30話 死体は笑う
「親父!」
ロレンツォ宅で昼食をとっていたゼノフォードら――ゼノフォード、ロレンツォ、そしてダンテの三人は、不意に飛び込んできた伝令の男によって、そのひとときを中断されることになった。
「ダンテの奴が見つかりました!」
伝令は焦ったように口を開いた。が、ロレンツォは表情ひとつ変えなかった。
「知ってるぜ」
ロレンツォは背後のテーブルを指差した。その先では、ダンテがブリオッシュをつまみながら腰掛けている。
「俺がさっき、病院から連れて帰ってきたからよォ」
「そうじゃなくて!」
伝令の男は、ぶんぶんと首を振った。
それから少し言い淀んで、口を開いた。
「――遺体で見つかったんです!」
「……なんだって?」
ロレンツォは、今まさに目の前で食事をしていて、不意に手を止めたその男を一瞥した。
ゼノフォードもまた、眉を寄せた。
(どういうことだ?)
ダンテは――目の前にいる。
だというのに、ダンテが遺体で見つかった?
ロレンツォは、ダンテを再び指差した。
「ダンテはコイツだろ」
ロレンツォは病院から彼を『ダンテ』として連れ帰ってきたのだ。
だが、使いっ走りに過ぎぬ伝令の男にとっては、そのような事情は知る由もない。彼は外を指差しながら言い切った。
「とにかく、東区画に来てもらえればわかるはずです!」
ロレンツォは家を飛び出した。ゼノフォードも帽子を被り、すぐさま後を追う。
あとから無言のままダンテもその背を追ってきた。記憶を失っているとはいえ、思考力まで失われているわけではなさそうだ。少なくとも、自身が無関係ではない、どころか渦中にいるということを把握しているのだろう。
辿り着いた東区画は、もとより人気のなく寂れた区域のようだが、現在はちょっとした騒ぎが起きていた。
中心には警官がおり、その傍ら――建物の壁に背を預けるような姿勢で、ひとりの男の遺体が座り込んでいた。
ロレンツォが足を止め、声を絞るように呟いた。
「――ダンテだ」
ゼノフォードは、警官に顔を見られぬように帽子を少し深くしてから、その遺体に目を凝らした。
そして、息を呑んだ。
その顔は――死に顔とは思えないほど穏やかだった。
(――笑っている?)
薄く口角が上がり、まるで楽しい夢を見ているかのような、奇妙な笑みを浮かべている。
見覚えのある真っ黄色の金髪、粗野な無精髭。
年の頃は三十代ほど。
そして――。
「……白いセーター」
ダンテが最後に目撃されたとき、彼は白いセーターを着ていたという証言があった。
(目撃証言の『白いセーターを着た男』っていうのは、彼で間違いなさそうだ。だけど――)
ゼノフォードは自身の横に立っている、遺体に瓜二つの赤いシャツを着た男を一瞥してから、遺体に目を戻した。
(その目撃証言の『白いセーターを着た男』がダンテ本人だったかについては、大きな疑問符がつくな。
なにせ――今はどっちがダンテか、わからないのだから)
記憶喪失の赤シャツの男。
そして、身元不明の白セーターの遺体。
そのどちらかがダンテではあるだろう。
(―― 一体、どっちがダンテなんだ?)
「――お、タツィオじゃねェか」
ロレンツォの言葉に顔を上げれば、確かに今朝行動を共にしていたあの強面の顔が、野次馬の中にあった。
「あいつ、外回りに行くとか言って、先に病院から退散したくせに。もう用は済んだのかねェ」
ロレンツォが人混みを縫い、タツィオの方に向かう。ゼノフォードもそれに続いた。あとから赤シャツの男も追い掛けてくる。
「おう、タツィオ」
「……ロ、ロレンツォの親父」
タツィオはロレンツォに声を掛けられて顔を上げたあと、震える指で遺体を指差した。
「見やしたかい、あの死体……」
遺体の顔を確認して、『ダンテだ』と理解したのだろう。タツィオは狼狽えていた。
ロレンツォが頷く。
「おう。……ダンテだった」
「けどダンテの奴は……さっき会ったじゃねェっすか……それに」
タツィオは、向こうから向かってくる赤いシャツの男に目をやった。
「……そこにいるし」
「そうだ。もう、わけがわからねェ」
ロレンツォに追いついたゼノフォードが、静かに口を開いた。
「ロレンツォさん。それからタツィオ君。
遺体と、ここにいる彼――どっちがダンテ君か、わかるかい」
言いながら赤シャツの男を指差すゼノフォードを見て、ロレンツォは頭を掻いてから、曖昧に言った。
「言っただろ? ダンテは最近俺の班に来たばっかだってよォ。
瓜二つの顔を並べられて見分けられるほど、何度も会ってねェんだ」
「俺はよォ、生きてる方がダンテだと思うぜ」
タツィオがそう言ったが、ロレンツォに「本当か?」とでも言いたげな目で見られると、気まずそうに目を逸らした。
「……まあ、何回かしか会ったことねェから勘っすけどよォ」
「おいおい。根拠はねェってことじゃねェか」
ロレンツォもタツィオも、さほどダンテと顔を合わせたことがない。
おそらく、病院でダンテを見つけたというサルヴァトーリ班の者も同じだろう。
つまり、誰も『赤シャツの男』をダンテだと断定できる根拠を持ってはいないのだ。
ゼノフォードは前髪を指に絡めながら、遺体の方に視線をやった。
「――この遺体、腐敗が始まってるね」
警官たちによって回収されようとしている遺体は、ところどころに腐敗が見られた。
「死亡したのは、昨日今日じゃなさそうだ。ダンテが行方不明になったのも、数日前だったかな。辻褄としては合うんじゃないかい」
「……にしてもよォ」
ロレンツォが再び頭を掻いた。
「この辺りはよぉ、俺らの班で念入りに捜索したんだぜ。ほら、証言じゃ、目撃されたのは東区画って話だったろ?」
確かに、病院でタツィオが『ダンテが消える直前に、東区画で目撃された』と言っていた。
「もし捜査してたときに、こんなダンテそっくりの遺体なんてモンがあったら、絶対に見落としちゃいねェよ。
つまりこの遺体は、ずっとここにあったわけじゃねェ」
ロレンツォの推論に、ゼノフォードが続ける。
「つまり、誰かがここに置いたってことになる。それも――ついさっきね」
誰が? なんのために? ――わからない。
何もかもが、わからなかった。




