12話 マフィアの幹部
ゼノフォードは、一目で悟った。
この空気。この力。この存在感――。
(……只者じゃない)
黒のロングコートの男は、何の躊躇いもなく店の中央まで進み出ると、床に縫いつけられた大男――偽ピエトラの親玉の前でぴたりと足を止めた。
そして、黙ってその後頭部を掴む。ぐいと引き起こし、顔を確かめるように睨みつけながら、にい、と笑った。
「オメェらが、最近噂になってる『ピエトラ』か?
……なあ。どうせ名乗るんなら、もうちょい様になってろっての」
鼻で笑い、手を放した。
巨漢の頭部はそのまま重力に負けて、ドンッ! と床に叩きつけられた。鈍い音とともに、「ぐえっ」と情けない鳴き声がした。
黒コートの男はそれを見て「あぁ、わりぃ」と片手をひらりと振り、手元の銃のような形状をした装置のレバーを軽く引いた。カシャン。乾いた音と共に床に張り付いていたネットの錠が外れ、麻縄が緩む。
拘束を解かれた親玉は必死に這い起き、半ば転がるようにして立ち上がった。
「ひ、ひィィッ!!」
抜けた腰を引きずりながら、足をもつれさせて店の外へ逃げ出す。その後に続く、子分二人――。
だが、その先にはさらなる地獄が待っていた。
「――『ピエトラ』の看板に泥ォ塗っておいて、タダで済むとでも思ってんのかァ?」
出入り口の影から現れたのは、屈強な男たちだった。
「きっちりお仕置きしてやんねェとな」
偽ピエトラの三人は、目にも留まらぬ手際で口を塞がれ、手足を拘束される。そして彼らは叫ぶ間もなく、そのまま連行されていった。
――嵐が過ぎ去ったように、慌しかった周囲が、あっという間に静かになった。
一部始終をぽかんと見ていたゼノフォードとアルノーに気付いた黒コートの男は、目線を向けて「ああ」と口角を上げた。
「怖がらせちまってすまねェなァ。ホントなら警察に頼りてェとこだけどよ、そうもいかねェだろ?
ま、心配すんなって。殺しゃしねェからよ」
軽い調子なのに、どこか底知れなさがあるその声。飄々と、しかし容赦なく怖いことを言ってのける男に、ゼノフォードは静かに問いかけた。
「――あなたは?」
その答えは、すでに想像がついていた。
そして答え合わせのように、男は名を名乗った。
「俺はロレンツォ・サルヴァトーリ。――マフィア組織『ピエトラ』の幹部だ」
ああ、とゼノフォードは思った。
『ピエトラ』。
この世界に来てから、まるで呪いのように繰り返し耳にしてきた名前。
その手掛かりを探して、この街に来た。そして今、『本物』が、目の前にいる。
ロレンツォはゼノフォードをじっと見て、口元だけで笑った。
「おっと、ピエトラっつっても、さっきの奴らとは一緒にすんなよ? 別モンだかんな。……ま、その様子じゃ、もう察してるか」
「――助けてくれて、ありがとう」
ゼノフォードはやや硬い表情のまま、感謝の意を述べた。
「感謝するよ」
軽く頭を下げる。
その姿に一瞬戸惑ったのは、アルノーだった。
皇子という高貴な身分であり、ローブを纏っているとはいえ、どう見ても高位貴族というなりをした人間が、裏社会の人間に頭を下げる。
そのあまりよろしくない構図にぎょっとしながらも、アルノーは慌ててゼノフォードに倣って頭を下げた。
ロレンツォはそんな二人を面白そうに眺め、「気にすんなって、顔上げろよ」と笑った。
髭を撫でるように顎に手を添えながら、気さくな声で言う。
「むしろ礼を言いてェのはこっちの方だぜ。……外に店主がいたが、オメェらが助けてくれたんだろ?」
その言葉に、ゼノフォードはふと出入り口の方を振り返った。
そこには、心配そうに中を覗き込む店主の姿があった。彼が手に抱えているのは、革製のツールケース。その膨らみは、札束が入っていることを示していた。
「危害が及ばなくてよかった。偽物とはいえ、俺たちの名を使った連中のせいで、堅気の皆さんに迷惑がかかっちゃあいけねェや」
続いた男の言葉で、ゼノフォードは悟った。
あの金は、店の修理代。ピエトラ側からの補償だ。
今回の件に関して、ロレンツォたちに非はない。それでも彼らは、誠意を見せた。
犯罪集団であり、反社会的な組織であるマフィアという存在を肯定する気はない。だが――。
(主観に過ぎないけど、この人たちが第一皇子暗殺の実行犯だとは思えない)
ゼノフォードの中で、確信に近い思いが芽生えはじめていた。
「お礼によォ」
ロレンツォはそう言って、内ポケットから一枚の紙を取り出し、ゼノフォードに差し出した。
「なんか頼みがありゃ、何でも一つ聞いてやるぜ。
ま、いきなりそんなこと言われても困るだろうからよ、考えが纏まったらここに来な」
差し出されたそれは、名刺ともチラシともつかない紙片だった。
雑然とした手描きの地図、そこに『サルヴァトーリ班』と殴り書きされた一文。地図の中心には、恐らく彼らの事務所の場所を示しているらしい印がついていた。
「俺んとこの事務所だ」
「……ありがとう」
ゼノフォードは紙を受け取り、目を通しながら礼を言った。
まさか本物のピエトラに接触できるとは思ってもいなかった上に、更に情報を仕入れられる機会が手に入った。
これで、第一皇子暗殺未遂や、五年前の殺傷事件について、実際の情報に近付けるかもしれない。
「近々、伺わせていただこう――」
そう言って顔を上げたが、すでに男の姿はなかった。
まるで、最初から幻だったかのように。
□□□
夜の帳が下りる頃。
ゼノフォードとアルノーは、街を後にするために乗合馬車の乗り場へと向かっていた。
もっともアルノーは馬で来ており、近くの共同厩舎に預けているため、馬車に乗るのはゼノフォード一人ではあるが。
「さっきの人、カッコよかったっすね!」
アルノーが興奮冷めやらぬ、といった感じで、目を輝かせながら言った。
そんなアルノーを尻目に、ゼノフォードはひとまず頷く。
「……そうだね」
アルノーはさらに何か言いたげにしていたが、ゼノフォードが思考に耽っているのを見て、結局言葉を呑み込んだ。
一方でゼノフォードは、眉に皺を寄せていた。
新たに得た情報と印象を、一旦振り返って纏めておく必要があるだろう。
(まずは、城に戻って情報を整理する。それから、ロレンツォに話を聞こう)
しかし結論から言えば、第一皇子暗殺未遂や、五年前の殺傷事件についての調査は、ここで長期間停滞することになる。
――予想もしていなかったことが、待ち受けていたからだ。
「あれ」
乗合所の屋根が見え始めた頃、アルノーが声を上げた。
「あそこに停まってる馬車、乗合馬車じゃないっすね?」
彼が指差した方向には、馬車が一台停まっていた。
現代社会で生きてきたために、馬車そのものを見慣れぬゼノフォードにも、その違いは一目瞭然だった。――紋章のついた、明らかに私的な馬車だ。
「あれは……皇室の馬車」
ライオライト帝国の紋章。――つまり、宮中の誰かが、直接ここまで来たということだ。
「城を抜け出したのがバレたのか。それも、居場所まで……」
恨みがましいゼノフォードの視線に気がついたアルノーは、ぶんぶんと首を振った。
「ち、違うっす! 自分は何も言ってないっす!!」
と、そのとき、馬車の扉が開いた。
中から現れたのは、数人の騎士たち。
ゼノフォードは眉を顰める。
確かに、無断で城を抜け出したことは問題だ。だが、それだけでこれほどの数の騎士を差し向けるだろうか?
(――胸騒ぎがする)
「ゼノフォード殿下」
静まり返った夜に、声が響いた。
「殿下には、第一皇子暗殺未遂事件の首謀者であるとの嫌疑がかけられています」
――事態は、想像もしなかった方向へと動き始めていた。
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