15話 悪魔の証明
「姉上!?」
ゼノフォードの驚きの声を無視して、ヒルデガルトは静かに歩み出た。
そして皇帝の前で、凛とした所作で一礼した。
「アルノーは、私の騎士。
彼はたとえ脅されようと屈せぬ正直者であり、信用に足る人物です。私が保証いたします。彼の言うことは、真実であるかと」
その言葉に、一片の迷いもなかった。
ヒルデガルトは背筋をまっすぐに伸ばし、皇帝の目を正面から見返していた。
危機感を募らせたのは、ゼノフォードだった。
「姉上……なにを……!」
思わぬところから差し伸べられた手。
しかしそれは助けではなく、かえって彼らを危機に巻き込むものだった。
「そして」
ヒルデガルトは言葉を継いだ。
「暗殺事件に関与したオスヴァルトの不審にいち早く気付き、彼を追及したのは――ゼノフォードです」
その供述に、周囲はざわめいた。
「オスヴァルトの罪を暴いたのは、ヒルデガルト殿下だったのでは……?」
「もしそれが本当なら、ゼノフォード殿下は暗殺者側とは敵対関係ということになるが……」
騒めきをよそに、ヒルデガルトはさらに言葉を重ねた。
「オスヴァルトの動機は、既に明かされているとおり『皇帝の血筋を根絶する』というもの。
彼はその言葉どおりに、ゼノフォードを襲撃したのです!」
「姉上! それは口止めしたはずだ!!」
ゼノフォードは戦慄した。
『オスヴァルトがゼノフォードを襲った』と公にされれば、オスヴァルトにはさらなる罪が科せられる。
そのことに一番苦しむのは――オスヴァルトを親のように慕っていた、ヒルデガルト本人のはずだ。
「オスヴァルトに、これ以上罪が増えてもいいのか!!」
「ゼノフォードが暗殺者側だというのなら!」
ヒルデガルトはゼノフォードの声に被せるように、声を張り上げた。
「その本人が襲撃されるなど、あり得ない!!」
その言葉に、皇帝はゆっくりと目を細めた。
「そうか」
低く呟き、短く頷く。
「ヒルデガルトは優しいのだな。たった一人の弟だからと、ゼノフォードを庇おうとするとは。
育ての親も同然だったオスヴァルトに――謂れのない罪を着せてまで」
唇に微かに笑みを浮かべたその顔に、温もりはなかった。
その目には、ただ冷たい光だけが宿っていた。
「だが、忘れてはならぬ。おまえが守ろうとしているその弟は、兄を殺そうとしたのだ」
「父上ッ!」
ゼノフォードは堪らず声を上げた。
(ヒルデガルトもアルノーも、明確に僕を擁護してしまった。
このままでは二人とも、『罪人を庇った』ことになってしまう!)
誰かを巻き込まぬためにも、ゼノフォードは自分の無罪を主張しなければならなくなったのだ。
「僕が暗殺計画の首謀者だという証拠は、ないだろう!!」
「首謀者でないという証拠も、また――ない」
皇帝の声は静かだった。
静かであるがゆえに、言葉の一つ一つが余計に重たく、鋼のように冷たく響いた。
「証拠を出せるというのならば、聞いてやらんこともないがな」
ゼノフォードは言葉を失い、拳を握りしめ、歯を食いしばった。
「……『悪魔の証明』ってことか!」
悪魔がいたとして、『悪魔はいる』と証明するのは簡単だ。現物を連れてくるなり、悪魔の角か羽でももぎ取って示すなりすればいい。
だが逆に『悪魔はいない』と証明するには、どうすればいい?
『無い』ことを証明するのは、『有る』ことを証明するより、はるかに難しいのだ。
「――そうだ」
ふと、思い付いたことがあった。
「第一皇子を助けた人物だ」
午餐会の最中、突如現れた刺客。
第一皇子に振り下ろされようとした、暗殺者の刃。
そしてそれを、もう一人の暗殺者に扮した小柄な影が、間一髪で阻んだ。――ゼノフォードだ。
「午餐会の暗殺未遂のとき、襲われた兄上を助けた人物がいただろう!
ローブを奪って、暗殺者に扮して近付いて、ナイフを止めた人が!!
あれは、僕だ!!」
途端に、会場がざわめいた。
ゼノフォードは意に介さず、言葉を続ける。
「嘘だと思うなら、僕のことをナイフで襲ってみるといい!
同じように、『蹴り』だけで止めてあげるよ!!」
確か以前、ヒルデガルトがこう語っていた。
『自分こそがその英雄だ』と名乗り出た者が何人かいたが、当時の状況を正しく説明できず、偽証罪でしょっ引かれていた――と。
ゼノフォードの語る内容は『正しい状況』そのものである。本人か、少なくともすぐ近くにいた者でなければ語れない内容だ。
「――そうか」
皇帝が口を開いた。
「十歩譲って、おまえがあの暗殺未遂事件でマリウスを救った人物だとしよう。
だがそれは、おまえが暗殺を企てていないという根拠にはならない。
『暗殺を企てたのは、自分を英雄に仕立て上げるためだった』――という動機が明確になるだけだ」
「――そうかい。そうだよな」
ゼノフォードは震えた。
「わかっていた――!
こうなることはわかっていた!!」
この事実を隠してきたのは、それを疑われることを懸念してのことだった。
「だから言わなかったんだよ、僕は!!」
最初から、自分が無罪となる道などなかったのだ。
「こんなの、尋問じゃない!
どのみち、僕を切り捨てるつもりだったんだ! 父上は……ッ!!」
震える呟きに、皇帝は応えなかった。
だが、それは無言の『是』だった。
「皇室の汚点であるおまえを排除することで、優秀な第一皇子マリウスの身の安全が守られる可能性があるのならば――」
皇帝は静かに言葉を継ぐ。
冷徹なその目は、最初から何も期待していない者を見る目だった。
「私は喜んで、おまえを切り捨てる」
それは『疑惑』でも『警告』でもない。
――『宣告』だった。
周囲がざわめき出した。
「英断だな」
「さすが『聖君』。正しいご判断をされる」
「ゼノフォード殿下が暗殺の主犯であれば、すべて説明がつきますもの」
「これで、暗殺計画の首謀者が捕まるわけだ。一安心といったところか」
「火のないところに煙は立たぬと言うしな」
「だいたい、傲慢で欲深い性格らしいではないか。さしずめ、腹違いの第一皇子を蹴落として、自分が皇太子になろうと考えたのだろう」
悪意の濁流が、一気にゼノフォードに押し寄せる。
誰もが、『ゼノフォードが悪』という結論を前提に話している。
「――何これだから、『先入観』は嫌いなんだ」
『ゼノフォード』は家族と折り合いが悪く、皇族内での信用も低い。
“輝石”が宿る以前から、敵意に囲まれていたのは事実だった。
だが――それにしても、一方的すぎる。
あまりに、理不尽だった。
「――ああ、そうか」
この世界に来て早々に感じた、周囲の強烈な敵意。
なんとなく察していた。
『ゼノフォード』は、周囲に拒絶され、追い詰められて、その性格を歪めていったのではないかと。
そして今――確信した。
「『ゼノフォード』が捻じ曲がったのは。暴君になったのは……」
ゼノフォードは、静かに周囲を見回した。
「――おまえたち、大人のせいだ」
子供を護るべき大人が、その使命を投げ捨てている。
実の親でさえ、『危険因子かもしれない』と判断すれば、容赦なく子供を切り捨てる。
向き合うでもなく、また過ちを諭すでもなく、敵意と差別をもって扱う。
そんな世界で、まっすぐ育てという方が無理だ。
「そりゃあ、歪むってもんだ」
そのとき。
「ゼノフォード」
低く、穏やかな声で呼びかけられた。
皇帝の隣――第一皇子マリウスだった。
実のところ、“輝石”がこの世界に来てから、兄弟として言葉を交わすのはこれが初めてだった。
だが、その第一声が穏やかなものでないことは、最初からわかっていた。
「もし、おまえが本当に暗殺計画に関わっているのなら――罪を、認めてほしい」
その声音には、怒りも軽蔑もなかった。
ただ、真っ直ぐに弟を見つめる兄の眼差しがあった。
だからこそ、――無性に腹が立った。
その優しさが、何よりも苛立たしかった。
優しさを向けながら、その実、信じていない。
その点で彼もまた、『他の大人たち』と何も変わらなかった。
「――罪を認めろ?」
口元が歪むのを感じる。
「僕が、なんの罪を犯したっていうんだ――?」
じわりと視界が滲む。
「そうだよな。自己中で我儘でプライドだけが無駄に高いロクデナシの信用より、人望の厚い優秀な第一皇子の命のほうが――よっぽど、大事だもんな」
喉が、ひりひりする。
声が、震える。
「ついでに、『暗殺計画の首謀者が特定されて捕まった』ともなれば、国民も安心する。役立たずで出来損ないの僕でも、スケープゴートとしてなら、少しくらいは存在価値があるかもね。
それにワンチャン、本当に僕が暗殺計画の首謀者かもしれない。そうだったら、僕が処分されることで、帝国の危機は消え去るってわけだ。
悲しいね――本当に、悲しいよ」
やがて、皇帝が問う。
「何か、言うことはあるか」
「あったって、聞いてくれないだろう」
何を言っても無駄だということは、もう充分に理解した。
もう、期待するのは――やめた。
皇帝は冷たく、機械的に宣告する。
「結論が出た。
第二皇子ゼノフォードは、第一皇子暗殺計画の主犯として、極刑に処す。
さらに――」
視線を向けられたのは、ヒルデガルト。
「ヒルデガルトには、ゼノフォードを庇い、嘘の供述をしたとして『偽証罪』に問うこととし、軟禁と再教育を言い渡す。そして」
続いて、その視線はアルノーに注がれた。
「リーベンタール卿は、皇権への反逆に値する言辞を述べたとみなし――『反逆罪』に問うこととする」
「――ハッ」
――ゼノフォードの中で、何かが切れた。




