第4話 ゴブリン集落改善プロジェクト
倫太郎の「ゴブリン衛生改善計画」は、一進一退の攻防が続いた。
最初は、倫太郎が水たまりで体を洗い、草で擦る姿を、ゴブリンたちはただ珍しそうに、あるいは呆れたように見ていた。
彼らが模倣しても、それは表面的なものに過ぎず、すぐに飽きて泥まみれの活動に戻ってしまう。倫太郎は落胆しかけたが、それでも諦めなかった。
倫太郎は毎日、彼らの目の前で体を洗い続けた。自分のイケメンゴブリンボディが汚れるたびに、彼らが見ている前で丁寧に洗う。
ときには、汚れたゴブリンの腕をそっと掴み、水で濡らした草で優しく拭いてみせることもあった。
最初は嫌がって暴れるゴブリンもいたが、倫太郎が危害を加えないと分かると、次第に大人しくなった。
その中で、倫太郎はゴブリンたちの意外な一面に気づかされた。
彼らは、人間のように複雑な感情や思考は持たないかもしれない。だが、決して「ライトノベルに出てくる経験値を稼ぐのに都合のいい悪者」のような、ただの暴力的な記号ではなかった。
デジタルなモンスターではなく、彼らは立派な『生き物』だった。
ある日、倫太郎が洗った後、他のゴブリンが自分の手についた泥を、じっと見つめていることに気づいた。その視線には、かつて見たことがないような、戸惑いや、かすかな疑問が宿っていた。
そして、別のゴブリンは、倫太郎が体を洗う際に使った草を、そっと自分の臭いを嗅ぐように鼻に近づけていた。
彼らは、倫太郎の行動の意味を完全に理解しているわけではない。しかし、そこには確かに「自分たちの行動とは違う何か」「もしかしたら良いものかもしれない何か」に対する好奇心や、学習しようとする小さな芽があった。
彼らの知性は、非常に原始的で、言語化されていないただの感覚に基づいていたが、確実に存在していたのだ。
倫太郎は、彼らが単なる知性の低い獣ではないことを理解した。彼らは、ただ教えられてこなかっただけで、与えられた環境の中で本能的に生きているだけなのだ。
そして、倫太郎のイケメンゴブリンボディが、彼らにとって「異質」であると同時に、「興味深い対象」として認識されていることも分かった。この差が、彼らが倫太郎の行動を模倣しようとする原動力になっているのかもしれない。
倫太郎は、ゴブリンたちとの間に、言葉ではない、もっと根源的な理解の道が開けることを予感した。
この洞窟での生活は、ただのサバイバルではなく、彼らの「ゴブリンらしさ」と、倫太郎の「人間らしさ」が衝突し、融合していく、奇妙な実験の場になるだろう。
ゴブリンたちが「都合のいい悪者」ではないことを理解した倫太郎は、彼らの原始的な生活様式を目の当たりにし、衛生面だけでなく、衣食住の全てにメスを入れる必要性を強く感じていた。
特に、清潔なイケメンゴブリンとして、この不便で不潔な生活に耐え続けるのは、精神的にも肉体的にも限界があった。
「よし、やるぞ。このゴブリン集落を、俺が住めるレベルにまで引き上げてやる!」
倫太郎は、心の中で静かに、しかし熱い決意を固めた。
まず「衣」。ゴブリンたちは、粗末な獣の皮を身にまとっているが、それはほとんど体を覆う意味をなしておらず、泥と血と体臭が染み付いている。倫太郎のイケメンゴブリンボディも、今は同じような粗末な布を身につけているが、内心では「せめてもう少しマシな服を……!」と叫びたかった。
倫太郎は、洞窟の奥にあった使い古された獣の皮の山を物色し始めた。比較的柔らかく、状態の良いものをいくつか見つけ出す。
そして、鋭い石を使って、それを自分の体に合うように加工し始めた。ゴブリンたちは、倫太郎が真剣な顔で皮を石で擦り、形を整えているのを、またしても奇妙なものを見るように見ていた。
倫太郎は、穴を開け、ツタのようなもので縫い合わせる真似をして見せる。彼らが理解できるはずもないが、それでも倫太郎は、少しでも「道具」や「加工」の概念を伝えようとした。いつか、彼らにも自分で服を繕う知恵が芽生えることを願って。
次に「食」。ゴブリンたちの食事は、捕らえたばかりの獣を生で喰らうか、簡単な火で炙るだけという、非常に野蛮なものだった。生臭い肉片が飛び散り、血まみれの口元を見ていると、倫太郎の胃袋は悲鳴を上げた。
倫太郎は、彼らの狩りに同行することにした。彼らの狩りの方法は、力任せに獲物を追い詰める原始的なものだ。倫太郎は、人間だった頃の(主にライトノベルから得た)知識を総動員し、罠の概念を伝えることを試みた。
木の枝を組み合わせ、石で固定するジェスチャー。獲物が通るであろう道に、その「罠」を設置する様子を見せる。最初は全く理解できないゴブリンたちだったが、倫太郎が実際に簡単な仕掛けを作ってみせ、そこに獲物が偶然かかった時、彼らの目には驚きと、かすかな理解の光が宿った。
そして、倫太郎は「調理」の重要性も教えようとした。燃え残りの木を拾い、火の近くで肉を焼く。焦げ付かないようにひっくり返し、香ばしい匂いが立ち上るのを示す。
ゴブリンたちは、その匂いに釣られて集まってきて、最初は警戒しながらも、倫太郎が差し出した焼けた肉片を口にした時、彼らの原始的な本能に「おいしい」という新たな概念が刻み込まれたようだった。
最後に「住」。倫太郎が目覚めた洞窟は、文字通り「洞穴」であり、居住空間としてはあまりにもお粗末だった。湿気と悪臭、そして不規則に転がる石やゴミ。
倫太郎は、まず洞窟の清掃から始めた。自分一人の力では限界があるため、ゴブリンたちを巻き込むことを試みる。
「この石、あっちに運んでくれ!」
言葉は通じないが、倫太郎は大きな石を指差し、それを洞窟の外へ運ぶジェスチャーを繰り返す。最初は戸惑っていたゴブリンたちも、倫太郎が率先して大きな石を運ぶ姿を見て、何体かが後に続いた。
そして、住環境を改善するために、洞窟の入り口に枯れ木を立て、簡単な目隠しや風除けを作るジェスチャーを見せた。外敵の侵入を防ぎ、少しでも快適な空間を作るためだ。
倫太郎のゴブリン生活は、いつしか「ゴブリン集落改善プロジェクト」へと変貌を遂げていた。イケメンゴブリンという異質な存在である倫太郎は、彼らの興味を引きつけ、原始的ながらも彼らの行動を少しずつ変えていくことに成功していた。
しかし、この先、彼らがどこまで倫太郎の教えを吸収し、その知性や文明を向上させていくのか、それは未知数だった。