第6話 倫太郎の不安
倫太郎の根気強い指導は、確かな実を結び始めていた。
彼らが「水」を指して「ミズ」と拙いながらも発音する姿、「ニク」と言いながら獲物を分け合う姿、そして決められた場所で「ハイセツ」をする姿を見るたび、倫太郎の胸には温かいものがこみ上げてきた。
最初は不潔で野蛮な獣としか思えなかったゴブリンたちが、少しずつ、まるで幼い子供のように、倫太郎の教えを吸収し、変化していく。
「お前たち、よくやったな! すごいぞ!」
倫太郎は、言葉は通じなくとも、精一杯の笑顔で彼らを褒めた。彼らが「ミズ」と発音できた時には頭を撫でてやり、ルールに従って行動できた時には、とっておきの木の実を分け与えた。
人間だった頃の倫太郎は、まさか自分がゴブリンを褒め称える日が来るとは夢にも思わなかった。
しかし、彼らの純粋な反応を見ていると、倫太郎は次第に彼らが愛らしいとさえ感じるようになっていた。
ゴブリンたちもまた、倫太郎の異質な存在感と、彼がもたらす「恩恵」だけでなく、その「褒める」という行為に、本能的に心地よさを感じているようだった。
彼らは、倫太郎が自分たちに近づくと、警戒するどころか、期待に満ちた目で倫太郎を見上げるようになった。倫太郎が何かを教えようとすると、以前よりも熱心に、そして喜んで模倣しようと努める。
倫太郎が洞窟内で移動すると、何体かのゴブリンがよちよちと後をついてくる。狩りに出れば、倫太郎の指示を最も熱心に聞こうとするのは、いつも彼らだった。彼らはもはや、倫太郎を「異質な何か」として見るだけでなく、「自分たちを導き、幸福をもたらす存在」として、深く慕うようになっていたのだ。
集落のゴブリンたちは、以前のような無秩序な暴力性をほとんど見せなくなった。代わりに、倫太郎の周りに集まり、倫太郎の言葉やジェスチャーに注意深く耳を傾ける。
彼らの間には、倫太郎を中心とした、言葉とルールによる原始的な秩序が確かに生まれつつあった。倫太郎自身も、彼らが「ただのゴブリン、ただのモンスター」ではなく、個性を持った生命体であることに気づき、一人ひとりのゴブリンに対して、愛情に近い感情を抱き始めていた。
ゴブリンたちが自分を慕い、少しずつではあるが成長していく姿を見ていると、倫太郎は、彼らの存在がいつしか自分にとってかけがえのないものになっていることに気づいた。
しかし、同時に倫太郎の頭には、ある懸念がよぎっていた。
「この洞窟は――集落は、安全なのか?」
一般的なゴブリンは、他の種族にとって脅威となる存在だ。だが、この集落のゴブリンたちは、倫太郎が来るまで無秩序で、他の強大な種族から身を守る術を持っていなかっただろう。そして、もしこの集落に他の生物、特に人間のような「脅威」が近づいてきたら……。倫太郎は、彼らが愛らしい存在になったからこそ、その危険に晒されることを恐れた。
倫太郎は、洞窟の入り口近くでたむろしていたゴブリンたちに、強い口調で指示を出した。
「マテ! ココ、マテ!」
倫太郎は洞窟の中に大きな円を描き、その中にゴブリンたちを押し込むようなジェスチャーをした。
倫太郎の厳しいながらも愛情のこもった眼差しに、ゴブリンたちは戸惑いながらも、その場に留まろうとした。
何体かは不安そうに倫太郎を見上げていたが、倫太郎が「すぐ戻る」とでも言うように、自分の胸を叩いて頷いて見せると、彼らは大人しくその場に座り込んだ。
そして、倫太郎は再び、森の中へと足を踏み入れた。
倫太郎は、以前に人間の痕跡を見つけた方向へと進んだ。イケメンゴブリンの優れた身体能力を活かし、木々を縫うように、慎重かつ迅速に森の中を進んでいく。
人間の集落は、ゴブリンの集落よりも遥かに大きく、目立つはずだ。煙が上がっているかもしれない。あるいは、何らかの人工的な音が聞こえるかもしれない。倫太郎は、五感を研ぎ澄ませ、注意深く周囲を観察した。
しかし、森は深く、広大だった。どれだけ歩いても、人間の集落はおろか、人間の気配すら感じられない。倫太郎は、焦りを感じ始めた。もしかしたら、人間の集落は、この森のずっと奥にあるのかもしれない。あるいは、この森には存在しないのかもしれない。
それでも、倫太郎は諦めなかった。ゴブリンたちのため、そして、自分自身の生存のためにも、人間の集落を見つけ出す必要があった。