10話 セーブと刃の狭間で
ゼノフォードは、見覚えのある食堂へと一直線に駆け出した。
軋む扉を開け、その勢いのまま、建物の中に飛び込む。
店内には、既に異様な緊張感が立ち込めていた。
乱暴に倒された椅子、ひしゃげたテーブル、割れた皿とグラス。食事の残り物に酒がこぼれ、床には油が広がっている。
その中で、破壊を免れた一卓を囲み、小汚い男たちがハイエナのように肉にむしゃぶりついていた。
「酒を持ってこいっつってんだろうがァ!」
「俺たちピエトラの言うことが聞けねェってのかァ!?」
中央で、大柄な男が店主を突き飛ばしていた。
「痛い目見ねェとわかんねェかッ!」
「ヒッ!」
店主はドサリと床に倒れ込む。男がさらに拳を振り下ろそうとする、その瞬間。
「させないよッ!」
ゼノフォードが店主と男の間に飛び込み、男のドスを持った腕を蹴飛ばして跳ね上げた。
予想外の妨害により、ドスは目標を外れ、無意味に空を切る。
「弱いものいじめはよくないって、ママから教わらなかったのかい? ……アルノー君!」
ゼノフォードの呼び掛けに、アルノーは一瞬躊躇った。店主を護れという意味なのだろうが、騎士であるアルノーにとっての護るべき対象は、ゼノフォードなのである。
だがここは、ゼノフォードの意図を汲むことにした。
「……店主さん! こっちへ!」
アルノーが素早く駆け寄り、店主を庇うようにして外へ連れ出した。
一先ず目前の危機は回避された。
だが当然、これで終わりではない。
ゼノフォードは親指と人差し指を突き立て、四角形を作ってメニューのインターフェースを呼び出す。
そしてセーブ画面を開き、スロットに記録を刻んだ。
これで何かあっても、今の時間に戻ってこられる。
「おい! いきなり出しゃばってきてなんの真似だ、お貴族サマよォ!!」
怒号が飛ぶと同時に、ゼノフォードの目前にドスが迫った。
「!」
その存在に気付いたときには、すでに遅かった。
「……つぅッ!」
鋭い刃が左肩に突き刺さる。
呻き声を漏らしながら、ゼノフォードはすぐにインターフェースを開き、先ほどのセーブデータをロードした。
瞬時に時間が巻き戻り、肩の痛みが消え去る。
「おい! いきなり出しゃばってきてなんの真似だ、お貴族サマよォ!!」
同じ怒号。
今度は構えていた。ゼノフォードは身体を右に捻り、刃を回避する。
「いッ……!」
避けたその瞬間、全身に鈍い痛みが走った。
痛い。
今回、攻撃は食らっていない。それでも、身体は明確に悲鳴を上げていた。
(……あのときの怪我が、まだ響いてる)
先日、侍従オスヴァルトとの死闘で、ゼノフォードは全身に刀傷と打撲を負った。
だがその件は、表沙汰にするわけにはいかなかったため、まともな治療もできないまま今日を迎えていたのだ。
「おらッ、どうしたァ!」
目の前でドスが振り下ろされる。ゼノフォードは咄嗟に後方へと跳ね退いた。
「そらァ!」
すぐさま、二撃目が迫る。
再び身を逸らし、またしても後方へ避ける。
ブンッ、ブンッ!
鋭い刃が空を斬る音が、間断なく響いた。
そのたびにゼノフォードは、悲鳴を上げそうな身体を必死に制しながら、後退し続ける。
(セーブだ――セーブ!)
前方に集中した視線の隅で、再びメニューインターフェースを呼び出してセーブを試みた。
正直、今この状況でセーブをするのは、賢明とは言い難い。
(攻撃はなんとか避けているけど、まずいな。――押されている)
下がるたびに、背後の壁との距離が詰まっていく。あと数歩で行き止まり――そこまで追い詰められれば、回避の余地はない。
(とはいえ、もう一度この攻撃を避け切る自信はない。セーブするか)
ゼノフォードはインターフェースを立ち上げ、セーブ画面を開く。そして『上書きしますか?』というダイアログに、指先で『はい』のボタンを押す。電子音が鳴り、記録が上書きされた。
「なァにブツブツ言ってんだァ? 恐怖でおかしくなっちまったかァ!?」
その声に、ゼノフォードはハッとして顔を上げた。
ドスを持った主犯の男が、いつの間にか目の前に迫っていた。
それだけではない。先ほどまで肉に喰らいついていた男たちも立ち上がり、こちらへ足を進めてきているではないか。
「おいおい親分よォ、ガキ一人に時間かけすぎなんじゃあねェかァ?」
「親分が殺らねェなら、俺が殺ってやるぜ?」
ゼノフォードは内心の不安を誤魔化すように、「ハッ」と鼻で笑った。
「ベタな雑魚役のオーディションがあったら、最終選考までは行けるかもね、君たち」
適当に軽口を叩きつつ、身構える。だが――背後は壁。これ以上、敵から距離を取れない。
次の瞬間。
二人の男が、同時に突っ込んできた。
ゼノフォードは反射的に身を翻し、横へ跳ねた。
そのまま脚を振るい、片方の男の脛にヒールの踵を叩き込む。
「うッ!」
男は呻き声をあげ、脛を押さえて床に転がった。が、その瞬間――
「おらぁッ!!」
ブンッ!
もう一人が、椅子を振り上げた。
だが予備動作が大きすぎる。見切るのは容易だった。
ゼノフォードはそれを躱し、体を回転させながら、腹に鋭い蹴りを叩き込む。
「ぐふッ!」
男は呻きよろめいて、腹を庇うように屈んだ。
ゼノフォードはすかさずその背を、硬いヒールで踏み付けた。
「ぐあああああッ!!」
男は悲鳴を上げて、そのまま崩れ落ちるように床へ沈んだ。
「――思ったより余裕だったね」
目前の敵を片付けたゼノフォードは、息を整えながら再びセーブ画面を呼び出す。
上書きを注意喚起するダイアログに承諾し、書き込みの電子音が鳴った。
セーブに集中していたゼノフォードは、気付かなかった。
主犯格の男が。
――ドスを、振り上げていたことに。
「じゃあなァ! お貴族サマよォ!!」
ゼノフォードはその声に、反射的に顔を上げた。
(しまった――!)
人は命に危険が迫るとき、タキサイキア現象――周囲がスローモーションのように見える現象が起きるという。
ゼノフォードは恐怖を余すことなく味わいながら、ただ己に迫りくる凶刃を見ていることしかできなかった。
(避けきれない――!)
セーブデータをロードする時間は、もう残されていない。
ゼノフォードは、ぎゅっと目を閉じた。
ぎらりと光る刃が、迫る。
刹那。
――キィィン!
甲高い金属音が室内に響き渡った。
「――怪我はないっすか、殿下!!」
弾かれたように目を開けたゼノフォードは、思わず目を見張った。
目前にいたのは、茶髪の青年。彼は手にする大きな刀で、迫っていたドスを受け止めていた。
ゼノフォードは、その名を呼んだ。
「――アルノー君!」
「よく持ち堪えてくれたっすね。――あとは、自分がカタをつけるっす!」
キィン! と、刃を弾き返す鋭い音が響いた。
アルノーの手にあるのは、青白く鈍い光を反射する大きな刀。西洋剣とも日本刀とも異なる、湾曲して幅の広いその形に、ゼノフォードの視線は釘付けになった。
「――青龍刀」
中国発祥の、正式には『柳葉刀』と呼ばれる武器。
西洋文化に彩られたこの街において、一際異質な存在感を放つその刀を、アルノーは片手で軽々と操っていた。
一歩踏み出すと同時に、身体を滑らせるように敵の懐へと入り込む。
柄で脇腹を打ち、ドスを構えかけた男の腕を正確に狙って叩き落とす。
あの性格からは想像できなかったその姿に、ゼノフォードは「――ははっ」と笑みを溢した。
「とんだ実力者だったんだな、アルノー君は」
力ではなく重心と間合いを支配する、直線と円が交錯するような動き。
舞うような刀の軌跡が、やがて一点に狙いを定めた。
「――とどめッ!!」
キィン!
鋭い金属音とともに、青龍刀がドスの刃を真っ二つにへし折った。
戦うすべを失った男は、柄だけになった武器をからんと落とし、力なく膝をついて崩れ落ちた。
戦いが、終わった。
□□□
「ピ……ピエトラだっていうからビビったっすけど……意外と弱かったっすね」
青龍刀を鞘に納めながら、アルノーは地面に転がった男を見てそう言った。
その横で、『意外と弱かった』相手に殺されかけていたゼノフォードは、なんとも言えない表情で彼を見た。
「まあ」
小さく肩を竦め、転がる男たちに視線を移す。
「『ピエトラにしては弱い』っていうのは、あながち間違いじゃないかもね」
「どういうことっすか?」
アルノーは小首を傾げる。
ゼノフォードは床に散らばる男たちを見下ろし、静かに言った。
「そりゃあ君。彼らは……『ピエトラ』を騙っているだけの、偽物だろうからさ」




