36話 記憶の引き金
――サルヴァトーリ班への移籍が決まって間もない頃のことだった。
「こいつが、ニューオーレリアでの最後の任務かねェ」
言いながら、ダンテはいつも被っているテンガロンハットを被り直した。
夜風が、乾いた砂埃と馬糞の臭いを運んでくる。
歪んだ木造の建物が月明かりに晒されていた。――標的もまた然りだった。
ダンテは指先に神経を集中させ、マグナムを構える。重い。手のひらに食い込むグリップの硬さが、妙に心地良い。
狙いは胸の中心――心臓。
引き金を絞る。
――ドン!
骨まで響く衝撃。手首が痺れ、鼓膜が震える。
硝煙が一瞬にして鼻腔を満たす。金属と火薬の混ざった、焼けるような匂い。
視界の先で、標的が崩れ落ちた。
「……心臓、貫通だ」
終わった。
「やれやれェ。
いくら『裏切りモンは始末しなきゃなんねェ』っつってもよォー。汚れ仕事は、あんまし好きじゃアねェなァ」
死体は処理班がなんとかしてくれるだろう。
仕事は完了した。
ダンテはマグナムをホルスターに収め、煙草を取り出して一服しながら帰路につく。
立ち並ぶ木造建築のうちの一つ、それがダンテの家だった。
「――ん?」
窓から光が漏れている。灯りを消し忘れたか。
――いや、カーテン越しに人影が映っている。
誰かが侵入している。
ダンテは煙草の吸い殻を携帯灰皿に押し込み、再び銃を手に取ると、思い切って扉を開けた。
「おう、帰ったかダンテ」
テーブルに座っていたのは、自分に瓜二つの男。
向日葵のように明るい髪、無精髭、野生味のある青い瞳――。
「――ティノじゃねェか! なんでェー、ビビらせんなってェの」
ダンテは胸を撫で下ろし、マグナムをホルスターに戻した。
ティノは手招きし、ダンテをテーブルへと促した。
「オメェがトルカーナに引っ越すって聞いたモンだからさ。最後に一杯やりてェなと思って」
ティノはテーブルに置いていたビール瓶を二本、両手で持ち上げた。
それを見て、ダンテは「ハハーッ!」と底抜けに愉快な声を上げた。
「さっすが、わかってんじゃァーねェか! こいつァ嬉しいねェー。……けどよォ」
ダンテは瓶を開けながら、ティノの方を見た。
「最後っつっても、別に今生のお別れ、ってわけじゃァーねェんだぜェ?
こっからトルカーナまでだってよォ、汽車で三時間もありゃアー着くだろ」
「そんくらいわかってるって。ただ飲む理由が欲しいだけだ」
「なんでェー! ドライだなァ。
俺はよォー。てっきりオメェさんが『ああ大好きなお兄ちゃんが遠くに行っちゃう、悲しいなァぐすんぐすん』って来てくれたんだと思ったのによォー」
ティノがダンテの手から飲みかけのビールを取り上げた。
「あ、おい!」
慌てて取り返して、ダンテはビールを『もう絶対手放さない』とでもいうように握り締めた。
「悪かった、俺ちゃんが悪ぅござんした。
もう茶化さねェってェ」
「なぁ、ダンテ」
ティノはビールで口を湿らせてから、静かに言った。
「引っ越しが終わったら、招待してくれよ。新居祝いで一杯やろうぜ」
「新居祝い? トルカーナでかァ?」
ダンテは鼻で笑った。
「オメェさんよォー、知ってっかァ? トルカーナってのはよォ、貧民街なんだぜェ?
新居祝いなんてするようなモンじゃねェ、ビーバーの巣穴のが、もうちっとばかしマシだろォってくれェ貧相な家に決まってらァ」
「言ったろ?」
ティノはまたビールを口に流し込み、にっ、と笑った。
「飲む理由が欲しいだけだ、ってよ」
□□□
街から街に大金を運ぶという、慣れてはいるが面倒極まりない任務を終えたダンテは、運河沿いを歩いていた。
「……ロレンツォの叔父貴んとこに顔出して、任務完了の報告だけすりゃァ、今日はもうフリーだな」
このあと、弟ティノが家に来る予定だ。
「そろそろアイツ、トルカーナに着いた頃かなァ。
にしても、新居祝いねェ」
ダンテの家は、トルカーナの他の家々と同様、手狭で古びたものだった。
それでも、アイツは気にせず飲むだろう。
「……また美味いビール、持ってきてくれてんのかなァ。あいや、もしか招待した俺が用意すんのが筋だったりすんのか?
――新居祝いって、普通どっちなんだァ?」
ぶつぶつと独り言を漏らしながら歩いていると、ふと、運河を挟んだ向こう岸に人影が見えた。
三人の男――細身のスーツ姿、中年の強面。この二人は、カタギではなさそうだが別に問題はない。
問題は、もう一人の男――その二人に担がれている、白いセーターの男だった。
恐らく、もう死んでいる。
「さーっすが貧民街。治安が悪ィなァ」
横目で眺めながら素通りしようとした、そのとき。
――白いセーターの男の顔が見えた。
明るく派手な金髪。笑っているようにさえ見えるほど歪んだ顔にある、青い瞳――。
「――ティノ!?」
ダンテが瞠目した、次の瞬間。
男たちは、ティノを舟に放り込んだ。
「――さようなら、ダンテさん――!」
その言葉と同時に、ティノの身体が、舟の中で力無く揺れた。
「――ティノ――!!」
ダンテは駆け出した。
走ったところで、もう間に合わない。
何にもならない。
そんなことはわかっている。
そんなことは、どうでもいい。
「――死んじまった」
ティノが。弟が。
「――殺された!」
――自分と、間違えられて。
何が何だか、わからない。
だが、自分の存在がティノの死の原因になったということだけはわかる。
運河の向こう岸に行かなければ。
ダンテは橋に向かって駆ける。
石畳の凹凸に足を取られる。
こんなことで躓いている暇はない。
橋の階段を駆け上がる。
――ちまちまと、まどろっこしい。
一段飛ばして、一気に駆け上がった。
そのとき。
飛ばした段に、足が引っかかった。
「――ッ!」
ずるっ、と身体が滑る。
階段の角が目前に迫り――
――ガツン!
「がッ!」
額を思い切り、角ばった石にぶつけた。
目前に火花が散る。
それでも、立ち止まっている暇はない。
ダンテは無理矢理立ち上がった。
殴られたように、気が遠くなる。
視界が真っ白に染まり、地球がぐわんと回った。
途端に生じる、浮遊感。
――どぽん、という水の音。
再び頭部にガツンと衝撃が走る。
水底の石にでも当たったのだろう。
薄れ行く意識の中で、マグナムを取り出す。
震える手で、構えた。
水の中。標的は見えない。
頭では、理解していた。
当たるわけがない、と――。
□□□
「――いや、当たる」
いま、標的は目の前にいる。
弟を殺した仇が、すぐ手の届くところにいる。
敵の手中にいる子供。
助けを求めるようにじっと見つめてくる、その紫色の瞳が――よく知る人物のそれに重なった。
ダンテは指先に神経を集中させ、マグナムを構える。重い。手のひらに食い込むグリップの硬さが、妙に心地良い。
狙いは胸の中心――心臓。
引き金を絞る。
――ドン!
骨まで響く衝撃。手首が痺れ、鼓膜が震える。
硝煙が一瞬にして鼻腔を満たす。金属と火薬の混ざった、焼けるような匂い。
視界の先で、標的が崩れ落ちた。
「……心臓、貫通だ」




