46話 脱走の代償
ホルツを見送ると、広間には再び作業机が設置され、空間は再び作業室と化した。
子供たちは次々と持ち場に戻り、金属片と布を手に取って作業を再開する。
カルメンはゼノフォードを空いている机へと案内した。
「ここに来たからには、アンタにも仕事をしてもらうわよ。見て覚えて」
机の上には、小さな金属部品が山のように積まれていた。ネジ、留め具、歯車のようなもの――どれも軍需品の一部らしい。
ゼノフォードは、カルメンが手渡してきた布と紙やすりを受け取り、見よう見まねで部品の表面を磨き始めた。
粉塵が舞い、指先にざらつきが残る。単調だが、力加減と集中力を要する作業だった。
「それは紙やすりを使って。これよ」
カルメンが隣から道具を差し出す。
「刻印の周りは丁寧にやりなさい。軍用だから、検品で弾かれると面倒なの」
「軍用のくせに、こんな豪華な刻印なんて必要あるのかい? パーティー用の装飾品じゃあるまいし、非合理的じゃないか」
「つべこべ言わずにやりなさい」
「はいはい」
ゼノフォードは手元の部品を磨きながら、静かに息を吐いた。
と、そのとき。
――チリリリリ!
突如として、けたたましくベルの音が鳴り響いた。甲高く耳に刺さる金属の振動が反響する。
「――脱走だ! 脱走だよ!!」
一人の子供が、天井から垂れ下がった紐を掴んだまま叫んだ。その先には震え続けるベルが付いている。
「脱走だ!」
「悪い子を逃すな!」
「捕まえろ!!」
子供も職員も含め、数人が叫びながら慌ただしく部屋を飛び出していった。
ゼノフォードは眉を寄せながら、垂れ下がった紐とベルに目をやった。
紐の先にゼンマイがついている。紐を引けば、そのゼンマイが巻かれ、それが戻るまでの間、取り付けられたベルが鳴り続ける――という仕組みのようだ。
「このベルはね」
カルメンが口を開いた。
「施設中あちこちにつけられているのよ。
それで、脱走しようとした子がいたら、鳴らすことになってるの。
脱走を阻止した子供は、あとで職員からご褒美が与えられるわ。ちょっと多めに食事をもらえたり、布団を一枚多くもらえたりね」
「……施設の子供たち同士で監視を行わせる相互監視体制、ってわけかい」
その構造を理解して、ゼノフォードは目をふっと伏せた。
「どこぞの独裁国家がそんなことをしていたね。
……本当に、さながら独裁国家だ」
ベルの音が止んだ。それと同時に、廊下の奥から足音と怒鳴り声が近づいてくる。
誰かが叫んでいる。職員の声だ。
それに混ざって、少年のものらしいか細い叫びも聞こえてきた。
「うッ……いたい……ッ」
「動くなクソガキ! 今この場で殺されたくなければな!」
直後。
職員が、泥まみれの少年を引き摺るようにして入ってきた。
少年は痩せて小柄で、腕を掴まれたまま、力なくされるがままになっていた。肘も膝も擦りむけている。抵抗する力も残っていないのか、ただ項垂れていた。
「悪い子がどうなるか、教えてやらんとなァ!」
職員が言いながら、少年を部屋の中央へと引き立てる。そして広間の端に置かれている棚の引き出しから、何かを取り出した。――鞭だ。
職員は、自らを中心にぐるりと取り囲んでいる子供たちを見渡した。
「目ェかっ開いて、よーく見ておけよ、オメェらァ」
職員は試し打ちでもするかのように、ブン、と空中に鞭を振った。
「次は我が身かもしれねェんだからなァ!」
鞭を持った職員が、ツカツカ、と音を立てながら少年の方へと歩を進める。
「――可哀想だけど」
カルメンが囁いた。
「助けようとしたら駄目よ。アンタも無事でいたければね」
しかし、隣からの反応はなかった。
「……ちょっと、聞いてる?」
カルメンは横目で隣を一瞥し。
「……!?」
瞠目した。
隣にいたはずのゼノフォードの姿がなかったからだ。
直後。
「があッ!?」
男の叫びが響いた。
――いつの間にか中央にいたゼノフォードが、職員の胸に硬いヒールをめり込ませていたのだ。
「体罰かい。時代遅れだね」
ゼノフォードは、カツ、と音を立てて床に足をついた。
「いいかい。手を上げる教育方針っていうのは、発達心理学の分野じゃ、子供の社会性の発達を妨げて、攻撃性や不安傾向を高める要因とされているんだ。
もしかしたら君も、教育の一環として体罰を受けて育ったのかもしれない。だけど今はもう、そういう時代じゃないんだ。覚えておきたまえ」
職員は呻き声を上げて後ずさった。
周囲の子供たちはおろか、今まさに鞭で打たれようとしていた子供さえも、押し黙った。
――良くない空気だというのは、誰の目にも明らかだった。
「あのバカ……!」
カルメンは小声で悪態を吐くと、輪の中央に躍り出てゼノフォードの隣に立ち、ぐっ、と彼の頭を押し込めた。
「何をするんだ!」
ゼノフォードの非難の声を無視して、カルメンは自身も頭を下げた。
「コイツ、今日来たばかりだから、何も知らないんです! 許してやってください、ほんの出来心で……!」
職員の男は、じっ、とカルメンに頭を下げさせられているゼノフォードを睨みつけた。
「――次はないからな」
職員はゼノフォードから目を背け、手に持っていた鞭を部屋の隅へとぞんざいに放り投げると、そのまま広間を後にした。ひとまずは許されたらしい。
だが、ゼノフォードが目をつけられたことは、誰の目にも明らかだった。
「何やってんのよアンタ!」
カルメンは怒りに任せて、ゼノフォードの襟首を掴み上げた。
「職員を蹴りつけるなんて、ホントにバカじゃないの!? 今ので完全に目をつけられたわよ!
わかってたでしょ、ここがどういう施設か!
なのにどうして、じっとしていられないの!?」
「じっとしてろだって?」
ゼノフォードは、自身の襟首を掴むカルメンの手首を握り返した。
「罪のない人間、それも子供が、危害を加えられようとしてるんだぞ?」
「そんなことでいちいち庇うつもり!?」
「『そんなこと』? 『いちいち』?」
ゼノフォードは声を荒げた。
「取るに足らないみたいな言い方で、事実を矮小化するな!」
「矮小化なんてしてない! 揚げ足を取らないで!!
アタシは、アンタのことを心配して言ってるの!」
「僕のことなんか心配してくれなくて結構だ!
その心配を、少しは被害者の子供に向けられないのか!?」
「アタシに死ねって言ってるの!?」
「どうしてそうなる!」
「そういうことだからよ、分からず屋!
もう勝手にしなさいよ! アンタ一人でヒーローごっこでもしてればいいじゃない! 殺されても恨まないでよね!」
「喜んで勝手にさせてもらうよ、薄情者!」
カルメンは突き放すようにゼノフォードの襟首を離して、さっさと作業机に戻っていった。そして自分の荷物を持ち、他の机に移った。ゼノフォードの隣に座るのも嫌らしい。
ゼノフォードは「ハッ」と息を吐いて、先程まで座っていた席にどさりと腰を下ろした。
――静かな作業室が、より一層静かに感じられた。
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