50話 証拠を求めて
「――ここが事務室よ」
ゼノフォードとカルメンは、養護施設の事務室の前に立っていた。
先ほどの脱走騒ぎで職員たちは手一杯のはずだ。中に誰もいない可能性が高い。
ゼノフォードは念のためインターフェースを呼び出すと、セーブした。
それから、そっと扉を開ける。
中は月光だけが差し込む薄暗い空間。
書類棚と古びた机が並ぶだけの、殺風景な部屋だった。
二人はそっと中に忍び込み、扉を閉めた。
「――早速見つけたわ」
カルメンが机の上にあった冊子を手に取った。
「これ、帳簿よね。
アタシたちが内職で作ってる部品、二束三文にしかなってないと思ってたけど、意外と稼げてるみたい。月ごとの収支が出てる」
ゼノフォードはカルメンの肩越しにその帳簿を眺めた。
「さっき、『食料不足なら、わざわざ逃亡者を追い回す必要はあるのか』って訊いたけどさ。君の、『内職の人手を減らしたくないから』って考えは正しかったってわけだ」
言いながら、ゼノフォードはその近くにあった書類を手に取った。
「――いや、『半分は』正しかった、って言うべきか」
「え?」
「見たまえよ」
ゼノフォードが差し出したのは報告書らしいものだった。
研究用提供実績(第2四半期)
肝臓 3件 計6,000リテン
腎臓 2件 計3,600リテン
角膜 2件 計1,200リテン
全身提供 1件 計5,000リテン
骨・皮膚・神経組織 4件 計1,600リテン
特別検体(外傷痕あり) 1件 計4,500リテン
総収入:21,900リテン
署名:オットー・クラウゼ
カルメンは肩を震わせた。
「子供たちの臓器を、売ってるの!?」
「臓器を抜いて中庭に埋めるのか。――おぞましい」
児童養護施設という子供を保護すべき場所で、保護されるべき子供の身体が、商品として扱われている。
労働力としてだけでなく、死してなお、骨の髄まで搾り取られているのだ。
そして、署名欄に記された『オットー・クラウゼ』というサイン。この施設の所長自身が、死体ビジネスの主導者であることを示す、動かぬ証拠だった。
それにしても、とゼノフォードは眉を寄せた。
(昔読んだ推理小説の内容を信じるならば、肝臓は一つ2、300万円くらいの値段がついたらしい)
勿論、現代の日本では臓器売買は違法であり、価格が公に設定されることはない。
だが、闇市場や海外の事例をもとにすれば、参考値くらいは叩き出せる。
(このゲームの制作時に、1リテンは1ドル換算だって設定を見かけたな。円高円安は差し置いて、ざっと100円だとしよう。
ここで換金された肝臓は、一つ2,000リテンだから……20万円。現実世界の十分の一か。
研究用ってことだし、医療が発展途上のこの世界では手術に使うわけじゃないだろうから、価値も現代社会とは違うだろう。
だとしても――安すぎる)
競合がたくさんいるというわけでもないだろうし、その気になれば、もっと強気の価格設定で臓器を売れるだろうに。
(まるでスーパーでお買い得セールになる、大量生産の牛肉みたいだ)
ゼノフォードは報告書をまとめる。それからカルメンから、開いたままの帳簿を受け取った。
ゼノフォードは帳簿ちらりとそれに目を落とした。
「いくら子供が金になるっていっても、運営費用分の支出と収入を比べると、ものすごい儲かっているってほどでもない。
労多くして功少なし……っていう気もするね」
帳簿を閉じたゼノフォードは、机の端に積まれていた書類の束に目を留めた。こちらも報告書らしい。
表紙には官庁の名前が並んでいる。
「決算報告書か? 『帝国医療局』『リテンハイム中央病院』『衛生局』……医療系ばかりの宛名だな」
カルメンが一枚手に取り、支出欄に指を滑らせた。そこには『医療系小口取引先』と書かれている。
「どうして医療関係の取引先とやりとりしてるのかしら」
「死亡届の改竄のためじゃないかい。死因の調整くらいは簡単にできるだろうし、不都合な遺体にはそもそも書類を発行しない、なんて便宜を図ることだってできる。まあ、推測に過ぎないけどね」
ゼノフォードはその報告書も持ち、今度は部屋の隅に鎮座する棚に目を滑らせた。『備品』と書かれた引き出しがある。
何とはなしに開けてみると。
「これは――」
体温計、消毒液、そして何かが入った紙の箱が整然と並んでいた。
その箱を開けてみる。中に入っていたのは――注射器だった。
「体温計や消毒液はともかく、備品で注射器は珍しいな」
「アタシたち、予防薬の注射とか、そういうことはされたことないわよ。体調不良のときだって、まともな治療もされないし。
その注射器で何をしていたのかしら」
ゼノフォードは眉を寄せた。
「最初に思ったことは、死因の改竄をするためじゃないか、ってことだ。死体に何かを注射して、死因を誤魔化しているのだろう、ってね」
「だけど、さっき死亡届の改竄の証拠みたいな書類があったじゃない」
医療系の宛名が並ぶ予算報告書のことだ。
「死亡届の改竄ができるなら、死因を改竄する必要はないんじゃないかしら」
「ああ。だからきっとこれは――あまり考えたくはないけど――子供を殺害するためじゃないかな。資金に困ったときに、子供を殺害して臓器を売るために」
可能性としては充分にある。
「これだけあるってことは、常套手段なのかもしれない」
ゼノフォードはその箱を閉じると、それも証拠品として取り上げて、自分の手の中の証拠品の山に積み上げた。
「――ここで手に入るのは、これくらいかな。
申し分ないだろう」
いずれも、普通の児童養護施設にあるとは思えない異様な物だ。
そして、その書類たちには『クラウゼ児童養護施設』としての印も、『オットー・クラウゼ』の署名もされている。
物的証拠としては充分だろう。
□□□
事務所を後にしたゼノフォードとカルメンは、そろり、と廊下を歩いた。
「いい?」
カルメンは小声で囁いた。
「アンタはこれから、その証拠品を持って街まで行きなさい。
いまは裏門が警戒されてるから、表の門から出るのよ。さっきの一件で手薄になっているはず」
「――わかった」
もし見つかれば、ただでは済まない。
万一の時は、セーブデータを読み込んで時を戻さなければならない。
そのときはやり直すか、場合によっては延期して別日にするという選択肢も視野に入れる必要があるだろう。
カルメンは作業室、もとい広間の扉のノブに手を掛けた。ゆっくりと音を立てずにそれを回し、少しずつ開ける。
と、光の筋が廊下に差した。
まだ明々と灯りがついており、一瞬背筋を凍らせる。
だが――誰もいない。
「よかった。ほら、行くわよ」
カルメンは扉を大きく開けた。
あとからゼノフォードが入り、そっと扉を閉める。
抜き足、差し足で広間を進む。
ふと、壁にかけられた時計が目に入った。夜の九時。子供たちはもう就寝時間だが、大人はその限りではない。
いまここに職員がいないのは、先ほどの脱走騒ぎのためだろう。
だが、いつ職員が戻ってくるとも限らない。広間に人がいる気配を察されれば、すぐに職員が来るだろう。油断はできない。
音を立てまいと思っていても、ぎし、ぎしと足元で木の床が軋む。
だが、もうすぐあの清潔で豪華な廊下に繋がる扉に辿り着く。そうすればもう、居間を通って玄関に行くだけだ。
カルメンが扉のノブに手を伸ばした。
――そのとき。
ガチャリ、と。
反対側の扉が開いた。
そして。
目が合った。
あの女性職員と。
「――ゼノ君。その手に持っているものはなに?」
(――見つかった)
ゼノフォードは内心焦りながらもそれを出さず、さも当然のことをしているように、ふっと端麗な顔に柔らかく笑みを乗せた。
「――帳簿ですよ」
正直に言ったゼノフォードに、カルメンは驚いて振り向いた。
非難の目を向けられていることを察しながらも、ゼノフォードはそのまま微笑み続けた。
「居間に持って行くところなんです、クラウゼ所長に頼まれて」
するりと自然に嘘を吐いた。
だが――。
世の中は、そんなに甘くなかった。
「とのことですけど、本当ですか――所長」
職員が振り返った。
「――!」
ゼノフォードとカルメンは目を見開いた。
扉の向こう、死角になっているところに、もう一人。
柔和な笑みの裏側に恐ろしい顔を持つ、初老の大柄な男。
健康診断にこの施設を訪れてきたホルツの言葉が思い出される。
『私も、クラウゼ所長には何度も勧告したんだ。栄養状態の改善、衛生環境の整備――。
けれど、彼はこう言ったんだ。「生きてさえいれば、それでいい。余計な金はかけたくない」と』
それから、あの遺体の売買や、医療系の宛名が記された報告書に書かれた署名が脳裏をよぎる。
最初に会ったときこそ、穏やかで人が良い人物に見えたが、そんなのは表の顔に過ぎない。
この男こそ、この施設の元凶。
オットー・クラウゼ所長だ。
ゼノフォードは証拠品を腕で抱え、インターフェースを開いた。
(ロードだ……時間を戻すんだ!)
クラウゼ所長が、広間に入ってくる。
足音が迫る。
ロードしなければ。
証拠品の荷物が邪魔だ。
指がもつれる。
ふと目の前が暗くなる。
顔を上げると。
目の前に。
――クラウゼ所長の顔があった。
クラウゼ所長は。
――穏やかに笑った。
「ああ、そうだとも。
――私が頼んだんだ」




