21話 死人に口なし
「……トルカーナは、いつもこんなに騒がしいのかい?」
窓から射し込む朝の日差しとともに、外の雑踏が流れ込んでくる。
ワイワイ、ガヤガヤと人の声が入り混じり、何か騒動でも起きているのではと思うほどだ。その喧騒は、時間の経過と共に徐々に大きくなっているように感じる。
ゼノフォードの問いに、ロレンツォは肩を竦めて答えた。
「あー、そうだな。うん、だいたいこんな感じだ」
煮え切らない返事だった。だがこれ以上問い詰めたところで、無意味だろう。
(ロレンツォに語るつもりがない以上、何を聞いても答えは得られないか)
ゼノフォードは静かに椅子を引いて立ち上がった。
「待てよ、ゼノ」
「ゼノ?」
首を傾げるゼノフォードを見て、ロレンツォは歯を見せて笑った。
「ゼノフォードなんだから、ゼノだろ?
それとも、ゼノくんとかゼノっちとかの方がいいか?」
「美しくないね」
だがなるほど、意図は理解できる。逃亡犯であるゼノフォードを、本名でそのまま呼ぶわけにはいかないからだ。
「……ゼノでいいよ」
「んで、ゼノ。オメェ、その格好で行く気か?」
ゼノフォードはロレンツォの言葉に促され、自分の姿に目を落とした。
白金の髪は、城にいた時と比較すれば少し乱れてはいるが、きちんと結い直している。
服装についても、寝ている間にロレンツォが着替えさせてくれたのだろう、シャツとズボンはややぶかぶかだが、清潔感のある装いだ。
太腿にあった怪我も、いつの間にか丁寧に手当てがされていた。包帯はしっかりと巻かれ、血が滲む気配もない。
とにかく、外見については概ね整っているように見えた。
「……いつだって美しいこの僕に、何か問題でも?」
問い返したゼノフォードの頭に、ロレンツォがぽん、と何かを乗せた。
「一応、逃亡中の身なんだからよ。その無駄に目立つ頭と顔くらい隠しとけ」
ゼノフォードは頭からその『何か』を外し、目の高さまで持ち上げた。
「帽子?」
見覚えがあった。ロレンツォが被っていた、黒い中折れ帽。無造作に押し付けられたそれは、妙にしっくりと手になじんだ。
「……昨夜の一件で、僕はこのあたりの人たちには認識されてしまっているんじゃないかい?
今更、正体を隠さなくても」
ゼノフォードの発言に、ロレンツォは首を振った。
「『このあたりの人』じゃない奴らがいるかもしんねェだろ」
「……」
その言葉にゼノフォードは黙り込む。
(この喧騒の理由を、ロレンツォは知っているのか?
だから、こうして顔を隠すよう促してきたのだろうか)
そう思うのは、ただの考えすぎか。
(まあ、受け取っておくか。
息を潜めて静かに生きよう、って決めたんだ。
逃亡者である以上、目立たないに越したことはない)
ロレンツォの真意ははかりかねたが、ゼノフォードは素直にその帽子を被った。
□□□
湿った石畳の匂いが鼻を突く。
運河の上を抜けてくる風はやや冷たく、どこかよそよそしい。
橋の上には人だかりができていた。
商人、船乗り、通りすがりの者たち。誰もが無言で、同じ一点を見つめている。
群れの端に、見覚えのある顔があった。
ゼノフォードは近寄って声を掛けた。
「何かあったのかい?」
振り返ったのは、例の飲食店の店主だった。ゼノフォードの顔を見るなり、「ああ、あなたでしたか」と声を上げる。
「子供が見るようなものではありませんが――」
そう言いながらも、再び視線を前方に戻す。
ゼノフォードも、つられるようにそちらを見た。
「!」
濡れた石畳の上に、引き上げられたばかりの小さな人影が横たわっていた。
まだ少年と呼ぶにふさわしいほどの年齢だろう。
色褪せたシャツは水を吸って重く沈み、明るいブロンドの髪はぐしゃぐしゃに乱れている。顔は腫れ、肌は不気味なまでに白い。
「――水死体?」
「ええ」
「これが騒ぎの原因か」
ゼノフォードはようやく合点がいった。
と、運河から二、三人の警官が、水際を離れて地上に上がってきた。
その制服姿を目にした途端、悪徳警官に一杯食わされた先日の一件もあって、ゼノフォードの背に緊張が走った。
帽子を深くかぶり、顔に影を落とすと、そっと店主の背後へ身を引く。
周辺はこの警官たちの管轄なのだろうが、かといって彼らが地元民とは限らない。ゼノフォードの事情を知らない可能性だって、大いにあるだろう。
(ロレンツォが言っていた『このあたりの人じゃない奴ら』っていうのは、こういう人たちのことか)
しかも警官ということは、逃亡犯であるゼノフォードを追う側である。警戒すべき対象であることは、間違いない。
引き上げ作業を終えた警官の一人が、遺体の確認を始めた。
「年齢は……十四、五歳くらいか。この有様だし、死亡推定時刻なんてわからんな」
水死体は、通常の遺体に比べて死亡時刻の特定が難しい。
だからこれは、面倒がって手を抜いているわけではないだろう。
「まあ、今朝発見されたってことは、昨夜のうちに死んだと考えるのが妥当か。
外傷は酷いが……溺れたときにでもできたんだろうな。事件性はない」
警官は淡々と、何かを記録用紙に書きつけていく。
「こりゃ――水難事故だな」
『水難事故』という一言に、周囲の野次馬たちは口々に「ああ」「可哀想に」と呟いた。
「運河に落ちてしまったのでしょう。まだ幼いのに」
店主も同情を込めて言い、残念そうに首を振った。
この様子では、捜査はこれで切り上げになるのだろう。
少年の身元はわかっていないし、捜査というには適当だ。
だが悲しいかな、ここは貧民街で、死んだのは平民の貧しい子供だ。そう考えれば、これでもまだ扱いが良い方かもしれない。
しかし一人、ゼノフォードだけは険しい顔をしていた。
「本当に事故なんだろうか」
「――事故ではない、と?」
店主は怪訝そうに、ゼノフォードの方に視線をやった。それを見て、ゼノフォードは静かに口を開く。
「見たまえよ。遺体の損傷が激しい。特に、頭と背中に、深い打撲があるだろう」
店主が遺体に目を向ける。
髪の下、頭部の一部に、不自然な盛り上がりがある。色も周囲と違い、まるで大きなこぶのようだった。
また、水を吸って服に貼りついた背中には、赤黒い痣が浮き上がっている。
「それから、太腿にも傷がある」
ズボン越しに、血がにじんでいるのが見えた。
奇しくも、それは今のゼノフォードが怪我をしているのと同じ――逃走の際、足止めとして斬られた箇所だった。
ならば、この少年も同じ理由で傷を負わされた可能性があるかもしれない。
「なるほど確かに。ですが、水に落ちたのならば、多少の損傷はあってもおかしくはないのでは?」
「『多少』ならね。手や膝に擦り傷があるとか、浅い打撲がある程度なら。でもこれは、それ以上だよ」
「波に揺られて、どこかにぶつかったのかもしれません」
「警官が言っていたように、この子が亡くなったのが昨夜だとするなら、その時間帯は波が荒れるほど、風は強くなかったんじゃないかい」
ゼノフォードは改めて遺体に視線を向けた。
「それに、身体のあちこちに土がついてる」
爪の間、指の皺、足の裏――血痕ではない、茶色いものがこびりついていた。
「見る限り、運河の中は石で固められてる。道も地面も全部石造りで、土なんてどこにもない。
だったら、ここで死んだんじゃなくて……別の場所で亡くなって、ここに運ばれた。そう考えるのが自然じゃないかな」
「確かに、そうとも考えられますね」
「そもそも水死体っていうのは、死亡時刻どころか、水中で死んだのか、死後に沈められたのかも判断しにくいのさ。
つまり、この子が本当に溺死だったのかどうか、わからないんだよ」
「つまりゼノフォード様は……」
声に半信半疑の色を滲ませつつ口にされた店主の言葉を、ゼノフォードは「ああ」と肯定して引き継いだ。
「――あの子は、水難事故で亡くなったんじゃない。そう考えているよ。
誰かに殺されて、事故に見せかけるために水に投げ込まれた――ってね」
と、そのときだった。
「被害者の遺留品と思われるものがありました!」
遺体の処理をしていた警官のひとりが、水中から布を手にして這い上がってきた。
ゼノフォードは、それを見た瞬間、凍りついた。
――それは。
「……帝国の、騎士服……!?」
見覚えがある。
(城から逃げるとき、騎士からひっぺがしてきたものに似てる――!
いや、似てるんじゃない、そのものだ!
朝、目を覚ましたときには着替えさせられていて、いま手元にはないんだから)
警官が騎士服をバサリ、と広げながら、「そういえば」と口を開いた。
「いま逃走中のゼノフォード皇子殿下が、騎士服を着ていたって通告があったな」
おそらくは、警察本部からの通達。逃亡中のゼノフォードを捕らえるためのものだ。
「この遺体は、年齢も、髪の色も殿下と一致する。それに殿下は、逃走時に太腿を負傷していたって情報もあったな。
何より殿下は、このトルカーナを訪れたことがある。土地勘のある場所に潜伏しようと考えたって、不自然じゃない」
警官の目が、遺体に向けられた。
「――ということは、この遺体は……ゼノフォード殿下のものか!」
ゼノフォードは、さっと顔を強ばらせた。
(逃げてきた、昨日の今日で。
僕によく似た遺体が、証拠品とともに発見された。
――偶然なわけがない!)
何者かが仕組んだものだ。
(僕を、死んだことにするために)
その意図をもって動ける存在は、一つしかない。
「――ピエトラだ」
つまり。
「この子は――。
僕のせいで殺された――ってことなのか――!?」




