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異世界のフィクサー ―城を追われた転生皇子は裏社会で王になる―  作者: 紫音紫


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32話 死体はまた笑う

 仰向けに倒れている、背の高い体躯の、中年の男。

 その生死を確かめるまでもない。見ればわかる。


 ――死んでいる。


 鷹のように鋭かったであろう男の目は穏やかに笑んでいて、口端は上がっていた。

 ――笑っているのだ。

 まるで夢の中で、幸福な光景でも見ているかのように。


「――まただ。また、笑ってる」


 室内には、鼻を刺すような甘ったるい匂いが充満していた。

 ゼノフォードは、その匂いを肺の奥に吸い込んだ瞬間、胸に重たさを覚える。頭の奥がふっと軽くなり、足がわずかによろめいた。


 遺体の口元には、何か筒状の器具かマスクの端を押し当てられたような、はっきりとした圧痕が残っていた。

 その周囲からは、甘い匂いが一層濃く立ちのぼっている。


 そっと遺体に手を触れる。まだ体温が残っており、死後硬直も始まっていない。

 ほんのついさきほど、息絶えたばかりだ。


 後からロレンツォが到着し、続いてタツィオ、そして『赤シャツの男』が入ってきた。

 全員、室内の光景を目にして言葉を失った。


「もしかして――いや、もしかしなくても、彼が?」


 ゼノフォードの問いに、ロレンツォは我に返ったように「あ、ああ」と頷いた。


「この人が、取引先のメタロの一員だ」


 ゼノフォードは視線を巡らせた。

 高級そうな家具や調度品が無造作に置かれ、部屋の隅には大きな金庫が鎮座している。荒らされり何かを盗られたりした痕跡はない。


「物取りや金目当てじゃない、ってことか」


「つまり、どういうことだってんだ?」


 ロレンツォの問いに、ゼノフォードは「殺害が目的だったってことだよ」と静かに返すと、少し言葉を選びながら話を続けた。


「恨みによる殺害か、あるいは――


 ――口封じか」


 ロレンツォが眉をひそめる。ゼノフォードは間を置き、説明を続けた。


「タイミングが妙なんだよ。

 まるで僕たちが、彼を訪れることを知っていて、その前に彼の口を塞ごうとした、みたいな感じじゃないか」


「おいおい。アポも取ってねェんだし、俺たちがここに来ることを知ってる奴なんて――」


 ――そう。


「盗み聞きでもされていない限り、僕たち四人以外にいない」


「おい!」


 非難の色を含んだ声を上げてゼノフォードに詰め寄ったのは、タツィオだった。


「そんじゃ、俺たちの中に犯人がいる、みてェな言い方じゃあねェか!」


「……落ち着きたまえよ」


 ゼノフォードはタツィオを宥めるように言った。


「偶然、犯人の行動と僕たちの訪問のタイミングが重なっただけかもしれないだろう?

 それよりもさ、タツィオ君。このまま彼を放置していていいのかい?」


 ゼノフォードは遺体を指差した。


「マフィアの流儀は知らないけど、警察に通報するなり、彼の仲間に知らせるなり、何らかの対応をしなきゃまずいだろう?」


 その言葉に、ロレンツォが「そうだな」と頷いた。


「下手に俺たちが疑われでもしたら目も当てられねェ。――タツィオ、頼めるか?」


「……チッ」


 タツィオは舌打ちし、無言で踵を返して外へ出ていった。


「……何かわかったのか? ゼノ」


 事務所から遠ざかっていくタツィオの背中を窓越しに見ながら、ロレンツォが口を開いた。


「――そうだね」


 ゼノフォードは慎重に言葉を選びながら応じた。


「さっきも話に出たとおり、僕たちがこの取引先を訪ねようとしていたことを知っているのは、僕たち四人だけだ」


 ゼノフォード、ロレンツォ、タツィオ、そして『赤シャツの男』の四人である。


「ロレンツォさんはずっと皆と一緒にいたから、この人を殺害することはできない。それは僕やここにいる『赤シャツの彼』も同様だ。

 だけどタツィオ君は――少しの間、単独行動をしてる」


 取引先を訪ねよう、という話になった際、タツィオはその前に食料を買いに行くと言い出し、その場を離れている。


「けどよ」


 ロレンツォは懐疑的な声を上げた。


「別行動っつっても、その辺でメシ買って、すぐ戻ってきただけだろ?

 その短時間でここまで来て、殺しをやって、それから食いモン用意して戻ってくる……なんて芸当、できねェよ」


「そう、タツィオ君本人には無理だ。

 だけど――共犯者がいれば、その限りじゃない」


 ロレンツォの眉がぴくりと震えるのを見つつ、ゼノフォードは言葉を続けた。


「彼が皆と離れたあのタイミングで、共犯者に事情を伝えれば、殺しを任せることができたはずだ。

 それから――」


 ゼノフォードは、窓に目を向けた。

 なんの変哲もない、ごく普通のもの。

 割られた様子も、こじ開けられた形跡もない。


「この事務所に、外部から侵入された形跡はない。

 だから共犯者は鍵を持っているか、あるいは中に招き入れられても不自然じゃない人物。まあ、堅気カタギじゃないさ」


「なんでそんな奴が、この人を口封じしたんだ?

 ここにいるコイツが――」


 と言いながら、ロレンツォは『赤シャツの男』を指差した。


「――本物のダンテかそうじゃねェか。俺らにそれを知られるのが、そんなに都合悪かったってのか?」


「あるいは――」


 ゼノフォードはふっと目を伏せた。


「昼間発見された、『白いセーターを着た遺体』の正体の方を、知られたくなかったのかもしれない」


 今ここにいる赤シャツの男が本物のダンテなら、遺体の男はダンテではない。

 逆にこの男がダンテでなければ、遺体の男が本物のダンテである可能性が生じる、ということになる。


「ロレンツォさん。もしタツィオ君やその共犯者みたいな『マフィアの構成員』が、ピエトラの一員であるダンテ君を殺害していたとしたら、彼らはどうなる?」


「そりゃあ……」


 ロレンツォは顎髭をざらりと撫で、しばし考え込んでから口を開いた。


「報復されるだろうなァ。

 タツィオだったら、ピエトラへの裏切りって話になるし、別の組の奴だったとすれば、宣戦布告って形になっちまう……そうか!」


 ロレンツォは、はっと目を見開いて顔を上げた。


「昼間見つかった遺体……あれが『本物のダンテ』だったってのか!

 タツィオらはダンテを殺しちまった。けど、報復を恐れた」


 ゼノフォードは頷いた。


「そんなタツィオ君にとって、殺したはずのダンテ君が病院にいた、なんて知らせは、青天の霹靂だったんじゃないかな。

 だから、確認のために自ら病院に赴いた。僕たちと一緒にね」


 そうしたら、『ダンテに似た、記憶喪失の男』を目撃することになったというわけだ。


「タツィオ君は、『実はダンテを殺し損ねていて、病院に流れ着いた、なんてことはないよね』と不安に思った。それで理由をつけて、さっさと病院を後にした」


 タツィオは、『外回りに行く』と嘯き、ロレンツォたちよりも早く病院から出ている。


「そして、念のため見に行ったのさ。

 まだ処理していなかった――『本物のダンテ君』の遺体をね」


 あの白いセーターを着た遺体である。


「『本物のダンテ君』の遺体は、運河沿いに停めてあった舟の底板の下にでも隠されていたんじゃないかな。漁師舟や荷舟には、板一枚外せば荷物室や空洞が出てくる構造のものもあるしね。

 それに魚や川の匂いが染みついているから、腐臭もある程度ごまかせる」


 ゼノフォードは「それで」と続けた。


「これは想像だけど。

 タツィオ君は『本物のダンテ君』の遺体を引っ張り出したはいいものの、何らかの事情で、その遺体を再び隠すことができなかった。

 通行人が来てしまったか、あるいは巡査中の警官に出くわしたか――そんなところだと思うけどね。

 だから、放置してその場を離れるしかなかった」


 ピエトラの構成員が何度も捜索した、トルカーナの東区画。

 そこに突然遺体が現れたのは、これが理由だろう。


 遺体発見時の現場に、タツィオの姿があったことの理由にもなる。


「ともかくタツィオ君は、病院に現れた『赤シャツの男』が殺し損ねてしまったダンテ君だというわけではなく、『偽物』だと確信を得た。

 そこで、本物のダンテ君を殺したことがバレたくないタツィオ君は、思い付いたんだ。


 ここにいる『記憶を失った、ダンテ似の男』を、『本物のダンテ』に仕立てよう、ってね」


 その証拠に、ゼノフォードの「どちらがダンテか」という問いに対し、タツィオは「生きている方がダンテだと思う」と返したのだ。


「タツィオ君らにとって、ここにいる『彼』がダンテ君じゃないと証言されるのは、何より困ることなんだ」


「そもそもよォ……」


 ロレンツォは太い眉を寄せ、深い皺を眉間に刻んだ。


「タツィオらは、なんで報復にビビってまでダンテを殺したんだ?」


「やっぱり一番に思い当たるのは、『彼が大金を運んでいたから』かな。金目当てだとすれば、納得がいく」


「けどよォ」


 ロレンツォは眉をしかめたまま首を横に振る。


「その『大金を運ぶ』って任務は、成功してんだぜ。

 つまり、ダンテを殺して金を奪おうとしたんなら……失敗してんだ」


「……そう」


 ゼノフォードは、長い睫毛に縁取られた目を、ふっと細めた。


「そうなんだよ」


 ダンテを殺害しておきながら、彼が運んでいた大金を奪えなかったのはなぜか。

 殺害が、取引後になってしまったのだろうか?


(いや、おそらくそれはない)


 報復という危険を冒してまで行うくらいだ。最低限の下調べ――取引の日時や場所くらいは把握していたはずだ。


 では、他の要因として考えられるのは――?


(――まさか)


 ゼノフォードは、思いついた仮説に眉を寄せた。


 ――もしかしたら、大きな思い違いをしていたのかもしれない。

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