさえできれば……!)
ゼノフォードはさらに闇雲に後ろの手を動かした。
セーブデータのボタンがあった位置を思い出して、その辺りを探るように触れる。
(読み込んでくれ! 頼む!)
セーブデータを押せていないのか。
それ以前に、ロード画面に辿り着けていないのか。
そもそも、インターフェースが開いていないのか。
なにも、わからない。
そうしている間にも、ホルツは一歩、また一歩と近付いてくる。
(こんなところで、死ぬのか――?)
城から逃亡し、死を偽装してまで生き延びてきたというのに、こんなところで――?
刃が、月光の光を受けて、白く光った。
(万事休すか――!!)
そして。
「死ね――!!」
ブン!
――と、ノコギリが振り下ろされた。
瞬間。
キィン!
金属音がした。
その異様な音に、ゼノフォードは目を開けた。
――ノコギリの刃が、折れていた。
ゼノフォードは、その金属音に聞き覚えがあった。
もう二度と、聞くことはないだろうと思っていた音――。
「お久しぶりっすね、殿下」
最後に会ってから、さほど日数は経っていないはずなのに。
妙に、懐かしい声がした。
思わず、ゼノフォードは震える口を開いた。
「どうして、君がここに」
目の前にあるのは。
茶髪に長身。
そして。
――月光を受けてぎらりと光る、大きな青龍刀。
「――アルノー君!」




