51話 どういうつもりだい
広間に静寂が落ちた。
クラウゼ所長の嘘の肯定――ゼノフォードを庇うようなその一言に、ゼノフォードとカルメンは顔を見合わせた。
女性職員は一瞬だけ所長の顔を確認し、訝しげに首を傾げたものの、所長の穏やかな表情を見て、やがて納得したように頷いた。
「そうですか」
それだけ言うと、職員は広間を後にした。
扉が閉まり、三人だけとなった空間に静寂が流れる。
「――どういうつもりだい」
張り詰めた空気の中、ゼノフォードは帳簿を抱え直し、クラウゼ所長を見上げた。
だがその問いには答えず、所長はゆっくりと歩き出す。
「――聞いてるのかい?
話を聞かない人は嫌われるよ」
ゼノフォードは語気を強めて追いかけた。カルメンも後を追う。
廊下に出ると、月明かりが窓から差し込み、三人の影が床に伸びた。
「――君たちは」
歩幅を緩めることなく歩いていたクラウゼ所長が、振り返らず不意に口を開いた。
「私が金欲しさに子供を虐げる悪党である、と。そう思っているのか?」
ゼノフォードの問いへの返答なのか、それとも独白なのか。真意は定かではない。
カルメンが噛みついた。
「違うって言うつもり?」
だが所長は答えず、施設の奥へと歩を進めた。
やがて、クラウゼ所長は重厚な扉の前で立ち止まった。扉を押し開けると、その中は古びてはいるが立派な机と椅子、そして壁際に並ぶいくつもの棚に収まった本が姿を現した。――書斎だ。
所長はその室内に足を踏み入れた。
所長に続いて室内に入ったゼノフォードとカルメンは、礼儀で一応扉は閉めたものの、しかし戸口近くから動かなかった。――万一のときに、いつでも逃げ出せるようにだ。
所長はそんな二人の様子を一瞥するも、特に気にした風も無く、そのまま中央の椅子に腰を下ろした。
ゼノフォードは、そんな所長に向けて口を開いた。
「――もう一度聞くよ。
何のために僕を助けたんだい」
「何のため? そうだな。
強いて言うならば――私自身のためだ」
クラウゼ所長は静かに言った。
その言葉に、ゼノフォードは眉をひそめる。
「要領を得ないな。何を言ってるんだ」
所長は足を組み、膝の上で手を組んだ。
「私はな。――金欲しさに、このような施設を運営しているわけではない」
カルメンがまた、即座に噛みついた。
「本気で言ってんの?」
所長は答えなかった。
ゼノフォードが一歩、所長に近づく。
「金欲しさじゃないっていうなら、施設の収入は君たちの懐に入ってるってわけじゃないんだろう?
だったら、お金はあるはずだよね。
――なのにどうして、まともに子供たちの世話もしないんだい?」
ここに来る前に、この施設から脱走した子供が、施設の劣悪さについて話していた。カルメンもそれを肯定した。
そして身をもって、過酷で衛生状態が悪い労働環境と、料理と呼ぶのも憚られる食料、質が悪く硬いベッドを体験した。
何より、衛生局から来ているエミール・ホルツが、『今すぐ死ぬ、というわけではないにしろ、みんな決して良い状態とは言えない』と言っていた。
体感だけでなく、客観的に専門家目線から見ても良い状態とは言えないのだ。
「皆、カカシみたいにヒョロヒョロじゃないか。
最近の、細ければ細いほど良い、って絶食レベルに食事を抜く、不健康極まりない無理で無謀なダイエットをする人たちだって、もういくらかはマシだよ」
クラウゼ所長はわずかに目を伏せた。
答える気がないのだろうか。そう思ったとき、所長は静かに口を開いた。
「食料の予算は国で決められている。追加の食料は、上層部の許可なしには購入できない。
もし勝手に増やせば『不正支出』と見なされ、私も処分される。
そして下手をすれば、口減しのために子供たちが殺されるかもしれないのだ。
――子供たちのためにも、やむを得ないのだよ」
所長は椅子の背にもたれ、ゼノフォードとカルメンをじっ、と見た。
「そもそもだ。収入はあくまで、施設の運用のために使われる。自由に使えるわけではないんだ」
「へえ、そうかい」
ゼノフォードは、形の良い薔薇色の唇を吊り上げた。
「児童養護施設って、随分とお金がかかるんだねぇ。
――子供を殺して、臓器を取り出して、特売大セールって叩き売りでもしないと工面できないくらいにね」
その言葉に、クラウゼ所長はわずかに顔をしかめた。
「――そうだ。
とかく、金が掛かるのだよ。
君たちには、想像もできないくらいにな」
所長は立ち上がると、壁際にある書棚の脇に回り込んだ。両手で棚の側面を押さえ、ゆっくりと力を込める。
――ズズズ。
棚が床を擦る音を立てながら、少しずつ横にずれていく。
その棚の背後から。
――壁に埋め込まれた扉が姿を現した。
カルメンは目を見張った。
「これって――」
ゼノフォードもまた、眉を顰めた。
「――隠し部屋か?」
所長は何も言わず、扉のノブに手を掛けた。
そのまま引けば、ギイ、という重々しい音を立てて、内開きの扉が開く。
その中は完全な暗闇だった。
書斎に灯るオイル・ランプの僅かな灯りを受けて、下に降りる階段らしいものが、薄らと見えるくらいだ。
クラウゼ所長はカンテラを手に取ると、オイル・ランプの炎をそれに移した。――地下に行くつもりらしい。
所長はゼノフォードとカルメンの方を振り向いた。来い、ということか。それから所長は踵を返すと、深淵に向かって歩を進め始めた。
ゼノフォードとカルメンは一瞬顔を見合わせる。が、すぐに駆け出した。
扉の向こうにあった階段は、所長が手にするカンテラの燻る灯りに照らされて見える限り、無骨で質素なものである。
地下特有の湿り気と肌寒さが、先ほどまでの児童養護施設に感じていた『劣悪な環境』という心地悪さとは別の不快感を覚えさせる。
クラウゼ所長が足を止めた。
目の前に、厳重そうな扉がある。
所長は懐を探り、何かを取り出した。――鍵だ。
それを扉に差して回すと、ガチャリ、と開錠される音がした。
所長はノブに手を掛ける。
そして、書斎から階段に通じていた扉以上に重々しい、ギギギ、という音を立てて、その大きな扉が開いた。
その中から姿を現したのは。
正気の無い子供たちが横たるベッドが並び、薬や医療器具が並ぶ。
――研究室だった。




