52話 地下に眠る
壁際には薬品棚と記録台。
中央には簡素なベッドが並ぶ。
そこに横たわるのは、痩せ細った子供たちの姿だった。
「これは――研究室か?」
どう見ても、そうとしか呼べない空間だった。
ベッドに横たわる子供たちは、生きているのかも分からないほど静かだ。
静かに上下する子供たちの胸を見下ろして、カルメンは眉を寄せた。
「リオン、ブルーノ……引き取り先が見つかったって言ってた子供たちじゃない。いつの間にか見かけなくなった子もいるわ」
ゼノフォードはベッドの一つに目を向けた。――もはや仮死状態といっても差し支えない様子だ。
「まさか――子供を使って実験しているのか?」
研究室らしい部屋の中に並ぶ、意識不明の子供たち。この現状はもはや、そうとしか判断できなかった。
「クラウゼ所長。君が『金儲けのためじゃない』って言っていたのは、こういうことかい」
この施設は、金銭稼ぎのためではない。実験のために運営されているのだ。
そう思えば、色々と腑に落ちることがあった。
「子供たちが脱走すれば、口減しになって良いだろうに、どうしてあそこまで過剰に阻止しようとしているのか、って思っていたよ。
――実験台を確保するためだったのか」
ゼノフォードは、手に持っていた報告書に視線を落とした。
安く売られる臓器。それは、実験の失敗によって生じた副産物に過ぎない。
医療関係への連絡先は、死亡届の改竄のためではなく、実験のため。
備品の注射器も、殺害のためではなく――実験用だった。
クラウゼ所長は、研究室の子供たちを見つめたまま、静かに口を開いた。
「君たちは知っているか?
いや、知らないか。何せ、帝国政府が発表していないのだからな。
帝国では、二年ほど前から、奇妙な病が発生したんだ。記憶障害や、人格変化、妄想――それが症状だ」
ゼノフォードは眉を寄せた。
「ヘルペス脳炎か、梅毒性脳炎みたいな感染症かな」
ヘルペス脳炎はウイルスが脳に感染して起こり、梅毒性脳炎は細菌が中枢神経に侵入して起こるものだ。
いずれも症状は、記憶障害、性格変化――そういったものである。
「あるいは、薬害事件か。
たとえば市販の薬に、ベンゾジアゼピン系薬剤みたいな、多量摂取によって認知機能低下を引き起こしかねない薬物が含まれていれば、可能性としてはある」
実際、前世における現代社会においても、薬害事件が起きることがあった。
「重金属中毒の可能性もある。公害かもしれない。
――それで、正解は?」
「それがわかれば、こんなことはしていない」
クラウゼ所長が首を振った。
「症状の原因は不明、治療法もない。
だから、帝国政府は新薬を開発することにしたんだ。
しかし、帝国はこの病について報じていない。新薬についても開発を公にするわけにはいかず、治験者を募ることもできなかった。
当然、臨床データは不足した。
そして実際、新薬は安全とは言い難かった。投薬すれば副反応として意識を失うからな」
所長がベッドの方に目をやったのを見て、ゼノフォードはその言葉の意味を察した。
ここにいる子供たちが眠っているのは、その副反応というわけだ。
「そこで政府は、施設を作ることにしたんだ。
児童養護施設という名目で子供を集め、条件に合う者を選んで、秘密裏に投薬実験を行う。人材――いや、実験台の供給ルートとして、だ」
つまり。
この実験室は、その治療薬の投薬実験を行う場ということだ。
「私の娘もな――」
所長はふと、ベッドに静かに横たわる子供に目をやった。――娘と重ね合わせているのだろう。
「その病を発症した。二年前の記憶はすっかりなくなって、代わりに妄想ばかり話すようになってしまった。
そんなとき、政府が言ってきたんだ。『娘さんの病の治療法を確立するために、実験に協力してくれないか』と」
よってクラウゼは、その施設の『所長』として子供を集め、投薬実験の場に送り込んでいたというわけだ。
「だが、現実は悲惨だった」
可愛く思っていた子供たちが、実験体にされた。
「子供たちは実験により意識を失い、そのまま死んだ。
そして、まるで副産物とでもいうように臓器や遺体は売買されたのだ」
子供が『人間』ではなく『家畜』のようだった。
「いくら娘のためとはいえども。それでも、罪悪感というものはついて回るのだよ。
だから私は、もうやめようと思った。
だが、それを申告すると――殺されかけた」
このような『政府の裏の事情』を知った者が、あっさりと解放されるわけがないのだ。
「表立って、子供を集めるのを阻止することはできない。子供を逃したりするような真似もできない。
だから私は、『ミス』を犯すようにした」
ふとカルメンは、心当たりがあったのか顔を上げた。
「『ミス』――」
クラウゼ所長と言葉とカルメンの反応を見て、ゼノフォードは合点がいった。
「――裏門の鍵か!」
裏門の扉にかけられた、南京錠。
子供を逃がそうとしていたとき、カルメンが『職員が鍵を閉め忘れる』と発言していた。
これは、クラウゼ所長の意図だったというわけだ。
所長は重々しく頷いた。――いや、項垂れた。
「公然と子供を解放すれば、すぐに監査が入る。
だから、偶然を装って密かに『逃げやすい環境』を作るしかなかった。
せめて、一握りの子だけでも逃げてくれれば――と思ってな。
まあ、自分のためだ。
私自身が、罪悪感から逃れるためだ」
『自分のため』。ゼノフォードはこの言葉に覚えがあった。
この施設の資料を持ち、明らかに外部に脱出しようとしているゼノフォードを、所長が庇ったとき。彼は、こう言った。
『――私自身のためだ』
――と。
クラウゼ所長は顔を上げると、ゼノフォードに視線を移した。
「――その帳簿や報告書は、証拠品だな?
それを持って、どこかに訴えに行くつもりなのだろう?」
「そうだって言ったら、どうするんだい」
ゼノフォードの言葉に所長は返答せず、部屋の端の方へと歩を進めた。彼のすぐ近くの記録台の上は、一枚の書類がある。
それを手に取った所長は、ゼノフォードのもとに戻り、書類を渡してきた。
受け取ったゼノフォードは、その書類に目を落とす。
アシリア 7月29日 07:00 投薬完了
トミー 8月15日 07:30 投薬完了
ブルーノ 8月28日 07:00 投薬完了
リアム 9月10日 07:30 投薬完了
リオン 9月21日 08:00 投薬完了
……
「――投薬記録?」
ゼノフォードは、この記録が意味するところを察してぴくりと眉を動かした。
所長がこれを渡してくるということは――。
(証拠品につけ加えろということか。
それも――『実験の証拠』を)
ゼノフォードは顔を上げた。
「――君自身のためかい?」
この施設の真実が世間に公表されれば、クラウゼ所長はただでは済まない。だが。
「――この事実が公になれば、君はもう良心の呵責に耐える必要もなくなる、と。
『道徳的マゾヒズム』ってやつか。
『自分が悪い』と認めて『罰を受ける』ことで、罪悪感を清算しよう――って行動だ。
随分と受け身な思想だね。でもまあ――君なりの答え、ってことか。良いんじゃないかい」
「――行きなさい」
クラウゼ所長は立ち上がった。
「さっき騒動はあったが、もう職員も寝る時間だ。追手と鉢合わせることもないだろう。
玄関口から静かに出て行くんだ」
ゼノフォードは、証拠品を持ち直して肩をすくめた。
「聞いていた話とは違うね、君は。
僕はてっきり君が、とんでもない大悪党なんだとばかりに思っていたよ。
ホルツ、だっけ。あの衛生局の職員君が、『全部クラウゼ所長のせい』って言っていたから――」
――と、そのとき。
実験室の扉越しに、声がした。
「――クラウゼ所長さん? いらっしゃるのでしょう?」




