33話 早すぎた告発
――キイ。
玄関の扉が開いた音がする。
続いて居間の扉がゆっくりと押し開かれた刹那、場の空気に緊張が走った。
先頭に立って現れたのは、スーツに身を包んだ痩身の男。その後ろから、タツィオが続いた。
「こんばんは。メタロの一員、マッシモと申します」
マッシモと名乗った細身の男は、礼儀正しく一礼した。
「お話は伺いました。本当に、ここで人が亡くなっていると――」
彼は横たわる遺体に気付き、わずかに目を見開いた。
「そんな――! バルデーロさん!!
――皆様が、発見されたのですね?」
問いかけとともに、ちらりとロレンツォらの方へ視線を送った。
「……おう」
ロレンツォが短く返答する。
マッシモがさらに質問を重ねた。
「ここには、どんな御用で?」
「ちいっと、この人に聞きてェことがあったんだよ」
「なるほど……それは本当に運が悪かった。
警察にはすでに通報してあります。間もなく到着するでしょう」
そう言って、彼はふと視線を巡らせた。
「皆様は第一発見者ではありますが、堅気ではないご様子。
ならば警察と顔を合わせるのは、できれば避けたいのでは。下手に疑われでもしたら厄介でしょう。あとは私にお任せください」
にこやかに言葉を口にしてはいるが、要は『早く出て行け』ということらしい。
まあ、マッシモとしてもやることはあるだろう。ここはマフィアの事務所。警官に見られたくない物もあるだろうし、そういった物を隠す時間だっているはずだ。
ロレンツォは短く唸ったあと、肩を竦めた。
「……おう、わかった。出るか」
一同が部屋を出ようと歩き出したとき、ふとタツィオが、遺体をちらりと振り返った。
「……改めて見ても、ひでェ殺され方だなァ。誰があんなことをしたんだろうなァ」
そのいかにもわざとらしい呟きに、ロレンツォの足が止まった。
「……あァ?」
ロレンツォの目が怒りに染まる。
次の瞬間。
「オメェがやったんだろうが!!」
ロレンツォはタツィオに詰め寄っていた。
「……は?」
「直接手を下したのは、別の奴かもしんねェ。
けど殺せっつったんは、テメェだろうが!!」
「ちょ、ちょっと待ってくだせェ、親父。俺が殺した? 何を言ってんすか?」
ロレンツォの怒号に困惑しているのは、タツィオだけではない。ゼノフォードもまた然りだった。
(まずい)
まだタツィオを追い詰める用意はできていない。根拠があるとはいえ、すべて推測の域を出ていないのだ。
言い逃れされれば、タツィオに罪を問うことはできない。
「ロレンツォさん、駄目だ――」
しかし自身の仲間が仲間に殺害されただけに、ロレンツォは冷静ではなかった。
頭に血が上った彼には、ゼノフォードの言葉は届かなかった。
「とぼけんな、白々しい!
オメェがダンテの奴を殺したんだろ!
それにも飽き足らず、今度は口封じのために、ダンテの顔を知ってるこの人を殺したんだ!!」
「俺が、ダンテの奴を殺した?」
「そうだ! 金目当てにな!
ひでェじゃねェか――同じ班の仲間だってのによォ!!」
一方的に問い詰められる形となったタツィオは、その渋面に汗を滲ませた。
だが、それはやがて怒りに転じた。
「……親父ィ。さっきから、訳のわかんねェことばっか言ってよォ。
要はあれだろ? 俺を疑ってんだろ?
証拠は? あんのかよォ!?」
逆に詰め寄られる形になったロレンツォは、徐々に冷静さを取り戻したらしい。しどろもどろになって口篭った。
「そ……それは……」
ロレンツォは助けを求めるように、ゼノフォードに視線を投げる。
だがゼノフォードも、端麗な顔に渋い色を浮かべるより他なかった。
「駄目だ、ロレンツォさん。
追い詰める決定的な材料は、何一つないんだ」
ゼノフォードは歯噛みした。
(くそっ)
焦りとともに、頭の中で冷たい警鐘が鳴っていた。
(ここで動くべきじゃなかった。
タツィオを追い詰めるには、まだ準備が足りていない。
証拠も、裏付けも、そして――共犯者の手がかりも)
ここでタツィオに警戒されてしまえば、隙はなくなる。証拠を隠されでもしたら、もう追い詰めることはできない。
共犯者の正体は、永遠に闇に葬られてしまう。
「皆様」
沈黙を保っていたマッシモが、そこで口を開いた。
「そろそろ警察が到着します。退室を」
タイミングが悪いことこの上ない。だがマッシモに非はなく、むしろ迷惑をかけているのはこちらの方だ。
ロレンツォは渋々踵を返した。
「くそッ――後できっちりと落とし前つけてもらうぜ、タツィオ」
居間の扉を開け、廊下に出る。
ゼノフォードらも後に続き、居間の扉が閉まる音が響いた。
続けてロレンツォが玄関口の扉を開いて手で押さえ、後に続くゼノフォードに渡そうと振り返った。
「――タツィオは?」
廊下にいるのは三人。
廊下にいるのは、ロレンツォ、ゼノフォード、『赤シャツの男』。
――タツィオの姿がない。
そのとき。
ガシャン!
――と、ガラスの割れる音がした。
「まさかッ!」
ゼノフォードは慌てて居間に駆け戻る。
室内に、タツィオの姿はない。
代わりに、呆然としているマッシモがいた。
その視線の先には――割れた窓ガラスが。
「タツィオさんが!」
マッシモが、窓ガラスを指差した。
「タツィオさんが、窓を割って外に……!」
「くそッ!」
ゼノフォードに追い付き惨状を目にしたロレンツォが、窓に向かって駆け出した。
「おいゼノ、追うぞ!」
ゼノフォードは頷いて、ロレンツォと共に割れた窓から外に出て駆け出した。
この先は一本道。脇道に逃げることはできまい。走ればいずれ追いつける。
案の定、ほどなくしてタツィオの背がちらりと見えた。
「ロレンツォさん、投網を!」
「駄目だ――遠すぎて使えねェ!
待ちやがれ、クソッタレ――ッ!!」
道が途切れるのが見えた。この先は運河だろう。
つまりは行き止まりだ。
「追い詰めたぞ、タツィオ――ッ!!」
――だが。
「そいつァどうだかなァ!!」
タツィオが躊躇なく運河に飛び降りた。
「舟だ」
タツィオの足元を見て、ゼノフォードは唇を噛んだ。
「タツィオ君、舟を用意してたんだ……!」
おそらく共犯者に、逃走手段を用意してもらっていたのだ。
「待ちやがれ!」
ロレンツォが叫ぶ。だが、時すでに遅し。
タツィオは舟の上に立ち、オールを手にしていた。
「ざまあみろォ! 探偵ごっこもここまでだなァ!」
ざぶん、とオールが水を掻いた。
ぐんっ、と、タツィオが岸から離れていく。
「せいぜいそこで足掻いてな、クソ野郎共がよォ!」
挑発の声が、夜の運河に響き渡った。
ゼノフォードらは、遠ざかるタツィオを眺めることしかできなかった。
(タツィオは逃げ続けるだろう。
もう捕らえる術はない。
共犯者もわからずじまいだ)
こうなったら、残された手段は一つだけだ。
「……やり直そう」




