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異世界のフィクサー ―城を追われた転生皇子は裏社会で王になる―  作者: 紫音紫


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27話 禍福は糾える縄の如し

 一睡もできなかった。


 灰色にけぶる朝の空を見上げながら、ヒルデガルトは乾ききった瞳で、ゆっくりと喪服の襟元を整えた。

 石造りの壁に囲まれた控えの間には、朝の冷気がまだ残っており、窓越しに差し込む光が床の模様を淡く浮かび上がらせている。


 寝具に入ったのは確かに昨晩だったが、眠りが訪れることはついになかった。


「――ゼノフォード」


 決して仲が良かったわけではない。

 癖が強く、我儘で、生意気で、何より皇族らしさに欠けていた。

 しかし彼がオスヴァルトの罪を暴き捕らえて、その為人ひととなりに少しだけ触れてから、ヒルデガルトの中に揺れるものがあった。

 もっと早く、彼と向き合っていれば良かった。そう悔やんでも悔やみきれない。


「素直でない奴だった」


 そう、素直ではなかった。

 天邪鬼で、嘘つきで。

 聡明なのに、世渡りがものすごく下手で。

 誤解を招きやすくて。 


 ――優しい、人だった。


「ゼノフォードは――兄上の暗殺事件の首謀者だったのだろうか」


 漏らすような呟きに反応したのは、控えていた護衛のアルノーだった。


「そんなわけないじゃないっすか!」


 ヒルデガルトは知っている。

 アルノーがほんの少し前まで、ゼノフォードを毛嫌いしていたことを――多くの者と同じように。

 だが貧民街で共に行動したことで、何か惹かれるものを感じたのだろう。

 いつしか彼は、ゼノフォードを信じようとしているように見えた。


「言ったでしょう、ゼノフォード殿下は、暗殺事件の犯人を追ってたんだって! そんな人が、暗殺者側なわけないっすよ!」


「……そうだよな」


 ヒルデガルトは、自分に言い聞かせるように小さく頷いた。


「暗殺計画に加担したオスヴァルトを追い詰めた時点で、ゼノフォードが暗殺に関与していないのは明白だった」


 ――ゼノフォードは無実だった。

 それどころか、貧民街に赴く直前の彼の様子や、アルノーの証言から察するに、暗殺未遂事件の解決に向けて、ゼノフォードはただ一人奔走していた。

 その彼に感謝するどころか、我々は暗殺未遂の罪を擦り付け、犯人に仕立て上げたのだ。


「世間的には『暗殺計画の首謀者が特定された』わけだからな。国民も安心するというものだ。

 スケープゴート、というやつか。――父上は、実の息子に対して酷なことを」


 そう思うと、またしても後悔の念が否応なく押し寄せる。


「どうしてゼノフォードは、『自分が暗殺計画の首謀者だ』などと嘘を吐いたのだ。

 自分はやっていないと、反論すればよかったのに」


 ――いや、あの誤解されやすい彼が無実を主張したところで、それが認められただろうか?


「ゼノフォードは――諦めていたのか」


 無罪を、勝ち取ることも。

 誰かに、信じてもらうことも。


「――信じていると、伝えなければならなかった」


 門の外に走っていくゼノフォードの後ろ姿が脳裏に呼び起こされて、離れなかった。


□□□

 葬儀は予定通り執り行われた。

 参列者の多くは、義務感と、そして僅かな興味本位の好奇心から列に加わっていた。

 皇帝もまた、微塵の感情も見せることはなかった。


 民衆の目は冷たかった。

 ゼノフォードは、高慢で我儘で、気まぐれな人間。そういう印象が先行していたので、仕方ないかもしれない。


 加えて今、民衆の信望を集めていた第一皇子の暗殺を企てたと信じられている。

 その亡骸に投げつけられるのは、悲しみではなく罵声と石だった。


「マリウス殿下を殺そうとした罰が当たったんだ!」


「死んでくれてせいせいした!」


「地獄に堕ちろ!」


 道中、小石や泥の塊が棺に向かって飛んできた。

 棺を運ぶ兵士が無言で盾となったが、そのうちの一人が足元の石につまづき、棺がぐらりと大きく傾く。

 重々しいそれは不安定に揺れ、その拍子に蓋の隙間から白布の端が滑り落ちた。


(なぜ、こんなにも憎まれなければならないのか)


 ヒルデガルトは思わず顔を背け、手で耳を塞いだ。


「……悲しんでいるのは、私とアルノーくらいか」


 やがて墓地に着いた時には、棺には複数の傷がつき、はみ出た白布から察するに、中も無事ではなさそうだった。


「――棺を開けてくれ」


 ヒルデガルトが口を開いた。

 納棺の後に開けるなど本来は非礼だが、こんな無惨な状態で弟を埋めるなど、到底受け入れられなかった。


「あいつのことだ、美しくない姿で生涯を終えるなど、嫌がるだろうからな。――あとで化けて出られたら困る」


 棺の蓋がゆっくりと開かれた。

 葬列中の揺れによって遺体は大きく動き、顔を含む大部分が供えられた花に埋もれていた。

 案の定、身体を覆っていた布はずり落ちていた。


 体のあちこちに傷が見える。

 その多くは死したときについたものだろうが、幾つかはオスヴァルトとの戦いによるものだろう。


「――痛かったな」


 もしあのとき、自分がオスヴァルトの異変に対してもっとうまく動けていれば。――ゼノフォードが怪我をすることはなかっただろう。


「――苦しかったよな」


 考えれば考えるほど、後悔ばかりが増えていく。


「いま、かけてやるからな」


 ヒルデガルトは、布を手に取る。

 引っ張り上げる前に、もう一度遺体を見下ろした。

 そして。


 ――その手を止めた。


「――ない」


 大きく開いたシャツの隙間から覗く胸元。

 オスヴァルトとの戦いの後、確かにそこにはあったはずの刀傷が――ない。


 深い傷ではなかったが、数日で痕が完全に消えるなど、あり得ない。


 つまり。


 ヒルデガルトは、その答えに辿り着いた瞬間、肩を震わせた。


 ――そう。この遺体は。


(――ゼノフォードじゃない!!)


□□□

 夜。ヒルデガルトは寝室の窓を開け、遠い夜空を見上げていた。


「ゼノフォード。おまえは、どこかで生きているんだろう?」


 月は高く、雲は流れ、風は涼やかだった。


「もし、次にまた逢えたなら。

 そのときは姉弟ではなく、他人として逢うことになるだろう」


 その先に続いた言葉は、風にかき消された。


「――それもまた、悪くない」

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