45話 メインヒロイン
「これで、必要な場所はあらかた案内したかしら。――ああ、休憩室にも行かないとね」
カルメンはゼノフォードを連れて、施設内を案内していた。
前を歩く彼女の後ろ姿を見ながら、ゼノフォードはこの世界の原作『ライオライト帝国記』におけるメインヒロイン『カルメン』について、思いを巡らせた。
『カルメン』。
孤児院出身の暗殺者。
じゃじゃ馬娘だが、正義感は強い。
彼女は警察――即ち帝国政府の役人に家族を殺されて孤児になった過去がある。
帝国に復讐を誓い暗殺者になった彼女は、ある日主人公と出会うのだ。
主人公は暴君と化した皇帝を倒すことを目標にしていたため、『帝国への反逆』という目的の一致により、共に帝国に反旗を翻す――というのが、本編における『カルメン』の役割だった。
そして、彼女の勝気な性格によく似合う、つんとした猫のような目とはねた赤毛の髪は、ゼノフォードの前世――“龍門輝石”がデザインしたものだ。
(僕がデザインした姿より幼いな。
本編が始まる数年後には、見知った姿になっていそうだ)
「休憩室よ」
彼女に連れられて廊下を抜けた先の小部屋は、休憩室と呼ぶにはあまりに殺風景なものだった。窓は曇り、壁は灰色にくすみ、椅子と机が数脚並ぶのみ。
ゼノフォードはつかつかと室内に入り、椅子の一つを引いて座面を軽く押してみた。ぎし、と軋む嫌な音がする。脚の高さも揃っていないのか、がたがたと揺れた。
「へぇ、ビンテージってやつかい。
さすが国営の模範施設だ、お目が高い」
ゼノフォードの軽口に、カルメンは取り合わず何も答えなかった。
ゼノフォードはふと皮肉めいた笑みを引っ込めて、静かに口を開いた。
「――ここから逃げてきた子供に会った」
やはり答えは返ってこなかった。が、話を聞くつもりはあるようで、カルメンは顔をゼノフォードの方に向ける。
それを横目で見ながら、ゼノフォードは椅子を机の下に押し戻した。
「彼曰く、ここは食事も碌に出なくて衛生環境も最悪、労働ばかりさせられて、逃亡もできず、死者さえもいるんだそうだ」
「……アンタ、それを知っててここに来たの?
自殺したいんだったら、もっと楽な方法があると思うわよ」
カルメンは冷ややかな目を向けてきた。
その視線を受け流し、ゼノフォードは言葉を紡ぐ。
「その子には悪いけど、半信半疑だったんだよ」
事実だ。
「なにせ世間じゃ、ここは『模範』って報じられるほどに評判がいいからね。
それに国営の施設ともなれば、不都合な事実が隠し通せるとは思えなかった」
「残念だけど、隠し通せてるのよ。
帝国政府も警察も、みんなグル。汚いものに、ものすごく厳重に蓋をしているの。ついでに『模範』なんてリボンまでつけてね。
誰も、綺麗に包装された箱の中身が汚物だなんて、想像すらしない」
「そう言うってことは、事実なんだね」
国営のはずの『クラウゼ養護施設』は、環境が劣悪で、死者が頻発している上に、その不都合な事実は政府や警察が隠し通している。それらの情報は、すべて事実ということだ。
そして今日会った子供は、間違いなく――この施設から来たのだ。
「ご愁傷様ね」
カルメンが口を開いた。
「もう逃げられないわよ。そんな真似をすれば捕まって、半殺しにされるか、殺されるかの二つに一つだから」
「へえ、それは怖い」
言いながら、ふと思ったことがあり、ゼノフォードは疑問を口にした。
「食料が少ないなら、逃亡されて人が減れば施設としても助かりそうなものなのに」
カルメンは首を振った。
「腐った施設の考えることなんて知らないわよ。
まあ、アタシたちの内職でそこそこ稼げてるでしょうから、働き手を減らしたくないんじゃない」
そのときだった。
窓の外から、微かな物音が聞こえた。
土を掘るような、鈍い音。
「……何の音だい」
ゼノフォードは立ち上がり、曇った窓に近づいた。
中庭の一角で、数人の職員がスコップを手に動いている。その中心には、クラウゼ所長の姿があった。
地面には、白布に包まれた何かが横たわっている。
「見ればわかるでしょ。……遺体よ」
カルメンは、目だけを窓の外に向けたまま答えた。
確かに、見ればわかる。
――だが、本来それは、あんな場所に埋めていいものではない。
「……中庭に埋めるのか?」
言葉を失っているゼノフォードに、カルメンは淡々と言った。
「全部を墓地に埋めるわけにはいかないの。数が目立つからね。
裏庭なら誰も見ない。死因だって露呈しない。死亡届だって出さなくていいし、記録にも残らない」
ゼノフォードは、ゆっくりと目を細めた。
「――クロはクロでも、真っ黒だ」
不意に、廊下の先の方がにわかに騒がしくなった。ずっと静かだった広間、もとい作業室で、何やら子供たちが会話を始めたらしい。休憩時間にでもなったのだろうか。
ほどなくして扉が開く気配があり、一人の子供が姿を現した。
ゼノフォードとカルメンを呼びに来たようだった。
「定期健診だよ」
□□□
広間の扉を開けると、三十代半ばあたりの、穏やかな顔つきをした白衣姿の男がいた。
「よし、じっとしてて偉いね。君はこれで終了だ、お疲れ様」
目前の子供に柔らかく声をかけながら、男は診察を終えた子供を見送った。
カルメンは診察を待つ子供たちの列の最後尾に並び、その後ろに続いたゼノフォードに目を向ける。
「衛生局の人よ。月に何回か、定期健診に来るの」
ここまで怪しいものを沢山見てきたために警戒心が強まっていたが、男の同作――聴診器で胸と背中を順に当て、喉を軽く押して、瞳孔の反応を確かめる――その一連の流れに、特段おかしな点は見受けられなかった。
やがてカルメンの健診が終わり、ゼノフォードにお鉢が回ってきた。
「おや、初めて見る顔だね」
ゼノフォードを一目見て、男は口を開いた。
「私はエミール・ホルツ。定期健診をしているんだ」
言いながら、ホルツは鞄から布巾を取り出してゼノフォードの顔を拭いた。――そういえば施設に潜入するときに、顔を土だらけにしたのだった。
ホルツはゼノフォードの顔の土汚れを拭き終えると、服を捲って聴診器を当て、喉を見て、それから目を見た。
「君、名前は?」
ホルツが診察録を手に取りながら尋ねた。
「――ゼノだ」
「ゼノ君も問題なし、と」
ペンで『ゼノ・問題なし』と診察録に記述した。
「これからも定期的に会うことになるだろう。よろしく頼むよ」
ゼノフォードは、このにっこりと笑う人の良さそうな顔を見た。
「……僕の素人目から見ると、この施設には健康状態の悪い子供がたくさんいるように見えるんだよね。
プロの君から見れば、どうだい?」
「ちょっと!」
脇から口を挟んだのはカルメンだった。
彼女はゼノフォードの頭をぐいと掴んで近づけると、耳打ちした。
「余計なことを言って、目をつけられたらどうするの!」
ゼノフォードはカルメンに頭を掴まれたまま、目だけをホルツの方に向けた。幸い、ホルツに訝しむ様子はない。
と、ホルツは近くに来るように、と手招きした。
ゼノフォードとカルメンが彼のすぐそばに寄ると、ホルツはふと真顔になり、声を落として口を開いた。
「……君の言うとおりだ。
今すぐ死ぬ、というわけではないにしろ、みんな決して良い状態とは言えない」
卓上の診察録に目をやると、『問題なし』という文字がずらりと並んでいる。
これは『健康だ』という意味ではなく、文字通り『とりあえずの問題はない』という意味なのだろう。
「私も、クラウゼ所長には何度も勧告したんだ。栄養状態の改善、衛生環境の整備――。
けれど、彼はこう言ったんだ。『生きてさえいれば、それでいい。余計な金はかけたくない』と」
ホルツは眉を寄せた。
「実はね……警察に相談したんだ」
ホルツはさらに声を顰めて続ける。
「だけど、聞く耳を持ってくれなくてな。きっとこの施設は、警察と癒着してるんだ。所長が警察に賄賂を渡したりして、ね――」
施設が国営である以上、政府側の警察も事実の隠蔽に加担しているであろうことは、想像に難くない。
このホルツという男の言葉を信じるならば、元凶はクラウゼ所長だ。
「……」
ゼノフォードは窓に目を向けて、中庭の方を見た。
中庭の土は、すでに均されている。
そこには、まるで最初から何もなかったかのような静けさが広がっていた。




