第7話 あたたかい気遣い
散々泣いた次の日の朝、俺はちゃんと起きた。習慣とは恐ろしい。あんなことがあった次の日だというのにいつも通りの朝を迎えている。
本来ならば一限に出なければならないのだが、昨日ハシボソさんに言われたことを思い出して止めた。お骨箱は母の仏壇の横に置いている。とりあえずお水とご飯をかえてから母と父に手を合わせた。
「おはよう、母さん……父さん……」
ついにここに父も入ってしまった。いつかはくることだった。それでもこんなに早いとは思っていなかったから、自分に言い聞かせて頭で納得しても、心がまだ全部は追いついていない。
これからは俺一人でどうにかしなければならない。覚悟していたけれどいざとなると、何をすればいいのかわからない。とりあえず父名義の通帳や印鑑を探さなければ。ハシボソさんが来る前に大事な書類をどうにかしなければ黒服の仕事どころではない。
父の部屋の棚や引き出しを開けようとした時、インターホンが鳴った。こんな早朝に来客は初めてだ。ハシボソさんは早すぎるから違うだろう。来客の予想がつかないまま出ると、朝から喪服を着ているホシさんだった。
「早朝に悪いな。上がって平気か?」
「おはようございます……えっと、どうぞ……」
意外な来客に驚いた。まさかホシさんが家に来るとは。ホシさんは外見からは予想できないほど静かに歩く。そしていの一番に母と父の仏壇に手を合わせた。昨日といい、律儀な人なのだろう。鞄も黒いからご近所から勘違いされないといいけど。常に眉間にシワがあるから本当に外見は怖い。
俺がコーヒーを淹れている間、リビングのソファに座ってもらっていたが、ふと気づくと背後に立たれて肩が跳ねた。
「おい、朝食はとったのか?」
驚きすぎて声が出ない俺ときれいな台所を見渡し、ホシさんの眉間のシワが更に深く刻まれた。
「あ……まだです。なんか食欲なくて……」
そう言うとホシさんは盛大な舌打ちをした。怖い。本当にこの人と父は仲が良かったのだろうか。完全に堅気の人ではないみたいだ。
「とりあえずこっちに来い。まず書類を確認してもらう」
「は、はい……」
向かい合うように座るとホシさんはテーブルにたくさんの書類を広げた。その全てが父に関係するものだった。銀行口座や年金、保険、家の世帯主変更、光熱水道などの公共料金、通信関連手続き、クレジットカード、最後に遺産について。
「取り急ぎ変更すべきことは変更しておいた。公共料金などの引き落とし口座はこれだ。しばらくは入金しなくても問題ない額は入れてある。お前の保険関連の引き落としはこっちの口座だ。一先ずお前への遺産はこっちの口座に入れてある。この口座に黒服の資金も入れるからよく考えて使え。印鑑はこれとこれだ。無くさないように書類と通帳と一緒に閉まっとけ」
わけがわからないまま話が進む。俺は戸惑いながらもホシさんの言う通りに無くさないようにファイルにまとめて混ざらないように分けた。
ホシさんは一呼吸おくと次に俺に関する書類を広げた。
「次はお前だ。大学は休学届を出して受理させた。理由は家庭の事情にしてある。二年は退学にはならんから安心して黒服の仕事に励め。休学費用はこっちで出す。バイトは店長に話をつけて代理の人間を当てている。お前が戻るまでこっちで用意した人員がバイトしているから安心しろ。念のために書類にサインさせたもののコピーを渡しておく。戻るときに何かもめたら俺に連絡しろ」
怖くて聞けないけれど何か大人の都合のようなものが見えた気がした。こちらも手早く渡された書類をファイリングしてまとめ、ホシさんの連絡先をスマホに登録した。
「黒服の存在は世間に知られると面倒だから絶対に口外するな。いま教えた連絡先は俺のプライベートの方だ。黒服の時は連絡するなよ」
テーブルの上がファイリングした書類だらけになったところで、ホシさんの書類地獄が終わった。どれも重要な書類のため部屋にしまいに行って戻ってくると、テーブルの上に今度は数種類のサンドイッチが並んでいた。
「新宿駅前に新しくできたテイクアウト専門のベーカリーのだ。食え」
「え……」
「遠慮するな。買いすぎたと反省していたところだ」
ホシさんはそう言うが明らかに一人分を買いすぎたなんて量ではない。俺は途中だったコーヒーを淹れなおした。
「ありがとうございます、ホシさん。何から何まで……」
「気にするな、こっちも仕事だ」
ぶっきらぼうで怖い見た目だけど、ホシさんは優しい人だ。
父以外の人が、うちで俺と向かい合ってサンドイッチを食べている。それだけなのに、一人でどうにかしなければならない不安が、不思議と和らいだ気がした。
「では失礼したな。何かあったら遠慮なく連絡しろ、こっちの都合は考えるな。いいな」
「はい。本当にありがとうございます。サンドイッチもご馳走様でした」
滞在時間は三十分未満だと思う。ホシさんは腕時計の時間を確認して早々に出て行った。おそらくこれから黒服の幹部として仕事が山積みなのだろう。多忙なのに俺の朝食にも付き合ってくれた。本当にお世話になりっぱなしだ。
わざわざ新宿にある黒服の葬儀屋に出勤する前に、こんな神奈川県よりの世田谷区の外れに来てくれただけで、申し訳なさと感謝でまた涙が出そうになる。




