3話 月下の取調
天窓から月明かりが差し込む。
静まり返った広間に立つと、午餐会やあの暗殺未遂の騒ぎすら、すべてが幻だったように思えてくる。同じ場所だというのに、不思議なものだ。
周囲を照らしていたオイル・ランプも、今は仕事を休んでいた。
――いくらなんでも暗すぎるので、輝石はいくつかには働いてもらうことにした。
ランプに火を入れると、灯された炎が重厚な絨毯の赤を浮かび上がらせた。
もしあのとき血が流れていれば、この赤は今頃変色して、黒く沈んでいたことだろう。
――コツン、と床を打つ靴音に、輝石は顔を上げた。
「――やあ、待っていたよ。オスヴァルト・アイゼンブルク君」
音のした方に向きながら、輝石は腕を組んだ。
「夜分遅くに悪いね。呼び出そうにも、君の名前がわからなくてさ。調べていたら時間がかかってしまったんだよ。
だけどその様子だと、僕からのラブレターはちゃんと届いたみたいだ」
「ええ、受け取りましたよ。
……ラブレターと呼ぶには、少々威圧的で恐ろしい内容でしたので、どちらかと言えば果たし状と呼ぶ方が相応しいように思いますが。
なにせ、こんな夜中に、暗殺未遂事件の現場に呼びつけるんですから」
輝石の呼び掛けに返事をした男が、オイル・ランプの明かりの中へと足を進めてきた。
光に浮かび上がったその姿には、見覚えがあった。
――昼間に渡り廊下で会った、ヒルデガルトのあの専属侍従だった。
「――私に何用でしょうか。
もしや母君を庇うために、私を買収しようとでも?」
不機嫌を隠す気もない声音だった。
侍従――以降はオスヴァルトと呼ぶことにしよう――に、輝石は穏やかに笑みを浮かべたまま言った。
「買収? なんだい、お金を積めば買収されてくれるのかい?」
「死んでも御免です」
「そうかい、残念だよ。
まあいいや。君をここに呼んだのはね、訊きたいことがあるからさ」
「ほう、何でしょう」
「君、あのとき言っていたよね。暗殺の実行犯は、マフィアの『ピエトラ』だって。
それは、君自身の見解ということかい?」
「……まあ、そうですが」
「どうしてそう思ったんだい?」
オスヴァルトは溜息をつき、軽く肩を竦めた。
「私の話をお聞きになられていなかったのですか? あの大胆なやり口こそ、ピエトラの流儀なのです」
「僕が訊きたいのは、その『大胆なやり口』のことさ。具体的には?」
その問いに、オスヴァルトはあきれ顔で答えた。
「城という帝国で最も厳格な場所の、それも人が大勢集まる午餐会の最中に、派手に窓を割って現れ、護衛騎士の存在も気にせず第一皇子殿下を狙う。これが大胆でなくてなんだと言うのです」
「ピエトラは、過去にもそんなことを?」
「まさか」
即答だった。口調はどこか小馬鹿にしたような響きを帯びていた。
「そんな前例があれば、警備体制は今より遥かに厳重だったはずです。少し考えればわかることでしょう」
「ふうん、つまり前例はないってことだね。じゃあさ――」
輝石は視線を鋭くする。
「『似た事例もない』のに、『なんとなく』で、『このやり口はピエトラの仕業だ』と断定した、ってことかい?
しかも、その確実性のない根拠をもとにして、『第二皇妃が主犯だ』って決めつけたと?」
問い詰めるようなその言葉に、オスヴァルトの表情が一瞬で固まった。
「そ、それは……」
しばし口篭った後、オスヴァルトは顔を上げ、わずかに声を荒げた。
「――ええ、そうですよ。殿下の仰る通り、それだけで判断いたしました。
荒っぽい推論だったことは認めましょう。ですが、第一皇子殿下の命が奪われかけたのです。些細なことでも意見があれば、報告すべきではないですか。
そして事実、疑うには充分の理由があります。
母親が疑われているからといって、現実から目を背けないでいただきたい」
「それはこっちの台詞さ。君こそ、自分の主張から目を背けるのはやめたまえよ。
なにせ君は、その霧みたいに曖昧で根拠の薄い主張を、こともあろうにこの国の頂点の『皇帝陛下に』報告するつもりだったんだろう? もしかしたら、もう報告した後なのかもしれないけどさ」
輝石のその一言で、オスヴァルトは「ッ」と息を呑んだ。その反応を見ながら、輝石はさらに続ける。
「凄いね、大胆だ。君は勇気があるよ。
僕だったら怖くてできない。偽証罪だけじゃない、『皇妃が主犯だ』なんて言えば、皇室を侮辱したとして、侮辱罪にだって問われかねないからさ」
「……」
「――そろそろ正直になってごらん。
君だって、いくら思慮不足だったからって、そんな真似をするようなお馬鹿さんじゃないだろう?」
輝石は軽く首を傾げ、目だけで相手を見据えた。
「僕はね。君が『実行犯はピエトラだ』って言ったことには、二つの可能性があると思ってる」
輝石は指を一本立てた。
「一つ目は、君が『本当に』実行犯はピエトラだと確信していた場合」
「何を仰りたいんですか……!」
「まあ聞きたまえよ。人の話は最後まで聞くのが、礼儀ってもんじゃないのかい」
オスヴァルトが声を荒げたので、輝石はそれを制止する。
そして『一つ目』と言いながら立てた指を、そのままオスヴァルトの方に向けた。
「君が『本当に』実行犯はピエトラだと確信を得ていた――それはどういう状況だろう?
君の言うところの『大胆なやり口』だけじゃ、彼らの正体の判断は無理だ。だから、こういうことになる。
君は実行犯の正体を『最初から』ピエトラだと知っていた、ってことにね」
オスヴァルトが『最初から』ピエトラが実行犯だと知っていたなら、彼らの行動から正体を推測できなくても、『ピエトラだ』と断言することはできる。
「じゃあどうして君は、『最初から』実行犯の正体を知っていたのか?
それは――君自身が暗殺計画に関与していたからだ。
そうじゃない限り、材料がほとんどないこの現状で、実行犯の正体を掴むことは難しいんだよ」
オスヴァルトは何も答えなかった。
輝石はそれを一瞥し言葉を続ける。
「まあでも、この線はないと思ってるよ。
もしそうなら、君はそもそも『実行犯はピエトラだ』なんて言わないだろうからさ」
輝石は腕を組み、鋭く切り込んだ。
「仲間を売ることになるからね。
単に、君が仲間を差し出すような『義理の義の字も知らない恥知らずな人間』っていうだけならまだいい。
だけどこの場合、仲間が君を恨んで、『オスヴァルトも計画に関わっているぞ』って告げ口される可能性がある。
そうなれば君も、捜査線上に浮かぶことになってしまう」
オイル・ランプの火を映したオスヴァルトの瞳が、ぴたりと止まった空気の中で揺れた。
「だから、この線は薄い。残るのは、二つ目の可能性――」
輝石は目を細めて、言い切った。
「『捜査を撹乱させようとした。そしてあわよくば、「ピエトラ」に暗殺の実行犯という罪を被せようと思った』って線。
この手掛かりが何もない状況で、『ピエトラだ』って意見があれば、捜査をする皇室や警察は無視できない。必然的に、マフィア組織の『ピエトラ』に捜査の目が向く。たとえ、彼らが実行犯じゃなくてもね。
そしてもし立証でもされてしまえば、『実行犯はピエトラだ』ってことになる。
しかもついでに、姉上とは政敵である第二皇妃まで巻き込めるかもしれないときた。それが叶えば、まさに一石二鳥ってわけさ。
まあこれについては、君の本来の計画には含まれていなかったんじゃないかと思うけどね。姉上が話を出したから、便乗してついでに、ってところかな」
オスヴァルトの口が「違う」という形に動いたが、声に出ることはなかった。
輝石はすかさず指を向ける。
「君は何のために、『ピエトラ』に罪を被せようとしたんだろうね?
そんなのは簡単さ。本当の実行犯に目が向かないようにするためだ。
そしてそんなことをする理由がある人は――やっぱり、暗殺計画に関与した人さ」
静寂が訪れる。火の音が、じり……と空気を裂いた。
「どうだい?
――暗殺未遂事件の加担者君」
――静寂が続いた。
衣擦れや息の音さえしない、張りつめた静けさの中で、ただオイル・ランプの炎が、じり、と音を立てる。
そして次の瞬間――。
チャキ、と。
空気が張り裂けるように、剣が抜かれた音が響いた。




