49話 月明かりの密談
ゼノフォードは粗末な寝具の上で身じろぎをした。
(――疲れた)
先ほどとは違い、気怠い眠気が襲ってくる。
このまま寝てしまおうか。怠さに負けて、ふわ、と欠伸をした。
「あら。おねむみたいね」
カルメンの声だった。
ゼノフォードは欠伸を途中で止めて、声が降ってきた方を見上げた。――呆れたようにこちらを見下ろす赤色の瞳と目が合った。
「……ここ最近は、欠伸の顔ばかり見られてる気がする」
ゼノフォードは頭を掻いた。
カルメンは溜息をひとつ吐くと、気を取り直して小声で言った。
「眠そうなところ悪いけど、アンタは見てて危なっかしいから、釘を刺しておこうと思って」
話をしよう、ということらしい。
ゼノフォードは上体を起こした。
周囲には、まだ眠っていない子供たちの気配がある。話すには不適切な場所だ。
「――廊下に出よう」
言いながらベッドから這い出し、寝室を抜け出した。カルメンが後に続く。
扉を静かに閉め、廊下に出る。窓から差し込んでくる月明かりが、二つ分の影を床に落とした。
カルメンは小声で囁いた。
「……アンタがここで長生きできるとは思えない。早いうちに、ここから脱出させてあげる」
先ほど子供を逃がしていたことから察するに、彼女はこの施設で『逃がし屋』のような役割を担っているのだろう。
もしかしたら、ゼノフォードが施設に潜入する前に出会った子供も、彼女が逃亡に手を貸したのかもしれない。
「カルメン君」
ゼノフォードはふと思うことがあって口を開いた。
前世でこの世界の原作となるゲーム『ライオライト帝国記』のデザイナーだった者として、メインヒロインの『カルメン』についての知識は多少はある。
だがそれは、キャラクターの設定資料を把握しているだけに過ぎず、原作の物語に通暁しているわけではない。
だから、ゼノフォードは彼女のバックボーンは何も知らなかった。
「――君はどうして、自分の身を危険に晒してまで、『逃がし屋』みたいなことをしているんだい?」
ゼノフォードが訊くと、カルメンは少しだけ目を伏せた。言葉を探しているようだった。
が、やがて口を開いた。
「――アンタは、人を死なせたことがある?」
予想外の質問に、ゼノフォードは目を丸くした。
「――は?」
気の抜けた疑問系の声が口から漏れる。
前述の通り、カルメンは帝国政府によって家族を失った過去がある。だが。
(『死なせた』って設定は、聞いたことがない)
「――何かとんでもなくキツイ過去でも背負っているんだろうな可哀想に、って顔してるわね」
ゼノフォードの表情を見たカルメンが、小さく溜息を吐いた。
「……心配しなくていいわ、別にそんなんじゃないから。
ただ、アタシがもっと上手く立ち回れていたら、死なずに済んだ人もいたんじゃないかって思ってる、ってだけ。
――本当にそれだけよ」
「そうかい?」
「ええ。
アタシの行動で、死なずに済む人がいる。
まあそれが、アンタの質問への答え。アタシが、アンタの言うところの『逃がし屋』をしてる理由よ」
言葉の合間に入った沈黙が、どこか物憂い感じに思えた。
とはいえ、根掘り葉掘り聞いて苦しませるつもりはない。ゼノフォードはこの件についてこれ以上追及するのはやめた。
代わりに、もう一つ気になっていることを聞いた。
「じゃあ――君自身は、この児童養護施設から出ないのかい?」
『カルメン』は今から数年後、原作の物語が始まる頃には、彼女は街で暗殺者になっている。
つまり、それまでには彼女はこの施設から脱出しているのだ。
ゼノフォードの問い掛けに、カルメンは少し逡巡すると言った。
「もちろん脱出するわ。
――逃げたがっている子が、全員外に出たらね」
正義感の強い彼女らしい発言だった。
だが。
(――絵に描いた餅だ)
一人一人逃がしていくなど、どう考えても現実的ではない。
原作の未来を思えば、カルメン自身の脱出は確約されているようなものだが、他の子供たちにはそんな保証はない。
「――難しいんじゃないかい」
「バカにしたいならすればいいわ」
「そんなんじゃないさ。君の目標を否定したいわけじゃない。
ただ――現実的に考えれば、厳しいだろうと」
「アンタも少しは現実的に物事を考えられるのね。てっきり、理想主義者だと思ってたわ」
「手厳しいね」
ゼノフォードは壁にもたれた。
――当初の目的を忘れたわけではない。
ここに来た理由は二つ。
一つは、街で出会った子供が訴えていた『クラウゼ児童養護施設』の実態を確かめること。
もう一つは、その実態を確認でき次第、この施設を機能不全に追い込むことだ。
「策がある、って言ったらどうだい」
「策?」
ゼノフォードは――ここにきた目的を告げることにした。
「――僕はこの施設を壊すために来た」
カルメンがこちらに目を向ける気配がした。
「潜入、ってこと?」
「そうだ」
「なんだ、自殺志願者じゃなかったのね。
でも、どうするつもり?」
ゼノフォードは当初の計画を話した。
「子供たちを全員逃して、そのあとで放火でもしようと思っていたけど――」
「無理よ」
カルメンが即座に遮った。
「この施設に、子供が何人いると思ってんの?
それに、見たでしょ。ここは監視社会なの。従順な子ばかりじゃない。子供たちに悟られたら――」
「僕は即刻職員に密告されて、サンドバッグさながらコテンパンにされるだろうね」
子供相手に鞭を振るおうとしているのを、この目で見た。
取り押さえられて地面に伏せさせられるのを、この身体で体験した。
ここの職員がどれほど暴力的なのか、理解したつもりだった。
「わかっているよ。だから予定を変更する」
ゼノフォードは記憶を手繰りつつ言葉を紡いだ。
「――昔、ある福祉施設があった」
この世界の話ではない。
現代の、現実世界の話だ。
「表向きは“社会復帰”を掲げた立派なものだったけど、その実情は劣悪だった。環境は最悪。過労働も過酷。死者も出る。――酷い施設だったんだ。
脱走した収容者が警官に訴えたこともあったけど、無駄だった。『問題なし』として、片付けられてしまったんだよ。
だけど、やがて実態が暴かれることになったんだ。
とある脱走者が――新聞社にリークしたのさ」
「アンタが何を言いたいのか、理解したわ」
カルメンは、ゼノフォードが何を言わんとしているかを察したらしい。
ゼノフォードは頷いた。
「――新聞社に告発する。
『マスメディアは第四の権力』って言うだろう?」
「証拠もなしに、信じてもらえると思う?」
「厳しいだろうね。だから証拠を持っていく。どこかに帳簿くらいあるだろう。充分、有力な証拠になるはずさ」
月明かりの中で、カルメンが隣で腕を組み直す衣ずれの音がした。
「持ち出したら、すぐに気付かれる。
それでアンタが殺されるだけならまだしも、もう二度と同じ手段は使えなくなるわ。
一度失敗すれば、警戒されて、警備が厳重になるからね」
「わかってるよ」
ゼノフォードは、月明かりに染まる唇に、ふ、と不適な笑みを乗せた。
「だから、失敗しない」
ゼノフォードの言葉に、カルメンはしばらく黙っていた。
だがやがて、溜息をひとつ吐いた。
「――まったく、わかったわよ! 協力するわ。
アンタのためじゃない、子供たちのためにね」
ゼノフォードかカルメンの方に目をやると、彼女はまたそっぽを向いていた。
「なんだい、優しいじゃないか」
月明かりに照らされた頬が、わずかに紅潮しているのが見て取れて、ゼノフォードは口の端を吊り上げた。
そのまま窓の外に視線を移す。
――先ほどの脱走者の件で、職員たちが混乱している様子が見えた。
「――ここで動けば、警戒している職員の目に留まるかもしれない。
だけど、逆にこの混乱に乗じて、ことを有利に進められる可能性もある」
意外と、チャンスなのかもしれない。
「――賭けるか」
ゼノフォードはカルメンに向き直った。
「今、決行する」




