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第5話 倫太郎、ボスゴブリンになる

 衣食住の改善に奮闘する中で、倫太郎はふと疑問に思った。


 このゴブリンの集落には、リーダーらしき存在がいない。


 他のゴブリンたちは、皆、似たような原始的な行動を取り、倫太郎の指示にも個々で反応する。彼らの間に階級や序列らしきものは見当たらない。狩りに出る時も、餌を食べる時も、特に誰かの号令があるわけではなく、それぞれが本能のままに動いているように見える。


「まさか、ボスがいないのか? ゴブリンって、集団で行動する生き物なのに、ボスがいないなんてあり得るのか?」


 倫太郎の知るゴブリンは、大抵の場合、より大きく、より凶暴な「ボスゴブリン」や「グレートゴブリン」といった存在に率いられているはずだった。彼らはその下で組織的に行動し、人間や他の種族に襲いかかる。


 だが、この集落のゴブリンたちは、まるで統率の取れていない幼稚園児の群れのようだ。


 もし本当にボスがいないのなら、この集落のゴブリンたちは、他の種族にとって脅威となる前に、まず自分たちの生存すら危うい状態にあると言える。逆に言えば、倫太郎が彼らの「ボス」として振る舞い、導いていけば、この集落を大きく変えることができるかもしれない。


 しかし、もしどこかに隠れたボスがいて、倫太郎の「改革」を快く思っていなかったら? あるいは、ゴブリンの社会構造が、倫太郎の想像とは全く異なるものだったら?


 倫太郎は、この集落のゴブリンたちが、一般的なゴブリン像から大きくかけ離れている可能性を改めて実感した。


 彼らの原始的な知性や行動の裏には、倫太郎がまだ知らないゴブリン社会のルールが隠されているかもしれない。


 倫太郎は数日にわたり、密かに洞窟の奥深くを探索した。


 薄暗い通路を這い、迷路のような空間を進んだが、そこには他のゴブリンの集落はおろか、明らかに「ボス」と呼べるような、他のゴブリンよりも大きく、強そうな個体は見当たらなかった。彼らの生活圏は、驚くほど狭く、原始的だった。


「やっぱりいないのか……ボスが。これじゃあ、ただの無秩序な群れじゃないか」


 倫太郎は、自分がこの群れの「ボス」になれば、このゴブリンたちを統率し、より人間らしい、清潔で文明的な生活へと導けるかもしれない、と考えた。


 もちろん、ゴブリン社会における「ボス」の座が、どのように決定されるのかは全くの未知数だ。暴力によって勝ち取るのか、それとも別の方法があるのか。しかし、このままでは倫太郎自身も、この不潔で野蛮な環境に順応せざるを得なくなってしまう。


「危険は承知の上だ。ボスゴブリンに、おれはなるっ!」


 倫太郎は決意を固めた。自らがこの群れのリーダーとなり、彼らに新たな価値観を教え込む。それは、倫太郎がこの世界で生き抜く生存戦略であり、同時にゴブリンたちの未来を切り開く、壮大な実験でもあった。


 倫太郎はまず、自分が群れの中で最も「有益」な存在であることを示すことから始めた。


 ゴブリンたちが獲物を捕らえ損ねた時、倫太郎は持ち前の人間だった頃の知恵と、イケメンゴブリンの身体能力を活かして、より効率的な狩りの方法を示した。


 例えば、茂みに隠れて獲物を待ち伏せたり、複数で連携して獲物を追い込んだりする様子を、身振り手振りで教える。


 最初は戸惑っていたゴブリンたちも、実際に獲物が手に入りやすくなったことで、倫太郎の指示にわずかながらに従うようになった。


 また、倫太郎は衛生習慣の普及も続けた。自分がきれいになった姿を見せつけ、水浴びや草で体を擦る行為を、ゴブリンたちに根気強く促した。


 相変わらず嫌がるゴブリンもいたが、倫太郎が手を貸すことを恐れず、清潔になった後の「爽快感」をジェスチャーで示すことで、少しずつ、ごくわずかだが、自ら水に近づくゴブリンも現れ始めた。


 さらに、住処の改善も怠らなかった。危険な岩の配置を変えたり、風の通りを良くしたり。


 彼らの目から見れば、倫太郎は単に奇妙なことをしているだけに見えたかもしれないが、倫太郎の行動が、彼らの生活を少しずつだが確実に向上させていることは、彼らも感じ取っていたようだった。


 倫太郎は、言葉は通じなくとも、行動と結果で彼らを導こうとした。ゴブリンたちは、倫太郎の異質な存在感と、その行動がもたらす「恩恵」によって、徐々に倫太郎を「何か違う、しかし従うべき存在」として認識し始めていた。


 しかし、この「ボス」への道はまだ始まったばかりだ。倫太郎が真のリーダーとして認められるためには、何をすべきだろうか?


「このままじゃダメだ。俺がボスになるからには、せめて意思疎通ができるレベルまではコミュニケーション能力を引き上げよう」


 倫太郎は、ゴブリンたちの原始的な生活を改善するため、さらに深く踏み込むことを決意した。それは、彼らに「言葉」と「ルール」という、社会的生活の根幹を成す概念を教え込むことだった。


 危険を承知の上でリーダーとなった倫太郎にとって、これは避けては通れない通り道だった。


 倫太郎は、まずごく基本的な単語から教え始めた。


「これは水だ。ミ・ズ。ミ・ズ。ミ・ズ」


 倫太郎は、水たまりを指差しながら、ゆっくりと、何度も繰り返した。


 ゴブリンたちは、倫太郎の口元をじっと見つめ、発音を真似しようと「ミ……ズ……」と不器用な音を出す者もいた。完全な発音はできなくても、その言葉が「水」を指すことを、次第に彼らは理解していった。


 次に、「ニク」「ヒ」「ヤク」「クウ」といった、彼らの生存に直結する単語を、ジェスチャーを交えながら教え込んだ。


 狩りの際に獲物を指差して「ニク!」と言い、焼く時には「ヒ! ヤク! クウ!」と示す。


 最初は混乱していたゴブリンたちも、倫太郎の熱心な指導と、その言葉がもたらす「結果」(例えば、焼いた肉が食べられるなど)によって、少しずつ言葉と概念を結びつけていった。


 言葉と並行して、倫太郎は集落に「ルール」を導入しようとした。これは、彼らの暴力的で無秩序な行動を抑制し、集団としての秩序を築く上で不可欠だった。


「コレ、オレ、トッタ! オマエ、タベル、ダメ!」


「ミンナ、キノミ、トッタ! ミンナ、クウ!」


 倫太郎は、自分が仕留めた獲物を指差して、所有権を示す言葉を教えた。そして、他のゴブリンがそれを奪おうとした時、強い態度で制止し、奪われたゴブリンに獲物を返すよう促した。また、みんなでとった木の実や果実は、みんなで分けて食べることも教えた。


 最初は反発するゴブリンもいたが、倫太郎の圧倒的な存在感と、彼がもたらす「恩恵」――例えば、ルールを守れば公平に分配されるなど――によって、少しずつだが、「他者のものに手を出さない」という概念が浸透し始めた。


 また、洞窟内の特定の場所に「ハイセツ――つまりウンコをする場所」を設けるルールも導入した。 不潔な洞窟の衛生改善のためだ。毎回洞窟の外に行かせる案も考えたが、面倒くさくなってすぐにみんなやめてしまうだろうと思い、廃案になった。


 倫太郎がその場所を指差し、「ココ! ハイセツ! ウンコ!」と教え、かなり恥ずかしかったが自分もそこで用を足してみせた。そのあとは、脇に盛り上げてある土でそこを覆うのだ。これは特に難航したが、悪臭が少しでも軽減されたことで、ゴブリンたちも無意識のうちに「ここが良い行動」と認識し始めたようだった。


 倫太郎の熱心な指導は、ゴブリンたちの間に少しずつ変化をもたらしていた。彼らはまだ原始的だが、倫太郎の言葉やルールによって、その行動にわずかながらも「選択」と「秩序」が生まれ始めていたのだ。彼らはもはや、ただの暴力的な獣ではなかった。

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