4話 暗殺の加担者
キン――!
「――!!」
金属が打ち鳴らされた甲高い音が、薄暗い広間に響き渡った。
オスヴァルトの剣が、紙一重で輝石の頬をかすめ、その背後の柱に激突したのだ。
燕尾服の背中側に、長剣を隠し持っていたらしい。
「なんのつもりだい、オスヴァルト!」
怒声を放った輝石に、しかしオスヴァルトは何一つ返さなかった。
「はあッ!」
再び剣が振り下ろされる。
ヒュッ。
輝石の耳元を、風が掠めた。
辛うじて避けたその刹那、次なる一撃が迫っていた。
「ッ!」
無理な体勢で辛うじてそれを避けた輝石は、その反動でバランスを崩した。
そしてドサリ、と無様に床に転がった。
「うッ……!」
柱に背を強く打ちつけた。
走る衝撃。
肺の中の空気が押し出されるような感覚。
輝石は目を白黒させた。
「死にたくない一心で、行動を起こしたっていうのに――逆に死にかけるなんて。
こんなはずじゃ……なかったんだけどな……ッ」
ゲームで『村人A』に話しかけたら、急に戦闘が始まったようなものだ。
何せ相手はモンスターや騎士ではない、ただの侍従なのだから。
「侍従の応募要件に、戦闘スキルでも入っていたりするのかい?」
「無駄口を叩くとは、余裕があるようだなッ!」
ブン!
即座に次の一撃が振るわれた。
輝石は慌てて身を引く。
「僕のスキルシートには、『戦闘、業務経験あり』みたいな記載、ないんだよね……ッ!」
たとえゲームの裏ボス『ゼノフォード』の身体を得ていようとも、輝石自身はただのゲームクリエイター。
現代日本でごく普通に働く輝石に、戦闘経験などあろうはずもなかった。
さらに問題なのは、その『ゼノフォード』の身体そのものである。
本来の輝石の身体とは違う、成長しきらぬ小柄な少年の肉体。扱いに慣れているはずがない。
しかもこのゼノフォードは、外見の美しさに全振りしてデザインしたため、戦闘に向いていない。
長い睫毛はちらちらと視界に入るし、華奢な身体は弱々しい。更に、長く豊かな髪も鬱陶しい。
衣服も華美で動きにくく、暗殺未遂事件で多少は活躍した高いヒールも、今やただの足枷でしかなかった。
「――この美しさが恨めしいよ」
「まだ減らず口を!」
ブン。
再度剣が風を切った。
輝石は咄嗟に避ける。
が、高いヒールが絨毯に引っかかった。
「うッ!」
輝石はそのまま無様に倒れた。
だが幸いにも倒れたことで、オスヴァルトとの距離が少しばかり離れた。
(そうだ、セーブ! セーブしておくんだ)
輝石は両手で四角形を形作り、メニュー画面のインターフェースを開くと、セーブ画面を開いた。スロットの一番上はオートセーブと書かれている。――ゲームを終了することが無いこの世界で使うことは、まあないだろう。
輝石はその下の、記録済みのスロットを見た。暗殺未遂事件前の記録だ。
(別のスロットに保存しておこう)
輝石はスワイプの要領で画面を擦った。
……が。
「……?」
――動かない。
スロットが、スクロールしない。
「まさか」
思い当たるのは、ただ一つ。
「セーブスロットの上限が、一つしかないってことか!?」
その現実に思い至った瞬間、戦いの熱に紅潮していた輝石の顔から、さあっと血の気が引いた。
「嘘だろう……!?
今どきのゲームのセーブスロットが、たった一つだなんて! そんな仕様、あってたまるか!!」
そもそもこれは開発中のゲームだ。セーブ機能の仕様もまだ決定(FIX)前であり、現在のスロット数は、単なる仮実装としての暫定的なものに過ぎないのかもしれない。
だが、この仕様が正か否かなど、どうでもいい。輝石は今、この瞬間の仕様を正として生きているのだから。
――この一つしか、ない。
「仕方ない……。もう暗殺事件の前に戻ることはないだろうし……」
輝石は覚悟を決めて、スロットを選択した。
『上書きしますか?』
無機質なダイアログが、画面上に浮かぶ。
「……上書きするしかないか……!」
ダイアログ下部の『はい』ボタンを押下し、セーブを実行した。電子音が鳴り、記録が書き込まれる。
(これで万が一深傷を負っても、この地点に戻ってこられる……!)
そう安堵した次の瞬間だった。
「この期に及んで余所見かッ!」
右脇腹に鋭い痛みが走った。
「ッ!」
真っ白なシャツに赤が滲む。
一撃のダメージはさほど深くない。
だが、これを何度も受ければ危険だ。
なにより、敵との距離が近すぎる。
オスヴァルトが剣を大きく振りかぶった。
(まずい!)
輝石は急いで画面を開いた。
「ロード……ロードだ!」
先ほどのセーブデータを選択し、読み込む。
その瞬間、視界が切り替わった。
すっと、右脇腹の痛みが消えた。
時が巻き戻ったのだ。
輝石は即座に左へ跳んだ。
直後、宙に一本の軌跡が描かれる。――先ほど食らった一撃だ。
輝石は着地の勢いを利用し、そのまま蹴り上げた。
だが。
「無駄なことを」
躱されてしまった。加えて――
ドスッ!
「うッ!」
剣の柄で胸を強打された。
息が詰まる。
よろめいた隙に、次の攻撃が迫る。
ザシュ、と音と共に腹部に衝撃が走った。
「が……ッ!!」
服がザックリと裂かれ、その下の肌が赤く染まっていく。
すぐに熱いものがどくどくと流れ出した。
「……ッうっ」
膝をつく。
熱い。痛い。
平和な現代において、大きな怪我ひとつしたことのなかった輝石にとって、重傷の苦しみも耐え難い激痛も、まったく未知のものだった。
「ロ……ロード……っ」
息も絶え絶えに、歯を食いしばりながらインターフェースを操作し、セーブデータを選択する。
視界が切り替わると同時に、腹部の痛みが嘘のように引いた。時間が巻き戻ったのだ。
と、安堵する間もなく、再び攻撃が迫ることを思い出して素早く身体を左に逸らす。
シュッ、と頬を掠める風。
ここで下手に攻撃など仕掛ければ、即座に反撃されることを知っている。一旦距離を取った。
しかし、そのまま下がり続けるわけにはいかない。敵の動きを見極め、タイミングを計って一気に距離を詰めた。
そして、下から勢いよく蹴り上げる。
鋭い軌道を描いて、オスヴァルトの顎を撃ち抜いた。
――かに、見えた。
「――なるほどな」
ぎろり、と。
オスヴァルトの目玉が、異様な速さで輝石に向いた。
「第一皇子への凶刃を防いだのは――おまえか」
輝石の背筋に、ぞわりと寒気が走った。
(――効いてない!)
あのときの暗殺者には通用したが、このオスヴァルトという男には、そうはいかないらしい。
輝石は咄嗟に後方に飛び退いた。
動揺を悟られぬよう、薔薇色の唇を無理矢理にい、と上げる。
「――さあね。ヒーローの素顔を暴こうだなんて、無粋だよ!」
オスヴァルトが動いた。
次の瞬間。
地を蹴った黒い影が、一気に距離を詰めてくる。
(――来る!)
輝石は反射的に身をひねり、迫る剣を紙一重で躱わした。
いや、躱わしきれなかった。
「……ッくッ!」
腹部の皮膚が切り裂かれる衝撃がした。
後には冷たい風が吹き抜ける。
「……まったく、気が早いね!」
言いながら、輝石はちらりと腹部の傷を見た。幸い軽傷だ。
肩で息をしながら、輝石は殺意を湛えたまま迫るオスヴァルトを見据えた。
「これじゃあ、『自分が犯人です』って、認めてるようなものだろう!
普通、犯人っていうのはまず『証拠はあるのか』とか訊いて、反論したりするもんじゃないのかい!」
「不要だ!」
怒号のような声が、空気を震わせる。
「どのみちお前は殺す予定だったんだ! ゼノフォード!!」
「この僕を、第二皇子を……呼び捨てとはねぇ……ッ!」
輝石は息を吐き、僅かに呼吸を整えた。
対するオスヴァルトもまた、肩を激しく上下させながら剣を構え直す。その眼光は、まるで猛獣の如き鋭さで輝石を捉えていた。
「忌まわしき皇帝の子に、敬称など必要あるものかッ!」
低く呻くように呟かれたその声に、輝石は一瞬瞠目した。
その隙を見逃すほど、相手は甘くない。オスヴァルトの剣が猛然と突き込まれ、ぎりぎりでそれを躱した輝石は、またしても地面に尻餅をついた。
輝石は強打した腰回りを手で庇いながら立ち上がる。
「……忌まわしき皇帝、ねぇ?
一応今のところ父は“聖君”と呼ばれてるはずだけど、君の目にはモンスターか悪魔にでも見えているのかい?」
本来の『ライオライト帝国記』において、皇帝は第一皇子の死をきっかけに暴政を敷くようになるラスボスである。
しかし、それまでは高潔な理想を掲げる指導者という設定だった。
「――モンスター? 悪魔? そんな呼び方じゃ生温い!!」
返ってきたのは、叫びにも似た怒声であった。
「おまえは、考えたことがあるか!?
何故、ヒルデガルトの皇位継承順位が低いのか!」
ヒルデガルトも皇帝の子である以上、オスヴァルトが彼女を呼び捨てにしたところで、さして不思議ではない。だが。
(――『ゼノフォード』と呼んだときと、違う)
先ほどオスヴァルトが「ゼノフォード」と呼んだ際、その声に込められていたあの強烈な憎悪は、そこにはなかった。
それに気づいた輝石の反応は、僅かに遅れた。
「ッ!」
鋭い踏み込みと共に、オスヴァルトの剣が輝石の胸を掠めた。
「あの子は、ヒルデガルトは――
皇帝と血が繋がっていないからだ!」
その一言に、輝石は息を呑んだ。
「――なんだって」
驚愕に硬直した次の瞬間、胸倉を掴まれ、柱へと叩きつけられた。
「うッ」
圧倒的な体格差。力では到底抗うことができない。
「私は、かつて娘を奪われた。
前妃が病で娘を亡くした時、悲嘆に暮れる彼女を見て、皇帝はよく似た幼い私の娘を攫ったのだ。
そしてまるで『慰め』のように――『自身の娘』としたのだ!」
声が震えている。怒りとも悲しみともつかぬ激情が、言葉に滲んでいた。
「ヒルデガルト……あの子は……
――私の娘だ!!」
しん、と静まり返る広間。
その沈黙を破り、オスヴァルトは強く口を引き結んだあと、再び語り始めた。
「第一皇子の婚姻話が進みつつある今――奴が皇太子の座を固める前に、手を打たねばならなかった。
悪しき血筋が、皇帝になるなどあってはならん!」
その言葉が終わるのと同時に、オスヴァルトは剣を持った腕を大きく振りかぶった。
「そしておまえもまた、皇帝になってはならないのだ!」
「僕はね。皇帝なんていう、国民全員の責任を背負って真っ先に矢面に立たなきゃいけない役目なんて、なるつもりはないよ」
「五月蝿い!」
鋭い刃の切っ先が、輝石の首元にあてがわれた。
その腕には、殺意が宿っていた。
「私の目的は、ライオライト皇族の血を根絶やしにすることだ! ゆくゆくは皇帝も殺害してな!
それが、邪悪な皇帝の私欲により犠牲になったヒルデガルトの――娘のためなんだ!!」
剣が、振り下ろされた。
――だが。
「――それは、娘のためなんかじゃない」
その静かな一言に、剣の動きがぴたと止まった。
壁に押し付けられたまま、輝石はまっすぐオスヴァルトの瞳を見返した。
「自分の復讐を、娘を理由に正当化してるだけだ」
「黙れ!」
「親が人殺しをして喜ぶ子供なんていない!
それを『子供のため』だなんて言われたら、自分が原因で人が殺されたみたいで、なおさら苦しむことになる!」
自分のせいで、人の命が失われた。
ヒルデガルトがそう心を痛めるであろうことは、想像に難くない。
「君も子供に、そんな十字架を背負わせたくはないだろう!」
「ヒルデガルトなら……わかってくれるはずだ!!
よく悪者を倒してくれたと、笑ってくれるはずだ――!!」
「笑う、だって? だったら、見てみなよ」
輝石はゆっくりと片手を上げ、その指先で何かを示した。
「――泣いてるじゃないか」
オスヴァルトがその先へ視線を向けると。
――そこに、震える少女が立っていた。




