54話 逃げ切れるか
バタバタ――!
複数の足音が響く。
振り返ると、数人の職員がこちらへと走ってくるのが見えた。
「脱走者だ!」
「捕まえろ!!」
ゼノフォードは視線を前方に戻した。
(――逃げ切れる気がしない!)
ふと視界の端にちらりと、予備らしい積み上げられた椅子の山が映った。
「カルメン君、先に行け!」
叫びながら、ゼノフォードは椅子のタワーを蹴倒した。倒れた椅子が音を立てて廊下の中央に崩れて転がり、職員たちの進路を塞いだ。
その様子を確認してから、ゼノフォードはまた走り出す。
だが振り返ってみると、職員たちはそれを容易に跨ぎ、踏み越えていた。ほとんど減速せずに迫ってくる。さして足止めにはならなかったということだ。
「くそッ――!」
玄関へ向かいたい。このまま廊下を突き進んで、広間を抜けて玄関まで辿り着くことができれば、表門から施設を脱出できる。だが――。
「駄目だわ!」
前方を走っていたカルメンが急停止した。
「玄関には向かえない!」
進行方向に、職員の姿が見えたのだ。
ゼノフォードは即座に回れ右をし、脇の扉へと走る。
中庭に通じる扉だ。
「予定変更だ!」
ゼノフォードは歯を食いしばりながら、扉を押し開けた。
「裏門から出る!」
そのまま外へ飛び出した。
そしてカルメンの方に振り返ったが――。
「先に行って!!」
カルメンが叫んだ。
職員が前方から、ゼノフォードの付近まで迫っていた。
カルメンが来る前に、ゼノフォードの方が捕まってしまう。
「――くそッ」
二手に分かれるより他なかった。
ゼノフォードは中庭の方へと向きを変えた。
「――捕まるんじゃないよ!」
「言われなくても!!」
カルメンの声を背中で聞きながら、ゼノフォードは扉を閉める。
そしてすぐさま、傍らにあった大きな植木鉢を引きずり、扉の前に据えた。
「これで少しは――!」
ガンガン、と扉を押し返す音が聞こえる。しかし植木鉢は今にも倒れそうに揺れている。開くのも時間の問題だ。
すぐに駆け出した。
(走れ――裏門まで走るんだ!!)
ガシャン!
背後から音がした。
振り返らなくてもわかる。
植木鉢が倒れ、扉が開いた音だ。
「――まずい!」
ゼノフォードは走った。
中庭の土は、ところどころ盛り上がっている。
不自然な膨らみ。
踏みしめるたびに沈む足元。
ここに埋められた何かの存在を、否応なく感じさせる。
――が、それは今はどうでもいい。
問題は、この地面の走りにくさだ。
この凸凹で柔らかい地面に、足を取られる。
「うッ――!」
土の凹みに足を取られ、前のめりに倒れ込んだ。
その瞬間。
「大人しくしろ!」
「抵抗するんじゃねェ!」
背後から職員が飛びかかってきた。
「う……ぐッ!!」
腕を掴まれ、足を押さえられる。
手に何かを嵌められる――革製の手枷だ。
足も動かない。
「くそ……ッ、くそ!!」
何度目になるかわからない悪態を吐きながら、ゼノフォードはインターフェースを呼び出そうとした。
だが地面に押さえつけられ、手枷と足枷をつけられた今、四肢は動かない。
(ロード……ロードするんだ!)
ゼノフォードはもがいた。
拘束された後ろ手で、必死に窓を作ろうと体勢を変える。
(インターフェースを――開くんだ!!)
指で四角形を作れた、ような気がする。
しかし。
(開いて……いるのか!?)
インターフェース開いているのか、いないのか。
(何もわからない!)
インターフェースが開いている前提で、画面だと思われる空間を押下する。とにかくセーブデータの選択画面に遷移して、時間を巻き戻したかった。
だが最早、自分がいま何を押しているのか、それどころか何かを押せているのかさえわからなかった。
もしかしたら今は、ロード画面どころか、どうでもいい設定画面やステータス画面のあたりを彷徨っているのかもしれない。
何も見えない。わからない。
「あとはいい」
(――!)
聞いたことのある声が、背後から響いた。
「このガキの面倒は、私が見る。
おまえたちは、もう一人の女の方を探せ」
その声で、職員がぞろぞろと施設の中へと戻っていく。
「昼間に会ったとき、『危険な子が来たな』とは思ったが、やはりか。
あの実験室を見たからには、生きては帰せない」
ゼノフォードは振り返った。
予想通りの人物が、そこにいた。
――ホルツだ。
昼間に見たときは、人の良さそうな笑みを浮かべて、子供を一人一人丁寧に診察して、親身になって話に耳を傾けてくれていたというのに。
今、白衣の裾を揺らしながらゆっくりと近づいてくるその姿は、まるでマッド・サイエンティストのそれだった。
「――演技だったんだね」
ゼノフォードは、インターフェースが開いているかもしれない空間を弄りつつも、近付いてくる男を見上げた。
「クラウゼ所長が全て悪いって言ったのも、警察に通報したのにと涙ながらに語ったのも――全部」
ホルツの人の悪い下衆な笑みを見ると、ああやはりこの人は悪人なのだと思わざるを得なかった。
ゼノフォード眉を寄せた。
「まったく名演技だね。衛生局の職員なんぞになるより、俳優業をやればよかったんじゃないかい」
「そうかもしれんね」
ゼノフォードの軽口に、ホルツは「ハハッ」と肩を揺らして笑った。
「何せ私は――衛生局職員という偽の肩書きを演じ切っているのだから」
「――なんだって?」
確かに、あの秘匿された実験室にさも当然のように出入りしているのだ。彼がただの定期検診担当であるはずがない。
だが、肩書きそのものまで偽りだったというのか。
ホルツは、にい、と笑った。
「私は、帝国政府の上官だ。
この施設の監督を仰せつかっている――な」
「……」
ゼノフォードは、クラウゼ所長が語ったこの施設の説明を思い起こした。
「――ここは、帝国政府管轄の研究施設なんだってね。
表向きは『児童養護施設』として子供を集めて、その子供たちを実験台にして投薬実験を行っている」
「それはクラウゼ所長から聞いたのか。――おしゃべりな奴だ」
ホルツは顎に手を当てて、にっ、と口の端を上げた。
「だがそれは『表向き』だ」
「『表向き』?」
ゼノフォードは目を瞬いた。
ゼノフォードの疑問系となった言葉に、ホルツは「あー」と、考え込んだ。
「違うな。表向きは『児童養護施設』だ。だから、『実験室』は表向きじゃない――当然、『裏の顔』だ。
だがな、要するにだ。
その『裏の顔』というのも、クラウゼ所長を騙して子供を集めさせるための、ただの方便に過ぎんのだよ」
ゼノフォードは、もう一度目をしばたたいた。
その様子を見て、ホルツは。
――にい、と、楽しそうに笑った。
「冥土の土産に教えてやろう。
ここの本当の実態は――そうだな。言うなれば――。
『臓器の養殖場』だ」




