14話 脱げない濡れ衣
「通報したのは、汚職警官だ!
信用できない人間なんだ!!」
ゼノフォードが声を上げた。
「奴はトルカーナの店を回っては、『治安維持費』なんてふざけた名目で、金を巻き上げていた。
しかも支払えない店には、見せしめにマフィアを名乗る集団をけしかけて、襲撃させていたんだ!」
会場の人々がざわめいた。
「本当か?」
「事実だとしたら、恐ろしい話だな」
「『事実だとしたら』――、な」
懐疑の声。
残念ながらゼノフォードの言葉を真正面から信じる者は、悲しいかな、いなかった。言葉の端々に、それが滲んでいた。
(……無理もない、後出しジャンケンに見えるだろうから)
自分が窮地に陥ったから、慌てて話を捏ね上げている――世間の目には、そう映っているのだろう。
そこに元々の『ゼノフォード』の信用の無さが、拍車をかけていた。
さらには、通報をした者の肩書きが、社会的地位のある『警官』だというのも運が悪かった。
人間というものは、権威がある人物の言葉を信じやすい傾向にあるのだ。
(――権威バイアス、ってやつか)
皆が、汚職警官の通報内容を鵜呑みにしてしまっている。
ぎり、と奥歯を噛み締めた。
(事実なのに……なんて間の悪さだ)
喉元まで出かけた悔しさを飲み込み、慎重に言葉を継いだ。
「僕が暗殺を計画していたという通報は、その汚職警官の保身のための捏造だ。
自分の悪事を知られたくないがために、先手を打って、不正を知る僕を陥れようとしているんだ。僕は、嵌められたんだ!」
ゼノフォードは皇帝を真っ直ぐに見た。父であるはずの男のその瞳は――氷のようだった。
「――その警官の名は、何という」
淡々と発せられた問いかけに、ゼノフォードは目を見開いた。
「……それは……ッ」
(――知らない!)
汚職警官と対峙したとき、『クビになりたくなければ二度とこの店には来るな』と警告しただけで、その素性も名前も、何ひとつ確認しなかった。
沈黙したままのゼノフォードに、皇帝が静かに言葉を重ねた。
「おまえは警官が不正をしていたと主張するが、現場でそれを見たにもかかわらず、相手の名も階級も所属も確かめなかったというのか?」
声音は変わらず穏やかだったが、その冷気は、刃のように鋭さを増していた。
「……くそッ」
ゼノフォードは唇を噛んだ。
なにもかもが、裏目に出る。最悪だ。
(……名前くらい、確認しておくべきだった……!)
過去のセーブデータも残っていないので、あの時点に戻ってやり直すことだって叶わない。今更悔やんだところで、もう遅いのだ。
皇帝の追及は、容赦なく続いていく。
「確認を忘れた、とでも言うつもりか? あるいは、不正を知りながら黙認するつもりだったとでも?
不自然極まりない。そんな事実はなかったと考える方が、はるかに筋が通る」
ゼノフォードは苦い表情で俯いた。
ただでさえ聞く耳を持ってもらえないというのに、反論できる材料が、何一つない。
「そして、もう一つ。腑に落ちぬ点がある」
皇帝の声は、さらに冷たさを帯びる。
「そもそもだ。第一皇子マリウスが殺されかけたのだ。普通ならば、第二皇子たるおまえは、自身の身の安全に不安を覚えるのではないか?
にもかかわらず、おまえはたった一人の護衛しか付けずに、平然と外出した。
――自分は狙われる心配がないと、知っていたのではないのか?」
「違う! 僕は――」
「それとも、そこまで考えが及ばずに、この緊迫した状況の中で能天気に遊び歩いていたとでも言うのか?
いくらおまえが、頭が空っぽな愚か者だとはいえ、それこそ不自然だ」
「……ッ」
何も反論できない。
最初に「カジノに行くために云々」と軽率な嘘を吐いたのが悪手だった。
いや。すべてはあの警官と会った時点で、行き詰まっていたのだ。
(――『詰み』だ)
「では、判決を言い渡す」
世界が、ぐらりと傾いた気がした。
血の気が引いていき、顔が青ざめるのを感じる。
待ち受けるのは、実刑。
それも恐らく――極刑だ。
口から、かすれた声が漏れた。
「――死にたくない一心で、ここまで行動してきたっていうのに」
裏目に出た。何もかも。
こんな展開は、ゲーム『ライオライト帝国記』には存在しない。
本編では起こらない異常事態。ゼノフォードが本来とは異なる選択をしたことで、物語の道筋が壊れてしまったのだ。
「――僕は、どうすればよかったんだ?」
第一皇子を、助けなければよかったのか?
何もせずに、引き籠もっていればよかった?
トルカーナで、苦しむ店主を無視していれば――?
「――絶対に、そんなわけはない」
たとえ時間を巻き戻せたとしても、きっとまた、同じ道を選ぶ。
「僕は、間違ってない」
そう確信しているのに、それでも――どうすればよかったのか、その答えが出せない。
「――僕は――どうすればよかったんだ――?」
憑依したのが『ゼノフォード』でなければ、こうなることはなかったのではないか?
それでもこの結末は、自分――“輝石”が行動した結果なのだ。何せ、本来の物語に、このような展開は存在しないだろうから。
そう思えば、本来の『ゼノフォード』を責めるのもまた筋違いというものだった。
「――死にたくない」
不意にまた、あのとき消し飛ばされた過去の光景が、脳裏によぎる。
第一皇子が刺され、崩れ落ちて、血に塗れる、生々しく悍ましい光景が――。
死にたくない、死にたくない。
呪文のように、唇から言葉が漏れる。
――そのとき。
「――ゼ、ゼノフォード殿下は、悪くないっす!」
切り裂くような声が響いた。
がばりと顔を上げると、そこには鬼気迫る表情で、あろうことか皇帝に噛み付こうとする茶髪の青年がいた。
――アルノーだった。
「殿下は、本当はカジノなんかじゃなくて! 暗殺の実行犯を突き止めるために、トルカーナに行かれたんす!!」
「アルノー君!」
ゼノフォードは慌てて制止した。
この優しい青年は、善意から、自分を救うために声を上げたのだ。
誰もがゼノフォードを疑い、悪と断じようとするこの空気の中で、ただ一人、庇おうとしているのだ。だが。
(駄目だ!)
十中八九、アルノーの証言だけでは、ゼノフォードの潔白は証明できない。
そして、ゼノフォードがこのまま有罪となれば――。
(アルノーは、『反逆者を庇った人間』になる!)
「黙れ! おまえは関係ない!!」
わざと鋭い口調で言い放つ。
とにかく口を閉ざさせたかった。
そうしないと、この善良な青年の名誉が、自分のせいで地に落ちてしまうから。
だが、正義感の塊のようなアルノーが、それで引き下がるはずもなかった。
息を切らせながら、なおも言葉を続けた。
「今、暗殺事件の手掛かりは『ピエトラ』って名前だけ!
だから彼らと接触しようと、ゼノフォード殿下は――!」
「アルノー・リーベンタール!! 黙れと言ってるだろう!!」
自分でも驚くほどの声が出た。
びりびりと空気が震える。
「で、でも!」
その声にも、アルノーは怯まなかった。
こちらの方を振り返ったその顔は。
――怒りとも、悔しさともつかない、泣き出しそうな感情の奔流に濡れていた。
「殿下、言ってたじゃないっすか! 実行犯が野放しなんて怖いって!」
ぎゅっ、と握られた拳が震えている。
――この理不尽に絶望しているのは、ゼノフォードだけではないのだ。
「だけど誰にも頼れないから、自分で探すんだって!! そう言ってたじゃないっすか!!」
言った。確かにそんなことを言った。
(だけど、それを――誰が信じてくれるっていうんだ!!)
この証言は無駄だ。
それどころか、ただただアルノーの立場を危うくするだけだ。
だから、アルノーの言葉を否定しなければならなかった。
(もしあの汚職警官が、ここまで読んでいたとしたら……。
アルノーまで信用を失うであろうことを念頭において、あの通報をしていたのだとしたら……!
してやられたと言わざるを得ない――!)
「でたらめ言うんじゃない!」
「でたらめなんかじゃないっす!! 自分はちゃんと、殿下の口から聞いた! それに――」
アルノーは握りしめた拳に力を込めた。
「こうなったのは、自分が、あの警官の前で殿下の名前を呼んだから――!!」
アルノーはその事実に思い至ったのだ。そして、責任を感じたのだろう。
責める気など、毛頭ない。
止めなかった自分も悪いと、伝えたい。
でも今のこの場は、それすら許されない。
「――おまえは関係ないと、何度言わせれば気が済むんだ!!」
拒絶することだけが、唯一取れる手段だった。
だから、傷付けるとわかっていながらも、ただただ声を荒げた。
「黙っていろ! その無駄によく回る舌を根っこから引っこ抜かれたくなきゃあな!!」
「でも、殿下!!」
「――リーベンタール卿」
最後の静かな一言は、皇帝の口から発されたものだった。
アルノーがハッと皇帝に向き直ると、鋭い眼差しのまま、皇帝は告げた。
「おまえは、あのときゼノフォードと共にいたらしいな」
事実だ。アルノーは頷いた。
「であれば、ゼノフォードを庇おうとして――いや、ゼノフォードに脅されて、そう言わされているのではないか」
皇帝の声音は、疑念ではなく断定だった。
「そうだろう?」
ゼノフォードは眉を寄せたが、否定の言葉を口にしなかった。
(――アルノーの名誉を守るには、逆に好都合か。皮肉な話だけどな)
一方のアルノーは、何か言おうと口を開きかけた。
だがその瞬間、彼をかばうように、別の声が割って入った。
「お待ちください、父上」
ヒルデガルトだった。




